四章 1—3


 ユキは手帳をひらいた。メモした家系図を確認する。

 最初に消されてるのは、庄屋の第二夫人。これが信乃だ。その下の名前も消されている。信乃の子どもの位置だ。


「これのことね?」

「そう。娘にも信乃と同じ力があった。母親ほど強くはなかったみたいだが。そして、母に似て、とても美しかった」


「なるほど。そういうことか。書き写すとき、変だと思ったんだよね。だって、この家系図で見ると、庄屋の末息子と結婚したことになってる。二人は血のつながりはなかったんだ」


「末息子一人だけが、祟りをまぬがれた。信乃の娘は、その末息子と結婚した」


「そのあとの戸神家の血筋は、みんな、この二人の子孫ね。つまり、今の戸神家の人たちは、全員、信乃さんの子孫でもある。信乃さんは憎い相手を呪ってるつもりで、自分の子孫を祟ってることになるの? そんなの……悲しすぎる」


「死んでしまった人間には、そういう情は残ってないんだろうよ。死の瞬間の無念の思いだけが、この世に、しがみついてるんだ」


 たしかに、話の通じる相手ではない。


「とにかく、祟りは現実に存在する。以前は夜な夜な、信乃の霊が、この家のなかを歩きまわったらしい。それを見て心臓発作で死んだ人間もいるんだとか。怨霊になった信乃は、犬をあやつる力も得た。犬をあやつってみろと、正妻に、あざけられたのが、よほど悔しかったんだろうな。

 もちろん、戸神家の人間も、ただ殺されてるわけにはいかない。いろいろな手立てで、信乃の霊を鎮めようとした」


 ユキは思いだした。

 おばあちゃんが食べられたと言ってた家政婦。早く鎮めてもらわないと話していた。


「鎮める方法があるのね?」

「条件つきだが、ある」


「どうしたらいいの?」

「戸神の人間には、信乃の娘から受け継いだ呪術的な力がある。そもそも、庄屋の末息子だけが呪い殺されなかったのも、信乃の娘が守ったからだ。信乃から続く呪術力を持つ人間には、犬神を抑えることができるんだ」


「もしかして、塚をさわると祟る力を得ることができるのって、戸神家の人限定なの?」


 玲一は、うなずく。

「戸神の人間が、あれにさわると、犬神に憑依される。同時に呪術の力で、犬神を自分のなかに封じることもできるんだ。とくに子どもは霊的な力が強いから、犬神をコントロールすることができる」

「戸神くん、中学のころ、犬をあやつれたってウワサだよ」


 それには答えず、玲一は話を続ける。

「そのことに先祖たちも気づいた。それで、わざと子どもに塚をさわらせて、祟りを抑えこむことにした。子どもが成長するまでは、犬神は、おとなしい」


「でも、それって一時的なものでしょ? ほんの十年か、長くても二十年か……」


「そう。大人になると呪術の力が薄れる。憑かれた人間は犬神に支配される。自分自身が犬神になるんだ。そして、信乃の霊に、あやつられる。そうなると村は地獄さ。戸神の人間だけでなく、村じゅうが標的だ。誰かれなく犬神に食い殺される。信乃を殺害するのには、村人も加担したから」


