犬咬み

涼森巳王(東堂薫)

プロローグ

プロローグ 1

https://kakuyomu.jp/users/kaoru-todo/news/16817330649389637061(挿絵)



 十二年前——


「君たち、町から来てる子たちだろ? いまどき、めずらしいなあ。林間学校なんて。退屈してるんじゃないか? おもしろいこと教えてやろうか?」


 その人は路傍の石に腰かけて、タバコをふかしていた。三、四十代のふつうの男だ。


 教師に昆虫採集を命じられた中学生の集団は、もちろん、足をとめた。小学生じゃないるまいし、虫をつかまえて何が楽しいのか。


 とうぜん、ユキも立ちどまった。


 この話を聞いたばかりに、のちに、どれほど恐ろしい体験をすることになるか、ユキたちは、まだ誰も知らなかった。


「おもしろい話って、なんですか?」


 たずねたのは、アユムだ。

 お寺の次男坊で成績優秀。大人と話すことに慣れている。


「そこに神社が見えてるだろ? あそこの裏手に小さい石碑があるんだよ。もう見たかな?」

「神社には、まだ行ってないです」と、やはり、アユムが答える。


 メンバーはアユム。ヨウタ。この前、東京から転校してきたばかりのリヒト。女の子はユキの幼なじみのハルナとリンカだ。

 この六人が林間学校のあいだのグループ。でも、まわりには、違うグループの子がチラホラ見える。


 まるで男は、それら全部に聞かせようとでもいうように、よく通る声で言った。


「じゃあ、見てくるといい。まあ、怖いならムリにとは言わないけど。あの石碑をさわると祟られるって、昔からの言い伝えだからな」


 ユキたちは顔を見あわせた。


 祟りなんて、いまどき、ほんとにあるんだろうか?


 でも、町から車で一時間たらずとは思えない山奥のこの村……仮にF村としておこう。

 このF村でなら、そんなこともあるのかもしれない。そんなフンイキのただよう陰気な村だ。


「祟り……ですか。なんで、さわると祟られるんですか?」


「さあ? いわれは知らない。でも年寄りたちの話じゃ、かなり信ぴょう性あるらしいよ。信じない人が何人も、あの石碑にさわって死んだって話だ。肝試しには、ちょうどいいんじゃないか?」


「そうですね。どうも……」


 代表でアユムが言って、別れた。


 そのまま無視しておけばいいだけの話だった。

 そしたら、誰も、あんなめにあわなくてすんだのに……。


 肝試しをしようと言いだしたのは、意外にもリンカだ。

 リンカは小さいころから、お人形みたいに可愛かった。いつも、好きな男の子が二、三人はいるタイプ。

 今は顔立ちのきれいなリヒトに夢中になってる。


 仲よしグループのなかにリヒトを入れようと言ったのも、そもそもリンカだ。この林間学校のあいだに、どうにか恋を進展させたいという考えだ。


「ねえ。おもしろそう。夜になったら、肝試ししようよ。二人ずつペアになって、石碑のとこまで行くの」

「そんなの、よそう」


 そくざに答えたのが、リヒトだったのは皮肉だが。


「むやみと変な場所に近づくのは、よくない」と、リヒトは強い口調で言った。


 めずらしいことだ。

 リヒトはハンサムだけど、あまり人とかかわらないし、しゃべらない。なんというか、かげがある。そこがいいのだと、リンカは言うが。

 何か、とても、ふくざつな事情のありそうな少年だ。


 でも、それで、リンカの負けず嫌いに火がついた。やだ、やだ、絶対行く、一人でも行くとさわぎだした。

 けっきょく、みんなで行くことになる。

 リンカがワガママ言うと、たいてい、ヨウタが味方につくし。


「いいじゃん。おもしろそう。やなら、坂上(リヒトの名字)は、やめればいい。おれらだけで行こう」


 リヒトは考えこんだ。そのあと、自分も行くと言った。


 あのとき、ほんとは、リヒトは何を思ったのだろう。運命的なものとか、灯火に誘われる蛾のような心地とか。そんなものだろうか?


