第13話 地上の太陽

「さて、どっから話したら良かとかねぇ。雪平家うちでは利矢にはひらがなより先に教えとったし、何より私は両親ともハナサキ族やけん知るとに大したハードルのなかったけん」

 一畳ほどの木製テーブルを瑚子と挟んでいるのは、利矢の実母、雪平陽子ようこ。色鉛筆ほどの薄い紅が左頬に乗った息子を目で指した。急須から湯飲み二つとマグ・カップへ、炒り茶の香りが移り瑚子の鼻腔も刺激する。

「俺が説明ばして、母さんに補足してもらったが良かっちゃない? この女こいつの手足癖並みに礼儀がなっとらんとか思われとぅなかし」

「へぇ、を強引に余所様の家に連れ出しといて? ゴツゴツした腕で女ン子ば担ぐとか、あんたン家の礼儀ってどんなもんやろか」

 瑚子が正座しているのは、スカートを履いているからに過ぎない。自分を人間として見なさない母子に対して両親の躾を体現する必要も、出されたマグ・カップに口付ける義理もない。利矢の中学卒業記念のアルミ製であれば、なおさらもてなされている気分にならない。

「村雨、話ば延ばそうとすんな。お前の状況ば考えたら、これしか方法の無かったとって」

「そんならよ終わらせてよ。その、ハナ何とかとトビ何ちゃらってのを。さっきからバッグん中で携帯のバイブの鳴りよっとに、JRに乗れんかったらうちが大変なことになるとって」

「は? なして早よ電話に出らんとかって。どっちか知らんけど、お前と同じ目のおやに言っとけ。今夜は雪平家うちに泊まるって」

 利矢は風化していない革製のバッグを指差した。瑚子が取り出すと、ガラケーの表面には自宅の固定番号ではなく、正晃の携帯番号が点滅していた。

こんなにこがんブーブー言いよるとばい! お父さん、絶対聞く耳ば持たんって。目はともかく、それ以外はただの頑固者やけん」

「――父親だな。貸せ、俺が出る。このボタンか?」

 利矢は携帯を奪い、両腕を伸ばす瑚子の頭部を左手で押さえた。電話応答に切り替わった瞬間、正晃の声でガラケーが震えた。瑚子の手中にあれば、肩が上下に揺れる拍子に畳の上で跳ねていた。利矢が右手で包囲していたので、接続部分の亀裂で二等分にならなくて済んだ。

「ハナサキ族が一体、雪平利矢です。学校での様子を見る限り、村雨さんは何も知らない様子なんで。このままこんままだと近いうちに我々にも危害が及ぶ可能性があるため、今夜はこちらでお預かりします」

 タメ口を避けたところで、目上の相手に敬意を払っていないことは利矢自身の裸眼よりも明白だった。水に等しい一本のえんじ色の線が白濁のコンタクト・レンズに滲んでいる。

 瑚子の頭部を離した左手を腰に当てる姿は、正晃が見たらガラケーを取り上げられるだけでは済まない。

 陽子は自らが躾けたはずの息子に無言で頷いていた。要領良くことを運ぶ主義なのだと思い込まなければ、瑚子は歯を食いしばって見過ごすことができなかった。

「親父さんの了承もらったけん。つーかガラケーとか、お前いつの時代ば生きとるとかって」

「そがんこと良かけん、よ本題に入ってよ」

 利矢が宙で手放したガラケーを、瑚子は両手で受け取った。バッグにしまうのを確認せず、瑚子と陽子の弧の間に利矢があぐらをかいた。

「トビヒ族は両眼に一本ずつもえぎ色の線が入っとる。さらに生まれ持った姿に二通りあって、どちらも脚の筋肉が発達しとる。お前が俊足なのもそのためだ」

「続けて」


 トビヒ族の祖先は月と緑を従える神、発達した脚力で世界中を駆け回り子孫を繁栄させた。人型で生まれたトビヒ族は次期族長候補として人間の世界を修行の場に選ぶ者もいる。

 しかし本来の姿で生まれた者は同胞を守るため、もりと呼ばれる独自の世界で生涯を過ごす。

 本来の姿で生まれた者からは人型のトビヒ族が生まれないが、人型の者が必ずしも人型を産むわけでもない。

 その一例が三ヶ月前、長崎市で胎児を遺棄した十五歳の少女だ。

 彼女が自分のルーツさえ知っていれば、遺児は同じ姿として杜に住むトビヒ族に受け入れられていた。成長すればオオカミのような体躯と鹿に近い角が月光を吸収し、トビヒ族の尊厳が体に表れるはずだった。

