四章 2—1

 2



 ユキは玲一をにらんだ。


「人殺しの手伝いをしろっていうの?」

「あいつは、もう人じゃない。化け物だ」


 でも、ユキが会ったリヒトは、化け物なんかじゃなかった。神出鬼没だが、れっきとした人間だ。


「そんなことできない。ちゃんと人間だった」

「じゃあ、君たちは、このまま、アイツに呪い殺されるってわけ? 印が出てるのに?」


 そう言われると、反論できない。

 ユキはだまった。かわりに、アユムが口をひらく。


「簡単に始末するって言うけど、相手は化け物なんだろ? おれたちに、どうしろって言うんだ?」


「リヒトはユキさんの前に、人間の姿で現れた。それなら、理性が戻れば、また、やってくるかもしれない。そのときなら話ができる。油断を見すまして、始末することも……」


「ユキに、おとりになれってのか? それはダメだ。危険すぎる」


 そくざにアユムは反論した。

 しかし、かえってユキは安心した。


「わたしが会って話せるのね。それなら説得できるかもしれない」


 玲一の言葉を信用しないわけではない。

 でも、ユキには、どうしても、あのリヒトが犬神とは思えない。ちょくせつ会って本人の口から真実を聞きたい。


「じゃあ、リヒトくんをさがさないとね」

「行きそうな場所は、だいたい察しがついてるんだ。犬神に憑依されてはいても、リヒトには実体がある。どこかに寝泊まりする必要があるってことだ」


 その場所には心あたりがある。


「このこと、まだ話してなかったけど。じつは——」


 ユキは坂上家の屋根裏で見た、目のことを話した。


「あれは、たしかに夢で見た『アイツ』だった。あのときは、わたしたちのあとを追ってきたのかと思ったけど。そうじゃなかったのね。あの家を寝場所にしてるんじゃない?」


 玲一が、うなずく。

「そうだと思った。この村で人目につかず寝てられるのは、空き家になった坂上家くらいだ」


 たしかに、あのとき、リヒトは坂上家の家屋のなかから出てきた。

 もしかして、本当に、リヒトが犬神なんだろうか。少し不安になる。


「今から行けば、いるのかな」

「ウソだろ。夜は外に出るなって、家政婦たちも話してたろ」と、アユムは、やっぱり反対する。


 玲一は断言した。

「昼夜は関係ない。村人は、ただ闇を怖がってるだけさ。現に昼間に呪いで人が殺されてる。夜だから、より危険ということはない」


 その意見には、ユキも賛成だ。


「言えてる」

「まさか、ほんとに今から行くのか?」

「一刻も早いほうがいいでしょ?」

「けど、どうやって始末するんだ。話ができる状態かどうかも、わからないのに」


 すると、玲一は、かたわらに置いた風呂敷包みを、ユキたちの前に出した。


「犬神になってしまった人間を殺すには、これを使うしかない」


 玲一が風呂敷をほどく。

 なかから細長い桐の箱が出てきた。


 ユキはたずねる。

「それは?」


「信乃の娘が子孫のために残したものだよ。信乃の娘は、自分の身に犬神を封じることで、戸神家を守っていた。だが、自分の力も年とともに弱まってきた。犬神を抑えられなくなると知っていた。だから、そうなる前に、呪力をこめて、我々に、これを遺した」


 そう言って、玲一はフタをあける。

 ユキは、かたずをのんで見守った。


 ところが——


 なかを見た玲一は、あっと小さな声をあげた。


「どうしたの?」


 たずねると、あきらかに動揺した声をだす。


「なくなってる」

「えっ?」


 のぞきこむと、箱のなかには重そうな文ちんが入ってる。


「それって……」

「もちろん、こんなの、重さ調整に誰かが入れたフェイクだ。誰かが、本物を持ちさったんだ」


「ほんとは何が入ってたの?」

「懐剣だ。信乃が、まだ正気だったころ、娘に渡してたんだ。護身用に。形見のつもりもあったのかも。だから、その剣には、信乃と娘の二人ぶんの霊力が込められてる。犬神の依りましを始末するときには、いつも、その剣が使われていた」


「なんで、そんな大切なものがなくなるの?」

「わからない。誰かが盗んだとしか考えられない」


 ユキはひらめいた。


「リヒトくんのお父さんが、知り合いに預けてたものがあるんだよね。リヒトくんが大人になったとき、渡してほしいって」


 玲一が、かすかに、うなる。


「蜂巣さんですね?」

「戸神くん、知ってるの?」

「おれは子どもだったから、おぼえがない。けど、民俗学の研究のために蔵のなかを見せてほしいって、うちに来てたらしい。盗めるとしたら、あの人しかいない」


「リヒトくんが将来、その剣で殺されることを知ってたってことだよね。きっと、リヒトくんを助けるために隠したんだ」

「だろうね。だけど……こまったな」


「後輩の矢沼くんが、とりに行ってる。明日、合流することにはなってるけど」


 矢沼と連絡がとれないことが気になる。

 時刻は十時すぎ。意外にも、それほど遅くない。うたたねしたりして、もう真夜中のような気がしていた。


 ユキはスマホをとって、矢沼に電話をかけてみた。

 なかなか出ない。もう寝てしまったのか? それにしても、大事な用件を任したのに、なんの報告もない。さすがに変だ。何かあったのかもしれない。


 しつこくコールしてると、やっと、つながった。いきなり、泣き声が聞こえてくる。


「ちょっと? なんなの? 矢沼くん?」

「……ユキさん。僕、もう、やですからね。この件から、おりますんで。会社にも辞表、書きました」

「はい? なんで急に」


 こっちは大変だっていうのに、何を甘ったれてるのか、と思ったら。


「マスさん。死にました」


 不意打ちで深刻な内容が告げられる。


「死んだ……?」

「殺されたんだ。アイツに。だから、もう、やなんですよぉ」

「ちょっと待って。だって、桝前田さんは呪いとは、なんの関係もないし——」


 しかし、矢沼は、もうユキの言葉を聞いてない。


「例のものはS駅のコインロッカーに入れときました。カギは黒猫キッチンに預けときました。じゃあ、さよなら。ユキさん、ごめんなさい!」

「えっ、ちょっと、待ってよ——」


 電話は一方的に切られた。

 ユキはスマホをにぎりしめたまま、みんなに説明する。


「よくわからないけど、桝前田さんが亡くなったらしい。蜂巣さんから、預かりものをしてた人。アイツに殺されたって」


 ハルナが、また泣きだす。

「なんで、みんな殺されるの? その人は呪われるようなことしてないでしょ?」


 考えながら、玲一が言う。

「犬神を封じる剣を持ってたからだ。アイツだって、封じられたくはないだろ」


 ユキは、あわてた。

「じゃあ、ロッカーのカギを預かってる黒岩さんも危ないじゃない。そんなことに巻きこめない。それに、もしものことがあって、カギが警察に渡ったら、剣が没収されちゃう。すぐに、とりに行かないと」


「おまえ、一人で行く気か?」と、アユム。

「あんたが運転してくれる気あれば、二人だけど?」


 アユムは一瞬、言葉につまった。が、

「わかったよ。このさい、なんでもやるよ」

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