一章 3—2

 *


 ふたたび公園をぬけて、黒猫キッチンに戻る。パン屋は朝のラッシュアワーがおさまり、落ちつきをとりもどしていた。


 ユキは客のふりして、一人で店に入った。

 レジには運よく、元クラスメートの黒岩ユカリがいた。ユキはシナモンスティックとタマゴサンドを持っていく。


「あれ? 黒岩さんでしょ? 中学のとき、同じクラスだった。わたし、秋山だけど、おぼえてる?」

「ああっ、ひさしぶり。うん。おぼえてるよ」

「わたし、高校のころ、ここで、よくオムライス食べてた。学校帰りに」

「あのころは店の手伝いしてなかったからね」


 あたりさわりのない思い出話をしたあと、本題に入る。


「聞いたんだけど、黒岩さんって、となりのクラスの戸神くんと、イトコなんだって?」


 ユカリは苦笑した。


「違うよ。わたしは、おばあちゃんちがF村だっただけ。子どものころ、たまに遊びに行ったりしてた。まあ、玲ちゃんとは、幼なじみになるのかな。おばあちゃんにナイショで、いっしょに川で遊んだりしてた」

「なんで、ナイショで?」

「さあ? おばあちゃんが古くさい人だったからかな。玲ちゃんとは遊ぶなって、そればっかり」


 ちょっと気になった。が、遊んではいけない理由を、ユカリ自身も知らないらしい。


「じゃあ、今、戸神くんが、どこにいるか、知らないよね?」


 ユカリは声をひそめた。

「行方不明って話だよ」

「なんか、そうらしいね」


 ようやく、ユカリはユキの真意に気づいた。


「もしかして、玲ちゃんのこと、さがしてるの?」

「うん。まあ」

「だったら、坂上くんに聞けばいいのに」

「え?」

「坂上リヒトくん。玲ちゃんのイトコだよ」


 思いがけない言葉に、ユキの思考は一瞬、停止した。


 ユカリとメアドを交換して別れたあと。

「ねえ、知ってた? リヒトくん。戸神くんのイトコなんだって」

 車で待っていたアユムたちに、ユキは事情を話した。


「へえ。初耳。リヒト、みんなと一線置いたとこあったから」と、アユム。

「それはあったね、心のなかに一人で深い悲しみをかかえてるような感じ」


 じゃあ、やっぱり、あれはリヒトなのだ。

 昨日から見かける長身の男。

 テレビでも、めったに見ないような超ハンサムなのに、なんとなく、かげがある。

 それが、かつてのリヒトにダブった。


 きっと行方不明の戸神をさがしてるのだ。ということは、このまま戸神をさがし続けていれば、どこかで会えるかもしれない。

 そう思うと、急に心が浮き立った。

 さっきまで不安しかなかったのに。


「なにニヤケてんですか? ユキさん」


 矢沼に言われて、我に返る。


「ニヤケてないよ。とにかく、次、玉館くんに突撃するしかないね」

「えっ? マジか? あいつが相手にすると思うか? トオヤも言ってたろ。今でも評判悪いって」と、アユム。


「だって、ほかに手がかりなくなったんだもん。せめて、柴田くんに他のメンバーの連絡先とか聞きたかったんだけど。誰かさんがつれだすし」

「……わかったよ」


 押しきられて、アユムは車のエンジンをかける。


「玉館スーパーでいいのか?」

「よーし。スーパーのプリンス、急襲ね、マスコミの力、思い知らせてあげよう」


 勢いこんでいたのに、ユキたちは玉館に会うことはできなかった。


 駅前から車で五分。

 ビル街をぬけ、スーパーに近づいていく。

 すると、五百メートル前から異変があった。警察車両が、やたらに多い。パトカーが数台、サイレンを鳴らしながら、ユキたちと同じ方角へ走っていく。


「何かあったのかな?」


 玉館スーパーの駐車場に、ユキたちが入れたのは奇跡だ。そのすぐあとに、スーパーは封鎖された。検問が始まるギリギリ前に、店内へかけこんだ。


 店のなかは異様なフンイキだ。

 スーパーにつきものの、にぎやかな音楽はやんでる。

 かわりに客や店員が集まって話す、ひそひそ声が、さざなみのように、かさなりあっている。

 その人々をかきわけ、警官が奥へ走っていく。


 近くにいた主婦らしい女に聞いてみる。

「何があったんですか?」


 主婦は首をふるばかりだ。


 そのとき、アユムがトオヤを見つけた。たまたま、スーパーに出してるテナント店に来ていたようだ。


「ねえ、なんなの? このさわぎ」


 トオヤは周囲を気にするように見まわす。ユキたちを人ごみの少ない場所へ、つれていった。そして、青い顔で告げる。


「玉館が、死んだって」

「死んだ? いつ?」

「ついさっき、従業員が見つけたらしい。やっぱり呪いだよ。戸神の呪いだ。見たやつの話じゃ、なんか異常な死体だったってさ」


 トオヤの声は、ふるえている。


「戸神くんの呪い?」


 あの夜のことは、あの場にいなかったトオヤは知らないはずだ。呪いなんて言葉が、トオヤの口から出てくるとは思わなかった。


「だって、あいつ、ふつうじゃなかった。最初は、ただの気の弱いイジメられっ子だったのに……いつのまにか変な力、持つようになって……」

「変な力?」


 問いただそうとしたときだ。

 ユキは人ごみのなかを歩いていく、うしろ姿を見た。

 まちがいない。リヒトだ。

 背が高いので、頭ひとつぶん、群集から浮いている。


 ユキは、かけだした。


「リヒト!——待って! リヒト」


 呼びかけるが、聞こえなかったのだろうか。

 リヒトは一度もふりかえらず、早足で去っていく。


 ユキも全速力で追った。が、群集がジャマで、思うように追いつけない。

 やっと出入り口の自動ドアの前に来た。リヒトの姿は消えていた。


 ため息をついて、ユキはひきかえそうとした。そこで、足元に落ちているものに気づく。なんだろうと思い、ひろいあげる。


 写真だ。

 ポラロイドカメラで写した写真。


 それを見て、ユキは息をのんだ。

 これは、いったい、なんだろう?

 なぜ、こんなものが、ここにあるんだろう?


 写ってるのは、死体だ。

 顔に少年時代の面影がある。玉館だ。


 でも、それを見わけるには、かなりの努力がいる。

 玉館の死体は、いたるところに歯形がついていた。手にも。足にも。顔面にまで。


 大小さまざまな歯形。

 あきらかに動物のものや、もっと説明不可能なものもある。

 傷の一部は腐っている。


 人間業で殺されたとは思えない死体……。


(いったい、何があったの? なんなの? この死体。それに……)


 この写真は、なんだというのか?


 さっき死体が見つかって、もう警察が来ている。この写真を撮れたのは、警察が来る前ーーあるいは、死体が発見されるより前……。


 それができたのは、玉館を殺した犯人だけではないだろうか……?


 ふと、ユキは思いだした。

 昨日、列車内で見かけたとき、リヒトがポラロイドカメラを持っていたことに。


 まさか、この写真を落としたのは、リヒトなのだろうか……。

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