五章 1—2

 *


 一人になったユキは歩きだした。

 村の入口まで戻らなければ。

 物陰づたいに進んでいく。


 それにしても、行きにくらべて、村人の数が少ない。ほとんど、すれちがうこともない。みんな、犬神退治に向かったのか。それとも……。


 材木置場に続く杉並木の道まで来た。

 そこからは懐中電灯をつける。

 とたんに、光の輪のなかに人影が浮かびあがる。


 玲一だろうか? それとも、リヒト?


 ユキは立ちすくんだ。

 人影は、ゆっくり、こっちに近づいてくる。数メートルの距離まで来たのを見て、ユキはおどろいた。


「あれ? ヨウタ? どうしたの? 夜勤で来れないんじゃなかったの?」


 声をかけてから、ユキは気づいた。

 この雨のなか、ヨウタは白衣を着てる。いくら医者だからって、あまりにもおかしい。


「なんで白衣なの? まさか、夜勤の途中で抜けだしてきたんじゃないよね?」


 ヨウタは答えない。

 顔色が妙に青い。

 ユキは薄気味悪くなった。


「ねえ、なんで、さっきからだまってるの?」


 それでも、まだ答えない。沈黙のまま、じっとユキを見ている。こんなヨウタ、初めてだ。


「ねえ? どっか、ぐあい悪いの?」


 近づきかけて、ユキはドキリとする。

 ヨウタのうしろに、もう一人、立ってる。女だ。うつむいていて顔は見えない。でも、似てる気がする。信じられないが……。


(まさか。そんなはずない。だって……)


 死んだから。


 ユキの知るその人は、たった一日前に死んだ。ユキの目の前で。


 女が顔をあげた。まちがいなかった。


「リンカ!」


 二人が、近づいてくる。すっと地面をすべるように。

 そして、両側からユキの手をつかんだ。腕に痛みが走る。見ると、つかまれたところに歯型がついていた。


 ユキは悟った。

 リンカだけじゃない。ヨウタも、もう、この世の人ではないと。二人とも犬神に殺され、あやつられてる。


(次は、わたしの番なんだ……)


 抵抗する気力もわいてこない。

 ただ、あまり苦しい死にかたはしたくないなと思った。


 二人はユキをどこかへつれていこうとする。村の方向だ。きっと犬神のもとへ行く気なのだ。懐剣もないし、どうしようもない。


 とつぜん、誰かが耳元で叫んだ。

「行けよ! 今のうちに」


 いつのまにか、かたわらにアユムが立っていた。青ざめた顔で。

 アユムはヨウタをはがいじめにして、ユキから引き離す。


「アユム……」


 知らず知らず、涙がこぼれてくる。


 アユムが、ここにいる。今ごろ、病院にいるはずなのに。


 なぜ、いるのか?

 その答えは、ひとつだ。


「あんたも……死んじゃったのね」


 きっと、搬送先の病院で、また襲われたのだ。


 リンカやヨウタのことも悲しい。

 でも、なんだろう?

 アユムが犬神に殺されたと知ったときのこの感情の乱れは。リンカたちのときとは違う。


「ごめんね。アユム……」


 ふたたび、アユムが叫ぶ。

「早く! おれも、いつまで抵抗できるか」


 そう言うアユムの顔に、ひとつ、歯型が浮きあがる。アユムは何かの呪縛に抗うように苦しみだした。


「はや……く……急げッ!」


 アユムの手足に、続けざまに歯型が浮かんでくる。もう抵抗が難しいようだ。


「ありがとう。アユム……」


 ユキはリンカの手をふりはらった。全力でかけだす。

 背後から、リンカが追ってくる。すぐあとには、ヨウタと、アユムも。


 材木置場につくと、急いで車に乗りこむ。

 しかし、タッチの差で、ヨウタの手がドアをつかむ。昨日までの友達。でも、ためらってるヒマはない。


 ユキは思いきってドアをしめた。両手で、全体重をかけて。ブツンと、いやな感触があった。ドアが閉まる。すかさず、ロックをかける。あやういところで車内に逃げこめた。


 三人は車をとりかこんで、窓をたたいてくる。アユムも、もう完全にあやつられてる。


 ふるえる手で、キーをさしこむ。スペアキーだ。エンジンをかける。車の運転なんて、何年ぶりだろう? 教習所以来だ。


(ええと……ギアをドライブにして、なんだっけ? そうだ。サイドブレーキをおろすのか)


 おぼつかない感じでアクセルをふみこむ。いきなり、急発進した。何か手順が違ってたみたいだ。クリープ現象で発進とかなんとか、一瞬、頭に浮かぶ。

 でも、おかげで、ゾンビたちをふりきることに成功した。材木置場をとびだし、杉並木を走りだす。

 バックミラーを見ると、青白い影が三つ、追ってきていた。でも、遅い。そのうち見えなくなった。


 舗装道路に入ったところで、いったん停車した。今、どこに猛がいるのか、確認するためだ。


 リンカたちが来てないことをたしかめて窓をあける。

 そのときになって、床にころがってるものに気づいた。手指が二、三本、イモムシみたいに、うごめいてる。ヨウタの指だ。

 ユキはドアをあけ、けりだした。


 村人たちのさわいでた声が聞こえない。

 いったい、どうしたんだろう?

