五章 鎮めの祭
五章 1—1
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暗闇にまぎれて村に潜入した。
あいかわらず雨は激しく、ふり続いている。ときおり、ひらめく雷鳴。その光をたよりに進んでいく。
めざすのは、戸神邸だ。とにかく、玲一やハルナと合流しなければ。
しかし、ようやく、たどりついたとき、戸神邸は村人に占拠されていた。
屋敷のなかを大勢が動きまわっている。周囲も懐中電灯の光が、たくさん集まっていた。
ものかげに隠れるユキたちの前を、十人ほどの村人が通りすぎる。ギョッとした。手に猟銃を持ってる。
「玲一は見つかったか?」
「いや。まだだ。なかは、どうだ?」
「屋敷のなかには、いないそうだ」
「まったく。どこ行ったんだ」
そんな話し声が聞こえる。
男たちが見えなくなるのを待ち、ユキはささやいた。
「戸神くんをさがしてる」
「戸神玲一は今現在、犬神を鎮めることのできる唯一の存在だろ。だから、つかまえて、むりやりにでも鎮めさせるつもりなんだ」
猛の言うとおりだ。
きっと、玲一は、どこかに隠れたか、逃げだした。
「戸神くん。逃げたみたいね」
「逃げたのか、たまたま外出してたか」
ユキは思いだした。
「リヒトくんの隠れていそうな場所のこと、話してたっけ」
「あの家かな? 坂上の自宅」
猛は察しがいい。さすがに探偵だ。
「うん。そこで寝泊まりしてるかもって。もしかしたら、ようすを見に行ったのかも」
「ほかに手がかりもないし、屋敷には入れない。行ってみるしかないか」
「でも、ハルナは無事なのかな?」
「戸神といっしょに出かけてたことを願おう」
「そうだね」
そもそも、なぜ、村人たちは急に暴動を起こしたんだろう。今日の夕方までは、少なくとも夜間外出しないことで安心してたはずだ。
そのわけは、坂上家に向かう途中でわかった。中学校へ続く坂道の前の十字路。一軒の家のなかから泣き声が聞こえた。血の匂いもする。
そっと近づいて、なかをうかがった。母親が小さな子どもの死体を抱きしめている。犬神にやられたと、ひとめでわかる死体だ。
「……子どもが犠牲になったのね」
それも、一人二人ではないようだ。なかは見なかったが、ほかにもそんな家があった。
ユキたちが村を離れていた数時間のあいだに、立て続けに犠牲者が出たのだろう。
猛が言う。
「昼間、しらべたときは、一人暮らしの老人や身よりのない人しか殺されてなかった。それで、ガマンできてたんだな」
子どもが犠牲になって、村人の怒りが爆発したのだ。
そっと、その家を離れた。
坂道をのぼっていく。
途中で折れて、リヒトの家に向かう細道に入る。雑草だらけの、でこぼこの土の道。豪雨のせいで、ぬかるんでる。いよいよ歩きにくい。
「気をつけて。ころばないように」
猛が手をにぎってくる。
さりげない優しさが嬉しい。
しかし、そのあたたかい心地は一瞬だった。
雷鳴がひびき、夜道をてらした。
前方に人影が見えた。村人だろうか。
それにしても、いやに全身が青白く見えた。稲光に照らされたせいだろうか?
「どうしよう」
「相手は一人だ。おれが、なんとかする」
そう言って、猛は懐中電灯をつけた。
やはり、人影がある。道端に立ちつくしてる。近づいていくと、それは玲一だった。ただ、なんとなく、いつもの玲一と違う。
「戸神くん。さがしてたのよ。無事だったのね」
声をかける。
すると、玲一は、まっすぐユキを見た。涼しげな、きれいな目。思ったとおり、とても端正だ。
そこで、ユキは気づいた。
(サングラスしてない。それに、包帯も)
素顔を見るのは、再会してから初めてだ。
「ケガしてるわけじゃなかったのね?」
「ケガ? ケガなんてしてないよ」
「ずっと包帯してたから、ケガしてるのかと思ってた」
玲一は笑った。くくくくっと、あのイヤな笑いかた。かわいそうな人だが、この笑いかただけは好きになれない。
「村の人たちが、あなたのこと、捕まえようと探してる。それで逃げてきたの?」
「へえ。村人がねえ」
変だ。玲一のようすが、おかしい。
ユキは近づいて、玲一の顔をのぞきこもうとした。
その瞬間、猛がユキの手をひいた。
「危ない!」
「え?」
おどろいて、ふりかえる。
何かが、ユキの頭上をかすめた。
猛がユキをひきよせる。そうでなければ、ユキは殺されていたかもしれない。
玲一がユキの頭上をとびこえていった。まるで獣のような速さで闇のなかに消え去る。
「……なに? 今の」
「戸神は、すでに犬神に憑依されていた。あるいは……」
玲一が犬神に?
