四章 1—2

 *


 入浴後、ユキは玲一を待つうちに、うたたねしていた。


 浅い眠りのなかに、見知らぬ風景が見えた。いや、知らないわけでもない。もしかしたら、このF村かもしれない。町並みが違うから、最初は気づかなかった。

 なにしろ、どの家も、かやぶきだ。車や電柱が一つも見あたらない。道は細く、アスファルト舗装されてない土の道だ。


 昔話の風景のなかを男女が歩いていた。時代劇みたいな格好をしてる。着物に風呂敷包みを背負い、笠をかぶった旅姿。


 男は腰に刀をさげた武士だ。

 女はその妻か妹だろうか。とても、美しい。

 なんとなく、わけありのようすだ。駆け落ちか、仇討ちか。ふつうの旅人のようではない。


 画面は紙芝居のように切りかわる。静止画まじりの動画の感じ。いくつかのシーンが、次々に現れる。


 村の庄屋らしき金持ちの家に、男女は招かれた。だが、美しい娘を見る庄屋の目つきが不穏だ。


 かぶさるように、血まみれの武士の映像。

 むりやり庄屋の愛人にされる娘。


 そのあとは切りかわるのが速すぎて、映像の意味を理解してるヒマがない。

 黒い犬のようなものや、何かに祈る娘の姿が、一瞬、浮かんでは消える。


 そして、溶暗。

 暗闇のなか、何かが、うずくまっている。

 白く光をてりかえす双眸で、こっちを見つめてる。


 そこで、ハッと目がさめた。

 誰かが枕元にすわってる。

 ユキは悲鳴をあげた。その人が、ユキの口を手でふさぐ。


 よく見ると、玲一だ。しッと人さし指で、静かにするようゼスチャーする。

 夢の続きかと思ったが、勘違いだったようだ。


 ユキは、うなずいた。玲一が手を離す。


「話をするって約束したろ?」

「ごめん。布団に入ったら、寝てた」


 ユキは、となりで寝ているハルナを起こす。あいだの襖をひらくと、アユムはユキたちの気配で起きてきていた。


 ユキたちの部屋に三人がならぶ。

 すると、いきなり、玲一はタタミに両手をついた。


「どうか、助けてほしい」


 ユキたちは顔を見あわせる。

 そんなこと言われたって、助けてほしいのはこっちだ。


「わたしたちに何ができるの? 呪われてるのは、わたしたちなのに」

「この村にいたら、呪われてなくたって殺される」


 いよいよ物騒なことを言う。


「どういうこと?」

「この村は、アレに取り憑かれてる」

「アレって?」


 夢に出てきた、アイツだろうか?

 でも、それは玲一ではなかったのか。


「ほんとのことを教えて。わたしたちを呪ったのは、戸神くんじゃないの?」


 玲一は、ためらっている。


「言ってくれないと、わからないよ」

「もちろん話す。どこから話すか、考えてたんだよ。わかった。始まりから話そう。長くなるけど」


 そう言って、玲一は顔をあげた。


「今から約二百年前。この村に、ある夫婦がやってきた。若い侍と美しい妻だったそうだ。侍は伊尾崎宗右衛門。妻は信乃と名乗ったそうだ。でも、本名じゃないかもしれない。二人は事情があって逃亡してるみたいだった。駆け落ちか、敵討ちか、そんなことで人目を忍んでいた」


 ユキは、ハッとした。

 それは、まさに、さっき見た夢の内容だ。

 アユムとハルナも息をのむ。二人も、あの夢を見たのだ。


「それ、さっき、夢で見た。奥さんに横恋慕した庄屋が、侍を殺すんでしょ? 奥さんは愛人にされた」


 あっさり、玲一は肯定する。


「君たちも、だいぶ夢の干渉が進んでるんだな。それなら話が早い。じゃあ、その続きから話そう。まんまと信乃を妾にした庄屋だが、それからだ。この村で恐ろしいことが起こるようになったのは。伊尾崎夫婦は、犬神を信仰してたんだ」