 それで、消灯時間になってから、宿泊している中学校の校舎をぬけだした。


 ペアの組みあわせは、リンカに押しきられる形で、リンカとリヒト。

 ユキはハルナと行くつもりだった。が、

「男どうしで行って、何がおもしろいんだよ」

 ヨウタが文句を言ったので、ハルナとヨウタ。ユキはアユムと組むことになった。


 中学校の校舎から坂をくだり、村の中心部まで歩いていく。その道すじが、すでに肝試しみたい。とにかく暗い。街灯がないから、まっくらだ。

 山間の小さな村は完全に寝静まっていた。

 ちょろちょろ流れる用水路の水音。

 ジイジイと鳴く虫の音。

 どこかで、犬の遠吠えがした。


 神社の境内は、さらに迫力があった。

 暗いだけじゃなく、なんとなく寒気がする。入っていくのが、ためらわれるような何があった。


 昼間、あんな話を聞いたせいかもしれないが……。


「どうするの? 行くの?」

 ユキがたずねると、みんな、だまった。


 リンカだけが、はしゃいでる。

「行くよ! もちろん。さ、リヒトくん。行こう。手つないでもいい? わたし、こわい」


 ノリノリのくせに、怖いも何もない。

 リンカはリヒトの手をひっぱって、行ってしまった。


 二人だけ行かせるわけにはいかない。

 いやいやの感じで、残る四人も、ひとかたまりで境内に入った。


「裏手って言ってたよな。あのおじさん」

「神社の後ろに、まわってくってことか?」


 アユムとヨウタに、ユキは答えた。

「そういう意味なんじゃないの」


 だが、ハルナはこの段階でもう、ひとことも口をひらくことができない。もともと極度の怖がりだ。


「ハルナ。大丈夫だよ。みんな、いるから」


 ユキが手をつなぐと、ハルナは少し笑った。


 境内に入ると、さっきの犬の遠吠えが近くなった。このあたりに野犬でもいるのだろうか?


 そのせいか、急に虫の鳴き声がやんだ。

 あたりは、しんと静まりかえる。

 静寂のなかに、尾をひく遠吠えだけが、いつまでも残る。


 社のよこを通りぬけ、裏にまわる。

 すると、そこから木立ちのなかへ続く細い道があった。木立ちは、ちょっとした森だ。


 しかも、入口に今にも、くずれそうな古い鳥居がある。

 ますます、ユキたちに立ち入ることをためらわせる。でも、あたりに、リンカたちがいない。ということは、ここに入っていったのだろう。


 勇気をふるいおこすように、ヨウタが鳥居をくぐった。ユキたちも追った。ハルナの手はふるえている。


「もう、リンカたち見つけたら、すぐ帰ろう。ばかばかしい。なんにもないじゃない」


 わざと、ユキは怒った口調で言った。から元気だということは、自分でも、わかっていた。ハルナがふるえてるから、元気づけようとしたのだ。


 ようやく、前方にリンカとリヒトの姿が見えた。二人とも立ちどまってる。


 はしゃいではみたものの、今さら怖くなったんだろうか?


 だが、近づいていってみると、違っていた。ユキたちを見て、リンカは人さし指を口にあてる。そして、その指で奥の茂みを示した。


 茂みの向こうは、わりと広い空間だ。そこに、先客がいた。数人の人影がある。


「ほらほら。行っちゃえよ。どうせ死にたいんだろ。だったら、祟られちゃえばいいじゃん。殺してもらえるし」


 そう言う声に聞きおぼえがある。

 茂みに隠れて、ユキは、のぞいてみた。

 月明かりで、同じ中学の体操服が見えた。なんとか顔の判別もできた。知っている。となりのクラスの男子生徒だ。


 一人の少年が、かこまれていた。こがらで、いかにも気弱そう。



 かこんでるほうの一人は、玉館だ。玉館と書いて、たまだてと読む。駅前の大手スーパーの一人息子だ。親が金持ちなのをいいことに、いばりちらしている。


 玉館が気弱そうな少年の肩を、ドンと押した。少年は地面に倒れる。


 イジメだ。前々から、なんとなく、そうかなと思っていた。いつも、校舎のかげや廊下のかたすみで、よりあつまっていたから。


 よく見ると、いじめてるがわの何人かは、親が玉館スーパーの従業員だ。もしかすると、やらないと親をクビにすると、おどされてるのかもしれない。

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