五章 3—1
3
「リヒト……くん?」
さっきまで、そこにはリヒトがいた。
なのに、今、そこには犬神がいる。
獣のように牙をむきだした、リヒトが。
(なんで、リヒトくんが。犬神は戸神くんのはず……)
ユキは呆然としていた。
そのあいだに、リヒトはハルナに食いつこうとする。ハルナは無抵抗だ。ユキはあわてた。
「やめて! リヒトくん」
リヒトなら……それがリヒトなら、理性が残ってるはず。
子どものころに塚にさわってるから、今になって、とつぜん、犬神化したのだと考えた。
二人にかけよる。
リヒトの手から、ハルナを引き離そうとした。
すると、リヒトはユキに襲いかかってきた。ユキは動けない。
殺される——
ユキは目をとじた。
何かが間違っていて、今、こうなった。でも、どこが間違ってたのか、わからない。わからないままに観念する。
だが、その瞬間、誰かがユキの上に覆いかぶさってきた。ユキは床に倒れてころがる。
目をあけると、猛がいた。
懐剣で、リヒトに切りつけている。
リヒトは咆哮をあげ、格子戸の外へ、とびだす。
村人が悲鳴をあげる。銃声が何度かした。
村人のあいまを、リヒトは跳躍しながら走り去っていく。でも、スピードは、いつもほどじゃない。
(あ、そうか。足にケガしてたから……)
なんだろう。この不安な気持ち。
猛は、なんて言った?
犬神にケガを負わせたと……だけど逃げられたと言ってたんじゃなかったか?
猛が走っていく。
不安な気持ちのまま、ユキはあとを追った。
リヒトが向かってるのは、あの場所だ。
神社の裏手。信乃の塚のあるところ。
猛とユキのあとを、ハルナもついてくる。今のところ、村人は追ってこない。
塚の前に来た。
リヒトが立っている。
「リヒトくん!」
呼びかけるが、リヒトは正気とは思えない。犬神の形相だ。
「なんで今なの? よりによって、こんなときに犬神化しちゃったの?」
猛が首をふる。
「いや、今、急にじゃない」
ユキのほうに、一枚の写真をなげてくる。念写だ。
「前に撮ってたやつだ。そのときは意味がわからなかった」
ユキは懐中電灯の光で、写真を見た。
律子が写ってる。包丁をにぎりしめ、泣いている。足元には死体が。少年のリヒトだ。いや、もしかしたら……。
「これ、戸神くん?」
「ユキさんがリヒトから聞いた話を総合すると、そうなる。言ってたろ? 玲一は高校あがるころには、犬神化の兆候が見えたって。坂上律子は犬神化した玲一を、みずからの手で殺した。そして、リヒトには、玲一は遠くに逃げたとウソをついた」
「どうして?」
「最初から、そのつもりだったんじゃないかな。二人とも我が子とはいえ、自分の育てた子のほうが可愛いもんさ。リヒトを玲一として生かすための計画だったんだ。きっと、玲一が完全に犬神化する前だったから、この懐剣でなくても殺せたんだ」
「じゃあ、この村で、あばれてた犬神は、リヒトくんだったの?」
「本人は玲一が帰ってきたと信じてた。たぶん、今も人格はリヒトじゃない」
「二重人格?」
「というか、犬神は憑依するんだろ? ふつうなら、犬神化した人間は、肉体を失えば、役目をおえて消滅する。でも、こいつらは双子だ。玲一の霊が、双子のかたわれに乗り移って、あやつってる」
「なら、今は戸神くんの人格ね」
猛はリヒトのようすをうかがい、少しずつ間合いをつめていく。
ハルナが
「やめて。リヒトくんを殺さないで」
「これはもうリヒトじゃない」と、猛。
「でも、体はリヒトくんでしょ? お願い。傷つけないで!」
ハルナは猛にとびついていった。懐剣を猛から奪おうとする。とうぜん、力でハルナが猛にかなうわけない。
でも、そこにスキができた。
玲一に乗り移られたリヒトは、もみあう二人にとびかかる。
ユキは叫んだ。
「やめて! 戸神くん!」
とっさに、猛が体を倒した。猛とハルナは地面にころがる。二人にケガはない。
しかし、猛が懐剣をとりおとした。素手で犬神と組みあってる。
猛は強い。でも、相手は人力を超越した犬神だ。このままでは、いつか必ず押し負ける。
猛が殺される。そう考えるだけで、背筋が凍る。
ユキは懐剣をひろいあげた。
ハルナがしがみついてくる。
「やめて! リヒトくんを傷つけないで」
「はなして! ハルナ!」
この瞬間だけは、親友だということも忘れていた。夢中でつきとばす。
「ごめんね! リヒトくん——」
懐剣をふりおろす瞬間、たしかに見た。リヒトの目のなかに、理性の光がよみがえるのを。
あの笑みを、リヒトは見せた。
物悲しいような、あの……。
ほんとは知ってたのかもしれない。リヒトも。
自分と玲一が一心同体だということを。
いつか、この日が来ることを。
むしろ、それを望んでいた……。
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