「犬神……そういうの、地方では、まだ残ってるらしいね。ニホンオオカミを信仰するんだっけ?」


 ユキが言うと、アユムが首をふった。寺の息子だから、そういうことには詳しい。


「それは狼信仰だろ。狼信仰は、たしか東北とか関東に多いんだ。犬神は、どっちかっていうと西日本だよ。それに、犬って言っても、実物の犬じゃないんだよな」


 よくわからなかったので、すかさずネットで検索する。ずらりと並ぶ項目を、ざっと見る。

 わかったのは、犬というより狐。陰陽師の使う管狐に近いものだということ。人に憑依して妖しい言動をさせたり、呪術に用いられる。


「なんか思ってたのと違う。ちょっと怖いなあ」


「昔のことだから、精神に異常をきたしてる人を、狐が憑いたとか言ってたんだろ」と、アユム。


「大部分は、そうなんだろうけど。でも、それだけでは説明できない例もあるんだって。本人が知るはずないことを知ってたり。憑きやすい家系とかあって、その力で占いや呪術で生計を立ててたって書いてある。そうなると、もう霊媒師だよね。起源は陰陽師じゃないか、だって」


 スマホをのぞきこんでたユキは、ふと気づいた。

 その現象、もしかして……。


「石碑をさわると祟る力を得るのって……」


 玲一は、うなずいた。

「犬神に憑かれるんだ」


 それで、いろいろ納得がいった。

 ハルナの見た犬のような黒い影。それが、まさに犬神だったのだ。


「ほんとに存在するの? 犬神なんて。言い伝えや迷信じゃなく」

「現に、この村では、それが起こってる。君たちの身にも。そうだろ?」


 ユキは返す言葉を失った。

 玲一は続ける。


「信乃が、その家系だったみたいなんだ。犬神の依りましになって、呪術をおこなう。夫を殺された信乃は、その力で庄屋一家に復讐を始めた。庄屋が病気になり、息子が大怪我した。そこで、かねてから信乃をねたんでた正妻が、信乃を殺させた。邪悪な祈祷師だと言って、村じゅうに、さらしものにしてね。魔女狩りに、かこつけたわけだ」


「復讐に復讐で返したのね」


「それが間違いだった。信乃の気がすむまで復讐させておけば、よかったんだ。そうしたら、少なくとも一家断絶くらいですんだのに」


 玲一は皮肉に笑う。


「どんな方法で、信乃を殺したと思う? よりによって、犬に噛み殺させたんだ。そんなに犬神が頼りなら、この犬をあやつってみろって。熊を狩るときに使ってた、大きな黒犬に襲わせたそうだ。それは凄惨な死体だったらしい。信乃は最期まで、庄屋一家を呪いながら死んだ。末代まで祟ってやると叫びながら」


 玲一は、ため息をついた。


「おわかりと思うが、その庄屋ってのが、うちの先祖だ。信乃が死んだあとすぐ、庄屋は病状が悪化して死んだ。息子も怪我がもとで死んだ。それどころか、ほかの子どもたちも、次々に不慮の死をとげた。恐ろしくなった正妻が、神社の裏に塚をたてた。が、祟りはおさまらなかった。末期の信乃の言葉どおり、今でも続いてる」

「そんな……」


 玲一は口をゆがめる。


「もともと呪術的な力を持ってた女だからね。惨殺されて、怨念が、とどまることなく増大してしまったんだ。まったく、おろかな先祖をもつと、子孫は苦労するよ」


 ユキは聞いてみた。

「じゃあ、あの家系図で名前をぬりつぶされた人たちが、呪いで死んだ人なの?」


 それにしては、庄屋や息子の名前は消されてなかった。


 玲一は、また、しばらく考えこむ。

「……いや。違う。じつは、信乃には娘がいたんだ。伊尾崎とのあいだの子どもだ」

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