「でも、玉館くんたちは? この村の住人じゃないけど」

「そりゃ、恨みを買ったからだろ。犬神の。ふざけて塚を荒らしたんだから」

「わたしたちも同罪ってわけ? だから夢に出てくるのね。あの夢に現れる黒い影。あれが信乃さんの霊なの?」


 玲一は少し迷った。それから、首をふる。


「いや。あれは、あやつられてる犬神の化身だ」

「戸神くんじゃないの?」

「おれじゃない」

「でも、今、村で犬神が、あばれてるんでしょ? 家政婦さんたちが話してた」


 玲一は、うつむく。

「さっきの話の続きだけど。子どものときは犬神を抑えておける。だけど、大人になると抑えられなくなる。なら、どうやって永続的に犬神を抑えるんだと思う?」


「えーと……次の子どもに、また封じさせるのかな」

「半分、正解。犬神を封じてる者は、必ず十代で子どもを残すんだ。その子どもが、次の依りまし役になる。依りましの子どもなら、その子も呪術力の強い子になるからね」


「半分っていうのは?」

「新しい依りましが三歳になると、前の依りましは必要なくなる。大人になって、犬神になる前に、始末されるんだ」

「それって……」


 ユキは、そのさきの言葉を続けることができない。

 かわりに、玲一が言った。


「殺すんだ。そうすることで、依りましごと犬神を消す。村は平穏が保たれる。それが、この村のルールだ」

「ひどい。それじゃ、生贄いけにえじゃない」


「しかたないさ。一人の命で村人全員が救われるんだからね。だが、そうは言っても、親は自分の子どもを生贄にしたくない。それは戸神の人間だって同じだ。自分の手元で育てなければ、あまり情は移らないだろ。だから、依りましが十八になると、ある儀式をおこなう。次のいけにえを作る儀式だ。相手は村人のなかから、お告げで選ばれる——というのは建前だね。たいていは、貧乏人とか若い未亡人とか、弱い立場の村人が金で買われるんだ」


 ハッとした。

 イトコなのに、家系図に名前の載ってないリヒト。


「それ、リヒトくんのことじゃ……」

「玲太郎の異母弟、玲次郎が先代の依りましだった。リヒトは、その玲次郎と、坂上律子の子どもなんだ。生まれながらに十代で死ぬことを運命づけられた子どもさ」


 そう言われれば、わかる。

 リヒトのあの翳のある性格。

 だった一人で巨大な重圧に抗おうとしているようなふんいき。

 そんな重い運命を背負っていれば、誰だって、そうなる。


「リヒトは次世代の依りましを作る儀式まで、坂上家で育てられることになってた。でも、自分の運命は子どものころから知ってた」


 だまって聞いていたアユムが口をひらく。

「だいたいの事情はわかった。じゃあ、今、なんで犬神が、あばれてるんだ? リヒトが封じてるんじゃないのか?」


「霊力の強さには個人差がある。ふつう、二十歳くらいまでは大丈夫なんだが……たまに、それより早く犬神化する依りましもいる。リヒトは始末される前に、犬神になった」


「犬神になって、村人や恨みのある玉館たちを殺してまわってるのか?」

「そういうこと」


 思わず、ユキは叫んだ。

「そんなはずない!」


 しッと、玲一に叱責される。

「誰かに聞かれたら困る」

「ごめんなさい。でも、リヒトくんは犬神なんかじゃなかったよ。ちゃんと人間だったし、話もできた」


 玲一は考えながら言う。

「ときどき理性をとりもどしたときだけ、人間の姿に戻ってるのかもしれない」

「違うと思うけど。リヒトくんは、そんな人じゃ……」


 でも、そこで、思いだす。

 玉館が殺されたとき、ひろった写真のことを。玉館の死体が写っていた。あの写真を落としたのは、リヒトかもしれない。


 ユキがだまると、玲一が話しだした。


「そんなわけで、今、村では犬神が、あばれまわってる。アイツにあやつられる前に、村じゅうの犬を殺した。でも、そんなことでは止まらない。前のときも、そうだった」


 アユムが問う。

「そうそう。前のとき、家政婦のばあさんが食われたんだってな。それって、いつなんだ?」

「二十年ちょっと前だね。玲次郎が、とつぜん犬神化してしまった。玲次郎は多少、理性が残ってたから、自ら殺されることを望んだ」


「じゃあ、そのときは、すぐに鎮まったのか?」

「あのときは、リヒトが塚にさわって、封じた」


 そう言えば、ハルナが言ってた。

 肝試しの夜、塚から出てきた黒い影は、リヒトの体に吸いこまれるように消えたと。


 ユキはたずねた。

「リヒトくんが、さきに依りましになったから、戸神くんは犬神に憑依されずにすんだの? だって、あの夜、戸神くんも、さわったよね?」

「あのとき、おれは塚の近くに倒れた。けど、さわりはしなかったんだ。倒れたときの衝撃で、塚がグラついて」

「ふうん……」


 なんとなく、納得できない。

 が、リヒトが犬神だと言われたショックが、まだ続いてる。


(あれ? でも、変。坂上家で見た、あの目。あれって犬神だよね。あのとき、リヒトは、どこにいたっけ?)


 たしか、外で物音がして、リヒトが見に行った。その直後、ユキは屋根裏から、のぞく目に気づいた。ユキの悲鳴でリヒトが帰ってきたときには、双眸は消えていた。


 いちおう、つじつまはあう。

 最初の物音さえ、何かの聞きまちがいだとすれば。


 ぼんやり考えていると、玲一が言った。


「リヒトに会ったと言ったろ? たのむ。あいつを始末したいんだ。協力してほしい」


 助けてほしいというのは、そういう意味のようだ。

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