一章 しのびよる足音

一章 1—1

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「おい、秋山。おまえ、実家、S市だったよな? 狼男の取材、行ってこい」

 という編集長の命令を受けたのは、今日の午後になってから。


 二流とはいえ、あこがれの出版社に入社したのは四年前。

 しかし、ユキの配属されたのは、芸能人のスキャンダルや、興味本位のウワサ話ばかり追いかける低俗な女性週刊誌だ。狼男と言われても、またか——としか思わなかった。


「S市に狼男でも出るんですか?」

「ネットで今、評判らしいぞ。オカルトは夏の風物詩だからな。ちょっと大きく特集、組んでやってもいい。うまく取材できたらな」


 というわけで、現在、S市に向かう特急のなかだ。


 東京の大学に通うために、一人暮らしを始めてから、あまり実家へは帰っていない。仕事についてからは、とくにだ。だから、ネットで、そんなウワサが立ってることじたい初耳だ。


(狼男ね。ばかばかしい。そんなの、いるわけないじゃない)


 とはいえ、電車の単調な揺れに身をまかせていると、思いはどうしても、あの十二年前の夏に向かう。

 ユキのオカルト体験といえば、あれしかない。


(あのとき、やたらに犬が吠えてたっけ。まあ、犬は狼じゃないんだけどさ)


 そんなことを考えていると——


「秋山先輩。なに、タソガレてんですか? もうすぐS市ですよ? おーい、もしかして寝てます?」


 どうにも、まのぬけた声がユキを現実に引きもどす。今年、入ったばかりの後輩、矢沼だ。

 いかにもイマドキのクニャクニャした矢沼。なぜ、うちの社に入れたのか、それじたいが謎だ。いくら二流出版社でも、もうちょっとマシな人材はあっただろうに。


「寝てない。これからの計画、立ててただけ」

「へえ。そうすか」


「そうすか、じゃないでしょ? これは、あんたの仕事でもあるのよ」

「そうすね」


 ダメだ。なに言ってもムダだ。

 諦観がユキの頭をよぎる。


「もういいよ。とにかく、あんたはビジネスホテルを探しなさい。あたしは実家に戻るから」

「えっ? 僕、つれてってもらえないんですか?」


「なんで、わたしが、ただの後輩のあんたを実家に招待しなきゃいけないの?」

「……そうすね」


 おおげさにガッカリしてる。読めない。


「ビジネスホテルくらい、一人で探せるよね?」

「え? たぶん……はい。きっと」


 ユキは、ため息をついた。視線をそらす。

 そのとき、ななめ前の男が立ちあがった。荷だなからボストンバッグをおろしている。座席に隠れて、うしろ姿の一部しか見えない。でも、似ている。


(リヒト……?)


 リヒトとは中学卒業以来、会ってない。リヒトの高校は東京だったので、それっきりだ。


 なんだか、かげのある人だった。

 家庭も複雑だったようだ。母子家庭だというウワサを聞いた。


 いまだに、リヒト以上の男に出会わない。ユキが恋愛から遠いのは、そのせいだ。


 思いきって告白しとけばよかったなと思う。


 なぜ、躊躇ちゅうちょしたんだろう?

 リンカの好きな人だったから?

 それとも、他人を拒絶するようなリヒトのふんいきのせいか……。


 当時のことを思いだしてるときに見たせいか。似ているような気がしたのは。

 ボストンバッグの男をリヒトじゃないかと、ユキは直感的に思った。


 思わず、ユキは声をかけていた。

「リヒト? リヒトでしょ?」


 列車はちょうどS駅構内に入りつつあった。男はボストンバッグを背にかけ、扉のほうへ移動する。


 ユキは追いかけようとした。が、

「待ってくださいよ。ユキさん。この荷物、僕一人に持たすんですか?」

 気のきかない後輩が、機材をかかえて文句を言ってくる。


「そんなの、あとでやってよ」

「えっ? でも、降りるんじゃ?」


 ゴチャゴチャやってるうちに、列車は駅についた。

 あの男はユキに背中を向けたまま、出ていってしまった。

 一瞬だが、窓から、よこ顔が見えた。ドキッとする。


(あれ? あんなにカッコよかったっけ? リヒト)


 たしかに、リヒトは美少年だった。将来はハンサムになると思っていた。それにしても、ここまでイケメンだったろうか。


 彫りが深く端正。逆三角形のきれいな背中。長い足。

 アイドルにも負けてない。ジャニーズ系というには、よこがおに憂いをおびているが。


 記憶のなかのリヒトを思いおこしてみる。しかし、十四の少年を二十代の青年に成長させるには限界があった。


(リヒト? リヒトじゃない?)


 迷ってるうちに、男の姿は遠ざかっていく。


「あ——待って! リヒト!」


 あわてて追うが、もう遅い。


「ユキさん。待ってくださいよ」

「なにしてるの。遅い!」

「ええ! だって、あとでって……不条理」


 ユキたちが列車をおりたときには、リヒトらしき人物は、とっくにいなくなっていた。


(リヒト……だったのかな?)


 なんだか、運命的な再会。

 ただ、その運命は甘いだけじゃない。

 どこか背筋のヒヤリとするような感じもあった。


 おそらくは、中二の夏の、あの思い出のせいで……。

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