四章 2—2


 玲一が頭をさげる。

「そうしてくれると、ありがたい。うちの車を出したら、村人が大騒ぎするだろうからね。おれが村をすてて逃げだしたと思って」


 それを聞いて、ユキは疑問に思った。


「もしもよ? もしも、リヒトくんが、ほんとに犬神だったとして。あなたの言うように始末できたとしても……そのあと、どうするの? だって、この家に、子どもいないじゃない」


 とうぜんのように、玲一は答える。


「とりあえず、おれが封じるしかない。いつまでもつか、わからないが」

「でも、そうすると、今度は、あなたが犬神に……」

「それまでには子どもを作るさ」


 なげやりな玲一を見て、ユキは悲しくなった。


 だからだったのか。リヒトと玲一。性格はまるで違うのに、どこか似た印象があったのは。重すぎる運命への抵抗と諦観が、ないまぜになったような……。


「あきらめてるの? それでいいの?」

「ほかに、どうしようもないだろ? そりゃね。ごくまれに、戸神以外の人間でも、犬神を封じる力を持つ人はいるんだ。生まれつき霊力の強い人だね。でも、そんな人、すぐには見つからない。見つかっても、身代わりになってくれるはずもない」


 たしかに、そうだ。返す言葉もない。


 玲一は話をそらす。

「とにかく、懐剣がないと、どうにもならない」

「そうね。一刻も早く、手に入れないと。じゃあ、アユム。行こうか」


 アユムは、ため息をついた。

 ユキはアユムと二人で外へ出た。クツは入浴のときに玄関から持ってきてたから、そのまま庭に出ることができた。


 外は暗い。台風のせいだろう。雲があつい。

 家人は寝てるのか。気味が悪いほど静かだ。強い風が庭木をゆする音だけが耳につく。


 表門から出ると目立つので、裏門に向かう。裏門は内側から、かんぬきで押さえてあった。かんぬきをはずし外へ出る。


 道路に人影はない。

 まだ十時すぎなのに、電気のついた家が一軒もない。街灯もないから、まっくらだ。


 いちおう懐中電灯は持ってきたが、つけずに歩いた。人家の密集したところはさけ、田んぼのあぜ道を進む。


 あたりを警戒しながら、ようやく、村外れまで来た。


「やっと、ここまで来た。あとは一本道ね」


 車を置いた材木置場までは、完全に山道だ。そこまで来て、懐中電灯をつける。ここなら村人の目には止まらないだろう。


 今のところ怪異もないし、ほっとした。

 しかし、雨がポツポツふりだしてきた。台風の影響が心配だ。


 急いで材木置場へ行くと——


「そこに、誰かいる」

 アユムが、ささやく。


 ユキは、あわてて懐中電灯を消した。

 車の前に、誰か立っていた。

 薄闇に黒いシルエットが、ぼんやり浮かぶ。


 ユキは、ドキッとした。

 あのシルエット、もしかして……。


 その瞬間、奇跡的に雲が切れた。

 青ざめた月光が、その人を照らす。その人の、あの物悲しい表情を。


「リヒト」


 声をかけると、リヒトの表情は一変した。白い歯を見せて、アイドルみたいにキレイな笑顔を見せる。


「また会ったね。ユキさん。こんな時間に、どこに行くの?」

「そういうあなたこそ、どこに行くの?」

「おれは待ってたんだよ。この時間に、ここにいれば、ユキさんに会えるんじゃないかと思って」

「なんで、そう思ったの?」

「なんとなく」

「………」


 やっぱり、リヒトが犬神なんだろうか。

 だから、どこにいても、ユキの居場所がわかるんだろうか。リヒト本人が呪いの印をつけた相手だから?


 どうやって、聞きだすべきか。ユキは迷った。考えあぐねていると、リヒトが言った。


「ほんとは、この車が君たちのものだと知ってたんだ。村に来るとき、おれを追いぬいていったろ? だから、待ってたら戻ってくるかもしれないと考えた」


 あのトンネルのなかで見た人影か。


「あれ、やっぱり、リヒトくんだったんだ。なんで、あんなとこ歩いてたの?」

「バス停がトンネルの向こうだから」


 なるほど。町からバスで来て、バス停で降りれば、必然的にそうなる。


 それなら、リヒトは犬神じゃない?

 自分で言うように、町から来て、玲一をさがしてるだけなのか。


 いや、だが、逆に言えば、こうなる。

 昨日、玉館や柴田が殺されたとき、リヒトは町にいた。

 そして、リヒトが村にやってきたとたん、リンカが殺された。ユキたちも犬神に遭遇した。


(犬神が移動手段にバスを使うってのも変だけど……ふだんは人間の姿なら、そうなるのか)


 ますます、わからなくなる。

 リヒトを信じたい。信じたいが、疑おうと思えば、かなり怪しい。


 リヒトは自分が疑われてるとは夢にも思ってないようだ。平然と言う。


「町に戻るんだろ? おれもつれてってくれないか」


 ユキは迷った。

 もしかしたら、リヒトは犬神かもしれない。そんな人と同じ車内ですごすのは危険すぎる。


(まあ、どこにいても、危ないのは同じか。ほんとに犬神なら、夢のなかにでも来れるんだもんね)


 ユキは意を決した。


「S駅の近くまで行くつもりだけど、それでいい?」

「ありがとう。ところで、さっきから物陰でこっちを見てるのは、君の友達?」


 ため息をついて、アユムが出てくる。


「べつに隠れてたんじゃない。出てくタイミングがなかっただけだ」


 いや、違うだろう。もちろん、隠れてたのだ。タイミングを見て、もしも、やれそうなら、リヒトを殺す——か、少なくとも殴って気絶させるつもりだったはず。


「ユキさんの友達って、こんな感じばっかりだね」と、リヒトがクスクス笑う。


 ユキは、なんでか恥ずかしくなった。


「そうじゃないんだけど……なんか、ちょっと、いろいろ、ごめん。こいつ、川瀬アユム。おぼえてない? 肝試し、いっしょに行った」

「ああ。なるほど。了解。じゃあ、出発しようか」


 アユムは無言で運転席に乗りこんだ。

 迷ったが、ユキは助手席にすわる。

 必然的に、リヒトは後部座席だ。

 もしも、リヒトが犬神なら、いきなり背後から、襲われる可能性があるのだが。


 車が走りだすと、リヒトが切りだした。

「ところで、ユキさん。戸神邸にいたろ? 新しくわかったことない?」


 あるよ。あなたが犬神だとわかった——とは言えないので、


「戸神くん……イトコの戸神玲一くん。行方不明じゃなかったよ。病気で入院してたんだって。ちゃんと家に戻ってた」

「あの包帯にサングラスの?」


「そういえば、見てたよね? 神社で、リンカが殺されたとき」

「まあね」


「なんで、あんなとこにいたの?」

「戸神邸を見張ってたからさ」


「なんのために?」

「だって、呪いの中心だろ?」


「そうだけど……なら、どうして、戸神くんに会おうとしないの? 戸神邸の前で急にいなくなったよね?」


 リヒトは答えない。

 ふりかえると、口元に手をあてて考えている。


「リヒトくん?」

「まあ、いろいろ理由はあるけどね。ところで、同級生に、高山チサトさんっていたろ? おぼえてるかな?」


 高山……なぜだろう?

 つい最近、誰かから、その名を聞いた気がする。


「スポーツが得意だった子だよね。とくに親しかったわけじゃないから、よくおぼえてないけど」


 言いながら、必死で記憶をかきまわす。が、思いだせない。いつ、誰から聞いたのか。ほんとに、つい最近だったはずなのに。

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