四章 呪われた村
四章 1—1
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宿直用の仮眠室をぬけだし、ヨウタは地下へ向かった。
夜間の病院は無機質で冷たい。
非日常の空間に迷いこんだような気分になる。
あるいは、悪い夢。
まだ信じられない。
司法解剖のために運ばれてきた、あの死体。
「また変死体だってよ。それも今までのなかで、一番、ひどいって」
先輩医師が、そう言っていた。
先輩の口から遺体の名前を聞いたとき、まさかと思った。
そんなはずはない。何かの間違いだ。
ユキやアユムが呪いだ祟りだと、さわいでいたが、この世に呪いなんて存在しない。
(きっと同姓同名だ。人違いに決まってる。リンカのわけない)
すでに解剖は終わっている。
遺族が引き取りにくるまで、時間がかかるという。
今なら、誰も剖検室にいない。
ヨウタはエレベーターをさけた。人の使わない階段を通って、地下へおりた。夜間照明の暗い階段に、自分の足音だけが響く。
地下におりると、さらに照明は暗くなった。ここには古い備品室や遺体安置所などがあるだけだ。
細く暗い廊下の端に立つ。
一番奥の剖検室から出てくる人影が見えた。白衣を着ている。まだ誰か残っていたのか。教授か誰かだったら、どうしようと思った。
が、そのまま人影は見えなくなった。どうやら、奥のエレベーターに向かったようだ。
安心して、また歩きだす。
備品室や遺体安置所の前を通りすぎる。剖検室の前で、ヨウタは深呼吸した。リンカの遺体は、まだ安置所に移されてない。このなかにある。
ドアをあける。照明はつけたままだ。
コンクリ打ちっぱなしの殺風景な室内。
なかは無人。血の匂いが鼻につく。
研修のとき、この部屋に入ったことはある。が、こんなに気持ちが高ぶったのは初めてだ。
見たくない。でも、見なくては。
子どものころから、ずっと好きだった人の最期の姿を。
小学校の入学式で初めて見た。なんて可愛い子だと思った。一人だけ、とびぬけていた。中学、高校に上がるにつれ、美貌はますます輝いた。
だから、ヨウタは知っていた。自分がリンカにふさわしくないことを。どんなに、あこがれても、ムダだということを。
女なら誰でもいいふりして、かるく、くどいてみたりもした。が、やっぱり歯牙にもかけられなかった。
リンカはメンクイだから、ちょっと太めで平凡な自分なんか、相手にされるわけない。せめて、アユムくらいの容姿なら、まだ望みもあったのにと、ずいぶん悩んだ。
でも、それも、すべて終わったのだ。
リンカは死んだ。もう、この世にはいない。
あるいは自分は、それを確認したいのかもしれない。
運ばれてきた遺体は、『メシも食えなくなる』という状態らしい。
崇拝にも近いほど、あこがれてきた人のその姿を見れば、自分はリンカから解放されるのではないかと。
かなうはずのない思いに終生、しばられるのは、ごめんだ。もう自由になりたい。
ヨウタだって気づいていた。
リンカは見ためはバツグンだけど、性格には問題があったことを。
だから、すっぱりとリンカのことは忘れてしまう。そこそこ可愛くて、優しい女の子を次は好きになる。
そのために必要な儀式なのだ。
ヨウタは白布のかけられた台の前に立った。布に手をかける。思いきって、めくった。
わッと悲鳴があがるのを抑えられなかった。
ヒドイなんてもんじゃない。
すさまじい死体だ。原型なんて、とどめてない。
解剖なんてする必要もないほど、コマ切れだったろう。縫合された今でも、かなりの部分が欠損してる。
(リンカ。おまえ、いったい、どんな死にかたしたんだよ……)
そう思うと、涙があふれた。
「リンカ……リンカ……」
なんで、おまえが、こんなめに……。
ヨウタは死体のかたわらで泣き続けた。泣きながら、白布をかけなおす。
もう充分だ。これ以上、見ていられない。リンカは、この姿を誰にも見られたくなかっただろうし。
すると、そのとき、
「泣いてくれるの? わたしのために」
耳元で声がした。
ヨウタは、とびあがるほど驚いた。まわりを見まわす。もちろん、誰もいない。
空耳か? わからない。が、このまま、ここにいてはいけない。はっきり、そう感じる。
立ち去ろうとするが、体が動かない。金縛りにかかったヨウタの腕を、何かがつかんだ。
たぶん、悲鳴をあげたと思う。だが、自分のしてることが、自分でもよくわからない。
「あなたも来てよ。一人じゃ、さびしい」
ヨウタは見た。
自分の手をつかんでるものを。
それは、白布の下から伸びていた。
縫合跡だらけの、リンカの手……。
リンカにつかまれたところから、いっせいに数十の噛みあとが現れた。
「わああああッ——!」
ヨウタの体は、そのまま、白布の下に、ひきずりこまれた——
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