三章 3—1

 3



 あまりにも凄惨な死体。


 見ていられなくて、ユキは目をそらした。すると、その視線のさきに、リヒトがいた。木立ちのあいだに、すっと遠のいていく。


 あわてて、ユキは走る。

 しかし、境内を出たときには見失っていた。ほんとに神出鬼没だ。ほんとは実体のない幽霊だと言われても信じられる。


 ため息をついてると、境内にいた人たちが、ユキを追って逃げだしてきた。鳥居の外で足を止め、泣きだしたり、電話したりする。


 ユキはハルナやアユムと手をとりあった。


 そのうち、警察がやってきた。

 ユキもいろいろ聞かれたが、役には立たない。肝心なときには、その場にいなかった。


「犬の大群がやっきて、あっというまに、リンカちゃんを襲ったんすよ。おれたちには、どうしようもなかった。なあ? そうだよな?」

「百匹もの犬が人間に襲いかかったって? そんなこと信じられんよ」

「ウソじゃありませんて。そうだ。カメラ、まわってたよな? 刑事さんに見せてやれよ」


 撮影スタッフと刑事のやりとりを、ぼんやり聞いていた。


 そして、また雨がふる。

 ユキたちは戸神邸に避難した。テレビのスタッフは警察といっしょに山をおりていった。企画が変更したか、中止になったのだろう。


 アユムが言う。

「おれたちも帰るぞ」


 ユキは首をふった。

「どこに逃げても同じだよ。わたしたちは、印がある」

「でも、リンカは印、なかった。ほんとに呪いの印なのか? そんなの、わからないだろ」


「あったよ」と、ハルナが口をはさむ。

「リンカ。自分では気づいてないみたいだった。けど、このへんに、チラッと見えた」


 ハルナは背中の服で隠れるギリギリあたりを指さす。

「あれ、歯形だったよ」


 ユキもアユムも返す言葉がなくなる。

 そこへ、玲一がやってきた。


「晩ご飯できたよ。悪いけど、うちの家族と同席でいいかな」

「夕食? もう?」


 腕時計を見ると、まだ六時だ。いつものユキなら夕食は早くても七時すぎる。


「日が暮れる前に帰りたいと、家政婦たちが言うから」


 そうだ。おばあちゃんが食べられたと話していた人たち。夜には外に出るなとも言っていた。日が暮れると、何が起こるんだろう。


 とうとつに、ハルナが泣きだした。


「わたしがいけないの。あのとき、わたしが、ころんじゃったから。リヒトくん、わたしを助けようとして、あんなことに……」

「あの夜のこと? やっぱり、何かあったの?」


 ハルナは弱々しく、うなずく。


「わたし、みんなのなかで一番うしろ、走ってたでしょ?」

「柴田くんに追われて逃げだしたときね」


「あのとき、うしろで、ものすごい悲鳴が聞こえたの」

「それは、わたしたちも聞いた」


「わたしは、ふりかえった。それで、見たの。戸神くんたちがいた、あの石碑のあたりから、大きな黒い影が走ってくるのを。その影が、あそこにいた人たちのあいだを、猛スピードで、かけぬけた。たぶん、玉館くんたちは、あのとき、印をつけられた。はっきりは見えなかったけど、影に噛まれたみたいだった」


 そんなことがあったのか。


 ハルナは続ける。


「あのとき、わたし、動けなくなって。そしたら、影が、こっちに向かってきた。わたしが泣いてたら、前を走ってたリヒトくんが戻ってきた。わたしの手をひいてくれて……。でも、わたし、ころんじゃって。あの影に追いつかれた。そのとき、リヒトくんが、かばってくれた。わたしの前に身をのりだして」


 ハルナの泣き声は、いよいよ激しくなる。


「影が、リヒトくんの体を貫通したみたいに見えた。そのまま、すうっと消えてしまった。わたしのせいなの。ごめんね。リヒトくん。わたしのせいで、こんなことになって、ごめんね」


 ユキは、とまどった。

 どうも、ハルナの真意が伝わってこない。


 仮にハルナの見た影が、呪いの実体化したものだとしよう。

 それに印をつけられた者が死ぬんだとしたら、説明がつかない。


 あの夜、ユキたちは黒い影に噛まれたわけではない。なのに、リンカは死んで、リヒトは生きてる。


 ユキたちは夢で噛まれたから?

 でも、それなら、ハルナが泣くことはない。あの夜、ハルナのかわりに噛まれようと、そうでなかろうと、結果は同じだ。


 第一、ここに、リヒトはいない。


 なぜ、急にそんなことを言いだしたのか。リンカの死が、よほどショックだったせいか。


 ハルナは悪くないよと、とりあえず、ユキは言おうとした。が、わずかに早く、玲一が言いだす。


「君のせいじゃない。これは定められたことなんだ。リヒトは君を恨んでない」


 玲一が断言すると、ハルナは安心した。

 ユキは納得いかない。モヤモヤした気持ちで、二人をながめた。


「戸神くん。定められたって、どういうこと? やっぱり呪いのこと、ほんとは詳しく知ってるんでしょ? わたしたちもリンカみたいになるの? 呪いの解きかたを教えて」


 どうせ、また、はぐらかされると思っていた。ところが、意外にも玲一は承諾した。


「わかった。あとで話す。ともかく食事にしよう」


 そう言って、ふすまをあけて廊下へ出ていく。

 ただの逃げ口上でなければいいのだが。


 本人から聞ければ、これほど確かなことはない。玲一自身が呪いをかけたのかどうかをふくめ。

 桝前田の情報はムダになってしまうかもしれないが。


(そういえば、矢沼くん。そろそろ、桝前田さんに会うころじゃない? リヒトくんのお父さんから預かってるものってなんだろう?)


 それがわかれば、何かが進展しそうな気がする。

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