一章 3—1

 3



「柴田さんですよね? わたし、中学のとき、となりのクラスだった秋山ユキです。あなたとお話したいんです。いいですか?」


 柴田はドアチェーンをつけたまま、すきまから、にらんでいる。


「あの……柴田さん?」


 雑誌の記者と言わなかったから、かえって警戒されたのかもしれない。中学時代の口もきいたことない女が、いきなり、たずねてきたら、誰だって用心する。


 急いでフォローしようとしたとき、柴田はドアのすきまから手を出した。手招きしている。

 その手を見て、ユキはギョッとした。あのすきまから出せるほど、やつれているのか。


「いいんですか? じゃあ、おじゃまさせてもらいますね」


 門のカギはかかってなかった。

 ユキたち三人は玄関まで歩いていく。

 ようやく、柴田はチェーンをはずした。しかし、ユキたちが入ってしまうと、またすぐドアをしめ、カギとチェーンを厳重にかける。


 家のなかに一歩入って、ユキは、あぜんとした。

 カーテンがしめきられてるから、家じゅうの電気がつけっぱなしだ。なのにクーラーがかかってない。おかげで午前の早いうちなのに、蒸し風呂のように暑い。

 さらに、柴田は長袖を着ていた。ちょっと正気とは思えない。


「やんなるね。夏なのに、なんで、こんなに寒いんだろう」


 柴田は事実と反対のことをつぶやいた。しきりに魚眼レンズをのぞきながら。


 もしかして……いや、たぶん百パーセント、柴田は精神を病んでいる。

 これはマズイ。いきなり刃物をふりまわされたら大変だ。


 家のなかは静かで、家族がいる気配はない。

 こんな状態の息子を残して、両親は仕事に行ってるのだろうか? 柴田の母親が、まだ玉館スーパーに勤めてるのか、母に聞いておけばよかった。


「ご家族はおでかけですか?」


 柴田はそれに答えない。かわりに、

「あんたたちにも、アレが起こったのか? だから来たのか?」

「は? アレ?」

「とぼけるなよ。あんたたち、あの夜、見てただろ。ほんとは顔、見えてたんだ。けど、玉館には、誰かわかんなかったって、言っといてやったんだ」


 ハッとした。いきなり、相手から核心をついてくるとは。


「それって、あの林間学校の夜だよね?」

「ほかに何があるっていうんだ。やっぱり、やっちゃいけなかったんだ。おれ、最初からイヤだったんだ」


「戸神くんのことね? 玉館くんに命令されてたんでしょ?」

「そうだよ。あの夜だって、おれは、やめようって言ったんだ。ぬけだしたの先生にバレたら困るしって。でも、玉館は聞かなくて……」


「さわると祟られるって石、あなたたち、戸神くんに、さわらせたの?」

「………」


「わたしたち、肝心なとこは見てないのよ。あのとき、ほんとは何があったの?」


 柴田はモグモグ言いながら、首をふる。


「……知らない。おれも見てないんだ。あんたたち、追っかけてたから」

「でも、ものすごい悲鳴、聞こえたよね?」

「聞こえた。それで、ふりかえったときには、玉館たちは、みんな地面に、ひっくりかえってた。腰ぬかしたみたいになって……あのときのこと、みんな、話したがらなかった。どんなに聞いても」


 そう言って、柴田はユキを見つめる。

 暗い空洞のような目に、ユキはゾッとした。


「でも……あれ以来、アイツが来るんだ」

「アイツ?」

「あんたたちのとこにも来るんだろ? だって、あそこにいたもんな。だから、同じなんだ……」


 息が止まるかと思った。

 あの場にいたというだけで、同罪なのか? 柴田や玉館たちと?


「そんなの来ないわ! 変なことなんて、なんにもない」


 強がって言ったあと、ユキは思いだした。昨夜の塀の上にいた生き物。そのあとに見た夢……。


 柴田はユキの動揺を読みとった。

「やっぱり来るんだ。みんな、死ぬんだ。あそこにいたやつは、みんな、アイツに殺されるんだ。だって、アイツが、そう言うんだから……な? そうだろ?」


 柴田がユキの腕をつかんでくる。ものすごい力だ。痛みにユキは顔をしかめた。

 急いで、アユムが柴田の手をもぎはなす。そのとき、柴田の服の袖が、めくれあがった。シャツの下にあったのは、無数の歯形だ。柴田の腕は紫色になって、はれあがってる。


 柴田は、ひるんだ。

 そのすきに、アユムが玄関のカギをあけた。ユキの肩をかかえて、外へつれだそうとする。


「待って。アユム。まだ話が——」


 しかし、アユムは有無を言わせず、外へとびだす。あとから矢沼が追ってくる。

 門を出たところで、ふりかえる。が、柴田は追ってこない。


 アユムが言った。

「あいつ、完全に、いってるよ。あの腕、自分でやったんだ。人間の歯形だろ」


 そう言われれば、そうだった。動物のものにしては犬歯のあとが浅かった。大きさも、ちょうど成人男子の歯形くらい。


「戸神をいじめてた良心の呵責が、あいつに、そうさせるんだ。きっと」


 そう考えると説明はつく。

 だけど、ユキは完全に納得したわけじゃない。


(だって、じゃあ、昨日のあの生き物は? 夢のことも……)


 さっき、柴田は気になることを言った。

 あの夜、あの場にいた全員が殺されると。

 アイツが、そう言ったんだと。


(ほんとにそうなら、わたしたちも……)


 ユキは身ぶるいした。


 そして、無意識に、柴田につかまれた腕をさする。


「痛むのか?」

「ちょっとね。すごい力だったから」


 袖をめくると、くっきり指のあとが残っている。


「アザになってるよ。やんなるなあ」


 言いながら、ユキは柴田の家に目を向けた。二階の窓辺に女が立っていた。カーテンのすきまから、こっちをのぞいてる。髪の長い、白っぽい服を着た女だ。


「ねえ、あそこ、女の人がいる」

「え? どこに?」

「あそこ。二階のカーテンの——」

「そんなの、いないけど」


 女の姿は消えていた。


「さっきは立ってたんだけど」

「家族がいたなら、柴田を出させないよ」

「まあ、そうだよね」


 見間違いにしては、リアルだったけど……。

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