 村じゅうが犬神にやられたとは思えないが……。


 猛は、どこにいるんだろう?


 犬神を倒しに行ったから、さわぎの中心にいるだろうと考えたが、これではわからない。


 ドアをしめ、発車しようとした。

 道のわきに人が立っている。


(今度は誰なの?)


 また犬神の使いか?

 いや、違った。犬神自身だ。玲一が林のなかから、あらわれ、車の窓をたたく。


「ユキさん。なかに入れてくれ」


 そう言われても、入れるわけにはいかない。

 ユキは無視した。

 玲一はいらだつ。


「早くしないと、ハルナさんがどうなるか、わからない」


 そうだった。ハルナは玲一といっしょだったはず。だが、今、姿が見えない。すでに玲一に殺されたんだろうか。


 また、泣きそうになった。が、そこで気がつく。よく見ると、窓の外の玲一は包帯をしてる。さすがに、サングラスは外しているが。


(さっき出会ったときは、包帯もサングラスもしてなかった。別人?——なわけないか……)


 よくわからなくなった。


 そういえば、まだアルバムの写真を確認してない。リヒトが赤ん坊のときの写真。そこに秘密が隠されているのかもしれない。


 ふと、バックミラーを見ると、青白い人影が三つ、こっちに近づいてきてる。


「ユキさん! 早く。ハルナさんを助けないと」


 しかたなく、ユキはドアロックをはずした。玲一が助手席にすべりこんでくる。急いで発車した。


「ハルナは、どこにいるの?」

「村の人たちが、屋敷を襲撃したんだ」

「それは見た」

「途中まで、ハルナさんと逃げてたんだ。でも、静子さんのことが心配で、おれ一人で帰ったんだ。そのあいだに、村人につかまってしまったみたいだ」


 なんで、ずっと、ハルナといっしょにいなかったの——とは言えない。静子は玲一の実の母だ。


「君たちが町に戻るとき、静子さんだけでもつれていってもらっとけば、よかった。この村から逃がしておけば……」


「静子さんは、どうなったの?」

「屋敷の人間は、みんな、つかまった。一室に集められてるみたいだ。何をされるか、わからない」


「じゃあ、ハルナも、そこに?」

「たぶん。でも……」

「でも?」


 玲一は言いにくそうに、くちごもる。


「……村の人は、おれをつかまえて、むりやり儀式をさせるつもりなんだ。ハルナさんは、そのニエかも」

「ニエって、生贄?」

「君の考えてるようなのじゃない」

「じゃあ、どんなの?」


 玲一は、だまりこむ。

 ユキは気になってることを切りだした。


「さっき、会ったよね?」

「いつ?」

「三、四十分前。リヒトくんの家に向かう途中の道で」


 瞬時、玲一は言葉につまる。


「それ、ほんとに、おれだった?」

「包帯してなかったから、ケガしてたんじゃないのねって聞いた。そしたら、ケガなんてしてないって答えたでしょ?」


 ふたたび、玲一は、だまりこむ。今度の沈黙は長い。

 やがて、低い声で沈黙をやぶる。


「それは……リヒトだ」

「そんなわけないよ。どう見ても、戸神くんだったよ? 素顔、見るの、初めてだったけど」

「おれとリヒトは、イトコだから」

「イトコって、そんなに似てるもんじゃないよ」

「おれとリヒトは……似てるんだよ」


 いくらイトコだからって、あれはそういう域の相似じゃなかった。


「とにかく、屋敷に行こう。静子さんとハルナさんを助けなくちゃ。そこの道、右にまがって。屋敷の裏手に出るから」


 玲一の道案内で、ユキは車を走らせた。


 暗闇のなかで、村は異様に静まりかえってる。いったい、どうなってしまったんだろう。さっきまで、あんなに、さわがしかったのに。


「ここで車は降りよう。屋敷の近くには、誰か見張りがいるかもしれない」


 屋敷の百メートル離れたあたりに空き地があった。かたすみにお地蔵さんが立っている。その草むらに車を停める。


「ちょっと待って」


 ユキは玲一をひきとめた。猛のボストンバッグから、アルバムをとりだす。

 それを見て、玲一がギョッとした。


「なんで、それを君が持ってるんだ」

「なんでって言われても、こまるけど」

「返せ」

「戸神くんの物じゃないよね?」


 玲一は返事にきゅうする。


 ユキはアルバムを小脇にかかえた。懐中電灯はつけずに持ってでる。


 屋敷をかこむ漆喰の塀が、ほのじろく闇に浮かんでいる。外から見ても、村人はいない。無人のように静かだ。


「誰もいないみたい」

「急ごう。いやな予感がする」


 ユキの胸も、ざわついていた。

 この静けさには、何かわけがありそうな気がして。


 裏口から屋敷に侵入した。

 予感は的中していた。


 一歩、邸内に入ったとたん、血の匂いが鼻をついた。

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