三章 2—3
アユムは、とまどう。
そのすきに、玲一はアユムの手を引き離した。サングラスをひろい、急いでかけなおす。
ユキの場所からは、玲一の素顔は見えなかった。一瞬、よこ顔がチラッと見えただけだ。
でも、なんとなく知ってる人のような気がした。もちろん、少年時代の玲一を知ってるから、当然なのだが……。
「乱暴はよせよ。おれが、あんたたちに、なんかしたっけ? こんなに親切にしてやってるのに」
アユムは急に丁寧になった。
「おまえが来たら、とつぜん消えたんだ。まるで、おまえ自身がアイツだったみたいに。それか、アイツがおまえをさけて逃げだしたか。だから、無関係じゃないはずだろ? あれ、おまえが呼びだしたのか? あの石碑から?」
「何を言ってるのか、サッパリわからない」
「わかないんじゃないだろ。おまえは、おれたちが憎いんだ。あの林間学校の夜、おまえを見すてて逃げたから。玉館たちみたいに、おれたちも殺すつもりなんだろ?」
「難癖はやめてくれないか」
ようやく、ユキは気力をとりもどした。二人をなだめようと立ちあがる。
そのとき、また異変が起きた。
どこかで獣の遠吠えがする。それに共鳴するように、あちこちから犬の鳴き声が始まった。一頭や二頭じゃない。数十……あるいは、それ以上。百はいただろう。
この村の犬は、ことごとく串刺しにされたんじゃないのか?
「何が起こってるの?」
「神社のほうだ」と、玲一がつぶやく。
ユキは胃の腑が重くなる気がした。
さっき撮りそこねたシーンを撮ると言って、リンカたちは外に出ていった。玲一はその見物だったはずだ。
「神社……リンカは? 戸神くんといっしょに帰ってきたんだよね?」
祈るような気持ちで、玲一を見る。
玲一は無言で首をふった。
まだ神社なのだ。
アユムが外へ走りだす。ユキも追った。
昼間なのに、外は暗い。今にも降りそうな雲行き。
犬の咆哮は、いよいよ激しくなる。
戸神邸の門を出たときには、人間の叫び声も、はっきり聞こえた。大勢が叫んでる。
ユキたちは境内へ向かった。
社のそばに、カメラやマイクを持った人たちが立ちつくしている。悲鳴はもう、やんでいる。
その人たちのまんなかで、それは起こっていた。
社の正面に、数えきれないほどの犬が猛り狂っている。どの犬も狂犬病のように、口から泡をとばしている。
すさまじい咆哮の中心に、人間の腕が片方だけ見える。
苦悶の形に、まがった指。
すでに動いてない。
白い腕は無数の噛みあとで、血みどろだ。
ユキは立ちすくんだ。
人間が襲われてる。こんなに、たくさんの犬に。
これほどの数の犬が、この村のどこにいたのだろう。野良犬もいるが、大半は飼い犬だ。首輪をした座敷犬も多い。
ぼうぜんと見ていたユキは驚がくした。狂犬の群れに、信じられない姿を見て。
「豆太郎!」
家族同然に育ててきた愛犬が、口のまわりを血だらけにして牙をむいている。
ユキは叫んだ。
「やめなさい! 豆太郎ッ。ハウス——ハウス!」
たぶん、ぐうぜんだ。
ユキが来たときには、事は終わっていた。たまたま退却が、ユキの声にかさなっただけ。
犬たちは、とうとつに走り去っていった。
まるで誰かの命令を受けたかのように。
黒い濁流のような犬の群れが去ったあと、そこに死体があった。
全身がグチャグチャになるまで噛み裂かれ、血まみれになっている。ずるりと皮ごとむけた頭髪。骨まで見えた、むごたらしい死体。
もはや、それが誰なのか、みためではわからない。血に染まった服の切れはしや、ぬげたハイヒールから、かろうじて女だとわかる。
ユキは一瞬、見ただけで、目をそらした。
とても正視できない。
ふと、イヤな予感がした。周囲の人々をあわてて見まわす。あの遺体が誰なのか、確認するために。
何度か見かけた女性スタッフ。メイクさん。タレントのマネージャー。
それらのうしろで、しゃがみこんだハルナを見つけた。
ユキは泳ぐようなかっこうで、ハルナのもとへ行った。ハルナじゃなかった。大切な友達は生きていた。
「ハルナ……」
ハルナの肩を抱くと、安心した。
でも、そうだ。リンカは?
リンカは、どこにいるんだろう?
ふたたび、見まわす。
一人一人の顔を何度もたしかめる。納得のいく答えが見つかるまで。
(そんなはずない。きっと、どっかにいる。動揺してるから見つけられないだけ……)
しかし、リンカは見つからなかった。
恐る恐る、あの死体に目をやった。やっぱり、まともに見れない。
内蔵がひきずりだされ、片腕はちぎれ、血だまりのなかに肉片が浮いてる。
思わず、目をとじる。でも、見なければ。たしかめなければ。
あれが、誰なのか。
できるだけ細部を見ないようにして、首から上に視線を向けた。
ダメだ。とても、わからない。
ほんとに、あれが、リンカなのか?
いつも、どこでも、みんなの中心にいた。クラスではマドンナだった。
あの美貌は残酷なまでに変わりはてている。
両目もなくなり、頰や唇がかみちぎられていた。むきだしの歯が、恐怖の叫びをあげた形のままになってる。
ユキは、うなだれた。
呪いが、ついに、親友をうばっていった。
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