第17話 2019年10月23日ー生命の蔦へ
「瑚子ちゃん、お皿はしばらく水に浸けてから洗ってね。お湯ば沸かしとる間は火から離れたらでけんよ」
「うん、大丈夫だよママ。家庭科の授業で
二泊分サイズのキャリー・ケースは、ココの小学校卒業後、陸上部の遠征用とお揃いで購入した。
レモンよりもアメリカ製グミに近い黄色は、
「お父さん、戸締まりばしっかりしてくださいね。瑚子ちゃんのこと、頼みましたよ」
「分かっとる。お義母さんへの土産、JRに置き忘れんごとな」
正晃は友里子が持つ紙袋を指差した。長崎
正晃は礼儀として自分が買いに行くことを提案したが、瑚子が却下した。
中年が選んだダサいものを持たせたくない、という言い分だった。行き先がどこであれ、同性の親がお洒落だと言われたい。
正晃は新聞を広げ、二人が買い物から帰宅するのを待った。
一週間後、友里子は中学の同窓会へと出発する。
「ママ、今まで陸上部で忙しぅさせてしまったけん、ゆっくりしてきてね。輸入菓子のお土産はついでで良かけん」
「瑚子ちゃんはそがんこと気にせんで良かと。声が聞きとぅなったら、いつでもメールして。すぐに電話するけん」
瑚子も玄関から出て、友里子の姿が見えなくなるまで両手を振り見送った。
友里子と選んだ薄手のニットとゆるボトムス、スニーカーは部屋着と外出用の区別がない。
これまで休日は陸上部の練習や遠征に費やしていたので、おめかしといえばブラジャーとショーツのみだった。
いざお洒落を始めようにも、制服とジャージの組み合わせ以外の法則が分からない。
義祖母の
目的別で服を購入するのは勿体ないので、購入した服はカジュアル・テイストにまとめた。
一着千五百円以内で収めているので、この後部屋の掃除をしても汚れが気にならない。
それでも裸眼だけは人間に見られないよう、窓にも気を配らなければならない。
瑚子と正晃がコンタクトを外すのは、自宅で眠るときのみ。修学旅行や社員旅行ではコンタクトを着けたまま目薬一本、一泊毎に消耗する。
「瑚子、自分の
「は? 意味分からんし。うちの部屋、まだ掃除しとらんし」
「聞きたかことのあるとやろうが。母さんば一人で行かせるためにお菓子ば我慢しとったと、父さんはしっかり見抜いとったぞ」
瑚子が玄関に戻ってくるまでに、正晃は自分の上着とリュック・サックを準備していた。スニーカーを履き、正晃の眉毛一本分の幅がはみ出るものを瑚子に手渡した。
「眼鏡? うち、コンタクトばしよるたい」
「お義母さんの形見やけん、ダサかとか言うなよ。もう、コンタクトはキツかやろ」
正晃が誰を指しているのか、裸眼の熱が教えた。
雪平家に泊まって以来、コンタクトが裸眼から離れようとし授業中でも涙が止まらなかった。
学校でもチョウと目を合わせることすらなくなり、検査の名目で欠席していた。
そんな中、友里子の母校である長崎県佐世保市立中学校からハガキが届いた。
友里子は瑚子を案じ欠席すると言ったが、瑚子は出席を強要した。
小学校卒業以来会っていない絹代の名前を口にし、友里子は十五回目の強要に頷いた。
瑚子とは血が繋がっていないことで互いに遠慮していたが、年賀状のやりとりだけは今でも続いていた。
瑚子が陸上の大会で優勝すると、友里子が撮った写真を絹代へ郵送していたことも知っていた。
裸眼の秘密を知った今、人間の絹代が同じく人間の娘を後妻として送った後の寂しさと心配が瑚子の許容範囲を超えていることだけは理解している。
今では村雨家の一員である友里子が、目に見えない瑚子との繋がりに気後れしていることも。
「前の奥さん方のお祖母ちゃんも、トビヒ族やったとね」
「奥さん、じゃなかろうが。お前を産んでくれたお母さんを他人呼ばわりするな」
「そがんこと言われても、うち顔すら知らんし。お礼言われんとは気の毒やけど、こん眼鏡、早速使わせてもらうけん」
「――杜に着いたら、今の発言撤回せろよ」
瑚子が洗面所に足を向けた瞬間、正晃は鉛の入った声で行先を告げた。瑚子が無言で振り向くと、遠目で人間そっくりの目が空間を歪めているように感じた。
「先方に手間かけさせたんは父さんの落ち度やったが、お前に教えたとがすべてではなかけん」
正晃からはハナサキ族や雪平家への偏見、確執は感じられない。実際は瑚子が知らないだけでマイナスの感情を抱いているかもしれないが、血族関連以外でも表情を読めた試しがない。
もう一度正晃に背中を見せ、瑚子は洗面所でコンタクトを外した。
裸眼から離れた瞬間、朝ドラの最終回を見るときと同じ涙が流れたが、室内の空気に慣れると止まった。
もえぎ色の色彩も熱が引き、眼鏡をかけると人間の目になった。
ウィンド・ブレーカーとショルダー・バッグを握り、瑚子は杜へと正晃に導かれた。
――すべては大好きな人たちを守るため。
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