二章 2—4


 感慨のあまり、ユキは思わず、とびついた。男はビックリしてあとずさる。


「ええと……」

「やっぱり、リヒトだったんだ。すっごいハンサムになってるから、一瞬、違うかと思った。でも、この家から出てくるってことは、リヒトだよね? わたし、秋山ユキ。おぼえてない? 中学のとき、同じクラスだった」


 リヒトはユキをまじまじと見つめる。妙に、間がある。そののち、ニカッと笑った。日焼けした肌にキレイな歯が、あざやかに白い。


「ああ、秋山さん。思いだした。こんなとこで何してるの?」


 うん。あなたの家に不法侵入しようと思って——という言葉は、当然、のみこむ。


「あなたをさがしてたのよ。この前、玉館スーパーで、わたしのこと無視したでしょ?」

「そうだったかな?」

「あんなに呼んだのに」


「気づかなかった。なんで、おれをさがしてたの?」

「あの夜のこと、おぼえてる?」


「あの夜?」

「中二の林間学校で……」


 どう切りだすべきか。

 ユキが考えてると、リヒトはゆるいパーマの髪をかきまわした。


「責任とれとか、そういう展開?」

「そんなこと言わないよ。さそったの、こっちだし。むしろ申しわけないと思ってる。リヒトくんの体には、まだ、アレ、出ないの?」


 リヒトは微妙な表情で黙ってる。ちょっと引いてるみたいな……。


「秋山さん。なんか病気? 人には言えないような」

「まあ、ちょっと言えないよね。呪いにかかってますなんて。話しても誰も信じてくれないだろうし」

「の——」


 絶句したあと、リヒトは今度は両手で髪をかきむしった。そして、にぎりこぶしを口元にあてて、長々、考えこむ。


「もしかして、リヒトくん。まだ気づいてなかったの? あの夜、あの場にいた全員、呪いにかかってるみたいだよ。わたしも、ハルナも、アユムも、腕にコレが……」


 ユキはTシャツの袖をめくる。

 チラリと見て、リヒトは嘆息する。


「呪い……か。もしかしたら、そうなのかと考えないでもなかったけど。まさか、ほんとにね」

「信じられない気持ちはわかるよ。でも、リヒトくんだって、そうじゃないかと思ったから、戸神くんのこと探してたんでしょ?」


「おれが戸神をさがしてる?」

「違うの?」

「いや。違わないけど」

「だよね。イトコだもん。いなくなったら心配するよね」


 うなずきつつ、リヒトは家のなかに手招きする。


「ちょっと状況を整理したいんだ。そっちの事情、教えてくれないかな。林間学校のことから、くわしく。おれの記憶が間違ってるかもしれないし」


 言われるままに、ユキは話した。

 リヒトが相手だと、どうして、こんなに素直になれるんだろう。

 態度が落ちついてるせいか。優しい物静かな口調のせいか。


 少年時代は、もっと暗くて近寄りがたかった。ずいぶん、きさくになった。

 でも、その奥に一線を置いたような、あの壁は今も感じる。


 笑顔に、どことなく、かげりがある。

 残酷な運命に対して、一人あらがい、かつ、心のどこかでは、静かにその運命を受け入れてるような……。


 ユキが話してるあいだ、リヒトは家捜しする。引き出しをあけたり、天袋をあけたり。


 奥の四畳半の和室で、リヒトは目的のものを見つけた。押し入れにダンボールが山積みになっていた。一つ一つあける。多くは衣類や古い本だ。


 本にまじって、手紙がたばになっていた。リヒトは、その手紙をたばのまま、自分のボストンバッグに入れた。


 ユキがギョッとしたのは、その行為ではなかった。バッグをおろしたリヒトの背中には、白抜きで文字が入っていた。


『うっかり者』の『う』にバツ印が書かれ、よこに『し』と訂正されている。


 うっかりな、しっかり者だ。絶対に間違っちゃいけない部分で間違ってる。


「リヒトくん。それ……」


 自分で買ったの?——と聞こうとした。

 が、リヒトは勘違いした。


「ああ、昔の知りあいの住所がわからなくなって」


 手紙のことをとがめられたと思ったらしい。


 さらに、リヒトは他のダンボールのなかも調べる。なんとなくだが、ここでユキがやろうとしてたことをしてるように見える。気のせいだろうか。


「女物の服ばっかだなあ。男っけがない。子ども服はあるけど」

「だって、リヒトくんのお母さん。小学校のときに再婚したんでしょ? 小さいころに、お父さんが亡くなったか、離婚したってことだよね?」

「君、優秀だなあ。助手に雇いたいくらいだ」

「いいよ。いっしょに呪いをとく方法、見つけよう」


 リヒトは家族写真のアルバムを見つけ、バッグに入れる。


「それはいいんだけど、さっきから犬のうなり声みたいなの、聞こえるなあ」


 矢沼だ。ふすまのかげから、こっちをのぞいて、うなってる。


「ちょっと、やめてよ。気持ち悪い」


 注意しても、やめてくれなかった。かわいそうに。犬の霊にでも取り憑かれたのかもしれない。


「変わった友達がいるんだね」

「友達じゃないよ。会社の後輩」

「そうなんだ。あそこの天井板、ズレてるな。屋根裏に、なんかあるのかな」


 言いながら、リヒトは押し入れに入りこむ。一部だけ、ななめになった天井板に手をかけた。


 そのとき、戸外で物音がした。


 玄関前だろうか?

 枯葉をふみくずすような音。

 うなり声も、はっきり聞こえる。


「やめなさいって言ってるでしょ?」


 小声でささやいたが、矢沼は青い顔で首をふる。

 たしかに、矢沼じゃない。うなり声は外から聞こえる。


 誰かが犬の散歩でもさせてるのだろうか。それにしても、この家は袋小路の一軒家だ。道も悪い。好んで人の来る場所ではない。


 物音を聞いたリヒトは、すばやかった。さっと押し入れから、とびおり、玄関へ走っていく。


「待ってよ。リヒトくん」


 おわてて追いかけようとした。が、ユキは、そこで腰をぬかした。


 なんで、そんなものに気づいてしまったんだろう。

 天井板のすきまから、誰かの目が、のぞいてる。

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