 仮に望まぬ妊娠だったとしても、血族の尊厳を守るため遺児を燃やし原型をとどめないようにするべきだった。

 それができなかったのは、自身が人間であること、また人間から奇形が生まれるはずがないと根深く思い込んでいたからだ。


 対するハナサキ族の祖先は太陽と氷を従える神、発達した腕力で翼を広げ、後の国々に血脈を広げた。

 生まれ持つ姿は二通り、どちらも裸眼に一本ずつえんじ色の線が入っている。人型で生まれた者は次期族長候補として人間界で修行することもある。

 本来の姿で生まれたハナサキ族は空の穴と呼ばれる世界で鷹に似た体躯、先端が深紅に染まった白金の羽を心置きなく伸ばす。

 トビヒ族とは根本的に異なる種の生き物だが、二つ共通点がある。

 本来の姿で生まれた者からは決して人型のハナサキ族が生まれない。

 次いで、人型の者から本来の姿のハナサキ族が生まれることもある。


「その一人が、俺の弟だ。生まれて間もなく、空の穴へ行かせた」

「お父さんと一緒に?」

 瑚子は利矢に尋ねたが、陽子のまつ毛の隙間に黒いクレヨン線が浮いた。ちゃぶ台と垂直に位置するガラス張りの照明だけのせいではない。

 午後六時を過ぎても出迎えを促す低声が聞こえない。利矢が施錠した時点で、他に同居の家族がいないことは勘付くいていた。それでも瑚子は気になった。

あれはあがんと、父親なもんか。覚悟のなかった時点で、男ですらなかけん」

「そがん言うもんでもなかろうもん」

 本心では利矢の父親に同情していない。同じ思春期の目線での見解は共感する余地があったが、あくまで面識のない相手を非難する真似を避けた。

 利矢に正晃を不謹慎扱いする権利がないことを、瑚子は示したかった。

「弟が生まれた日、誇り高きハナサキ族の母さんを、美しい姿の弟も化け物呼ばわりして逃げた」 

「え、それそいって」

「そうだ、弟は本来の姿で生まれた。奴はの目の他にハナサキ族を知ろうともしなかった。そいけん」

 利矢は鏡ではなく瑚子を見てコンタクトを外した。チャリティー・コンサートでは半濁の輪郭に一滴の紅茶より薄い線が浮かび、長崎県内に住むほとんどの日本人と同色の瞳孔とえんじ色の線がQの文体に酷似していた。

 人間と同じ文化ハンド・ベルを手にしていたので、舞台は人体内で温もった吐息で気温が池の表面と化していた。

 目前の利矢が母親と弟を敬い、血縁の男を憎んでいることは目を見れば明らかだった。

 線全体の濃度は変わらないが、ライターの火が花火に移る瞬間のように枠内で揺れている。線自体もコンタクトを外す間に傾度が変わっていた。

「奴は始ま「処分した。我らがハナサキ族の尊厳を守るために」

 同じ目をした陽子の声は洞窟内で落下する氷柱そのものだった。

 海外のドキュメンタリー特集番組で見ただけの天然物が四肢に電流を流すものだと、この瞬間まで知らなかった。

「誰、が」

 男性がすでに亡き存在であることは、疎い瑚子でも感じ取れた。

 聞かされたハナサキ族の特徴が事実であれば、足腰に産後太りが見受けられない体躯と不相応ないかり肩が造り物ではない。

 それでも女性一人が人間をゴミ処理できるとは思えなかった。利矢の弟を腕に抱いていた時期であれば、なおのことだった。

「身重ンときや産後に無理ばしたらでけんとは、ハナサキ族だって同じさ。そがんときは、住処を分けた仲間も合流する。あとの展開は、そん歳になれば言わんでも分かるやろ?」

 陽子の釣り目には伴侶との別れへの未練が皆無だったが、を嗜む程度にすら感じていないように見えた。

 瑚子は口外で破裂させずにはいられなかった。

なんそい! 神様どころかただの殺人鬼たい! 身内のプライドがどうのこうの言うとって、結局は自分らのコトが可愛かだけやろ。そがん人間のコトば好かんなら、空の穴とかいうところに皆引っ越せば良かろうもん」

 昂ぶりを抑えられず、瑚子はちゃぶ台を垂直に叩いた両手で二分割してしまった。

 常に理性を保とうとする正晃の心情が少しだけ読めた気がした。感情を抑制しなければ、男性である以上、瑚子より容易に家具を壊せる。

 瑚子だけでなく友里子までもが正晃の元を離れてしまう恐れがある。

「村雨家よほど人間を贔屓していると見える。母親の影響か?」

村雨家うちは? 親とか関係なしに普通そうじゃなかと? 他のトビヒ族なんて顔も知らんけど」

「いや、本来ならばトビヒ族だって同じ手ば下す。お前らはよほど同胞との交流が薄いと見たばってかな。なんも知らんで産み落としたじゅうごさいといい、トビヒ族の管理はどがんなっとるとか」

 女二人の間を、利矢が割って出た。声は初対面時と同じ低さに戻ったが、えんじ色の揺らめきは治まっていない。

「つーか、そろそろコンタクトば外したら? この場には人間のらんし、今の精神状態だと眼球の痛かやろ」

「誰のせいだと」

「俺らは事実ば伝えただけとに、そがんカッカして肌が荒れたらどがんするとか。ただでさえブスとに」

「あんたの方がよっぽど性悪ブスったい!」

 ちゃぶ台がさらに二分割し、扇形の野菜ちゃぶだい刺し串あしと化した。

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