プロローグ 2


 こまった。このまま、見過ごすのは心が痛む。でも、ユキの母も玉館スーパーのパートだ。かかわりあいになりたくない。


 困惑しているうちに、イジメはエスカレートしていく。


 なんという名前だったか。あの少年。

 玉館と仲間に、ボールのように、ころがされ、背後へ追いやられていく。


 少年のうしろに、小さな石がある。


 やっと、ユキは気づいた。

 それが問題の『石碑』なんだと。

 石碑なんていうから、もっと大きくて立派なものだと思っていた。

 さわると祟られるなんて、恐ろしいいわれがあるようには、正直、見えない。


 きっと、昼間、玉館たちも近くにいたのだ。ユキたちが、あの石のことを村人から聞いたとき。それで、こんなことを思いついたのだろう。


「ちょっと……まずくない?」


 ユキは、ささやいた。

 しかし、アユムもヨウタも応えない。


「いいから行こうよ。見つかると、めんどうだよ。どうせ、祟りなんか、ただの言い伝えだし」と、リンカが言った。


 たしかに、そうだ。

 でも、あの少年は本気で恐怖におびえている。このまま放置しておくのは、殺人と同じくらい、罪なことの気がした。


「やっぱり、助けたほうが……」

「どうやって?」


 小声で話す声が、玉館に聞こえたらしい。とつぜん、玉館がこっちをふりかえった。


「誰だ? そこにいるの。おい、柴田。見てこいよ」


 柴田。そう。そんな名前だ。母親がスーパーのパートをしている。

 柴田は、ふるえ声をだす。


「誰もいるわけないよ。まさか、亡霊なんじゃ?」

「そんなんじゃなかった。人の声だ。いいから見てこいって」


 しぶしぶ、柴田が歩きだす。こっちに来る。

 ユキたちは逃げだすしかなかった。とばっちりは、ごめんだ。


 柴田が叫ぶ。

「ヤバイよ! うちの生徒だ」


 見つかった。でも、まだ顔。見られたわけじゃない。向こうには、こっちのメンバーが誰かなんて、わからない。


 ユキたちは柴田のわめき声を聞きながら走った。必死だった。いつのまにか、六人がバラバラになっていた。


 あれが起こったのは、その直後だ。


 ものすごい絶叫だった。境内じゅうに、ひびきわたる。なんていうか、生きながら内臓をひきちぎられるような?


 これまでユキが一度も聞いたことのないような。すさまじい悲鳴。一度でも聞けば、一生、忘れることができない。


「な……なに? あれ」


 ユキは、となりを走るアユムを見た。

 アユムの顔も、こわばっていた。


「わからない。けど、逃げたほうがいいって」


 たしかに、そうだ。

 あの声には、論理を超越した恐怖が、ひそんでいた。命の危険を感じる。


 そのあとのことは、よくおぼえてない。

 とにかく、息の続くかぎり走った。

 まわりを見まわす余裕をとりもどしたのは、境内を出たあとだ。

 正面の大きな鳥居をくぐりぬけると、ふしぎと、もう大丈夫だという心地になった。目には見えない境界をこえたように。


 ユキとアユムが先頭。しばらくして、リンカとヨウタもやってきた。だが、ハルナとリヒトは、なかなか帰ってこない。


 ユキは不安になった。


「ハルナ。どうしちゃったんだろ……」


 どうして、もっと、ちゃんと見ておかなかったのか。

 ハルナは走るのも速くないし、なにもないところで、よく、つまずく。


 だからといって、もう一度、境内に入って探しに行く勇気はない。鳥居のところに、壁があるみたいだ。


「ハルナ。おねがい。もどってきて……」


 祈るような気持ちで待った。

 二十分……いや、三十分?

 とにかく、かなりの時間が経った。


 やっとのことで、神社のなかから誰かが歩いてくる。

 シルエットが変だと思えば、一人ではなかった。誰かが誰かを抱きかかえている。近くまで来て、ハルナをかかえたリヒトだとわかった。


「ハルナ! よかった」


 ハルナは泣きじゃくって、言葉にならない。

 かわりに、リヒトが言った。

「ころんで、足をくじいたんだ」


 ハルナをここまで、かかえてきたから、リヒトは時間をくったのだ。

 クラスでは、ほとんど話したこともない。とくべく仲がいいわけでもない。

 今夜の肝試しだって、やめようと言うリヒトを押しきって来たのに……。


(優しいんだ。この人……)


 ただ優しいだけじゃない。とても強い。

 ユキたちでさえ、あまりの怖さに、幼なじみのことなんて、すっかり忘れていた。自分だけ逃げだしてしまっていた。

 そんなときに、リヒトは逃げおくれた女の子のために、自分の身を危険にさらして助けた。

 優しくて、とても強い意思を持っている。


 ふと、気づいた。


(あっ。そうか。好きなんだ。わたし……)


 リヒトのこと——


 ユキたちは無言で宿舎に帰った。


 あれは十二年も前のこと。

 ほろ苦い夏の思い出。


 でも、ユキたちは知らなかった。

 あのとき、ほんとは何が起こっていたのか。

 まだ、それは終わりではないと。

 むしろ、始まったばかりなのだと……。

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