その可能性はないわけではない。本人は否定してるが、あの肝試しの夜、玲一が塚にふれていれば……。
「でも、それなら、もう誰も犬神を封じられないじゃない」
「それどころか、村であばれてる犬神が二体になった」
たしかに、危険が二倍だ。
「どうするの?」
「戸神を追うのはムリだ。最初の目的どおり、坂上をさがそう」
玲一のことも気にはなった。が、奥に向かって歩きだす。
坂上家は森閑としていた。電灯が一つもついてない。少なくとも外から見ただけでは無人に見える。
猛が裏にまわろうと、指で合図を送ってくる。また風呂場の窓を利用する気だ。
猛に手をかしてもらい、屋内に侵入した。暗い。まっくらなので、何がなんだか見分けがつかない。
ユキは猛のTシャツのすそをつかみながら、ついていった。
(リヒトくん。ほんとにいるの?)
足音をたてないよう、そっと歩きまわる。
風呂場。それに続く調理場。トイレ……誰もいない。
二部屋ある和室。ひとつは人の隠れていられるスペースはない。和ダンスは引き出しの幅が狭すぎる。
もう一室が、犬神の目を見た、あの部屋だ。そこに入るときは緊張した。しかし、ここも無人だ。
襖をあけ、猛が物置の上段に上がる。天井板をずらし、懐中電灯で屋根裏をてらす。
「誰もいない。ちょっと調べてみる」
猛は身軽に屋根裏に上がっていった。
怖々、ユキものぞいてみる。
猛の言うとおり、人影はない。
でも、ずらした天井板のすぐ近くに、たくさんの足跡があった。昼間、玄関前で見た、巨大な獣の足跡だ。それに、人間の足跡もまじってる。
猛が戻ってきた。
「ここが隠れ家なのは、まちがいない。一部だけホコリが乱れて、道みたいになってる。屋根裏の窓から、この天井板のところまで」
「足跡もあるね」
「やっぱり、戸神が言ってたように、犬神化してるときと、人間に戻る瞬間があるみたいだな」
「戸神くんは、自分もそうだから、わかったのかな」
「それはわからない。でも、とにかく、今はいない。ここで帰るまで待つか、ほかを探しに行くか」
「ほかと言われても、見当もつかないけど……」
猛は思案する。
「気になってることがあるんだ。確認したいんだが、そのためには車のとこまで帰らないと」
「車? どうして?」
「この家から持ちだしたアルバムがある。ボストンバッグに入れたままだ」
ボストンバッグは車に置いてきた。
なぜ、今、アルバムなのか。でも、猛が言うからには大事なことなんだろう。
「わかった。じゃあ、一回、車まで戻ろう」
外に出ると、村のようすが、また変わっていた。どこからか悲鳴が聞こえてくる。しかも次々と。遠くで銃声がした。
緊迫した声で、猛が言う。
「犬神が暴れてるんだ」
「戸神くんね。さっき、村のほうへ向かった」
「坂上も住処にいなかったけどね。でも、二人が暴れてるなら、悲鳴が二方向から聞こえるはずだ。たぶん、単独だな」
「どうしよう」
「懐剣は持ってきてたね」
「持ってる」
箱から出して、ジーンズのベルトにさしこんでる。
「貸して」
猛が言うので、ユキはおどろいた。
「まさか、行くつもりなの?」
「だって、そのつもりで村に帰ってきたんだろ? はっきり言って、ユキさんじゃムリだ」
「だめ! そんなこと言って、あなただって倒せる保証はない。さっき、わたしの頭上をとびこえたとこ、見たでしょ? あんな相手に、いくら、あなただって——」
猛は、笑った。
「死ぬときは死ぬさ。明日、何が起こるかなんて、誰にも保証はないんだ」
笑ってるのに、なぜか、さびしげに見える。
なんとなく感じた。
この人は、いつも死と、となりあわせに生きてきたんだと。
「どうして、そんなふうに笑えるの? ほんとは、さびしいんでしょ?」
猛は困惑顔で、ため息をつく。
「まいったな」
「わたし、あなたが死んだら、泣くから。絶対、うらんで化けて出るから」
「立場逆だなあ。うらんで出るのは、おれじゃないの? その場合」
くすくす笑う猛の手が、ユキのほうにおりてきた。
「ありがとう」
そう言って、猛はユキを抱きしめる。
ユキは嬉しさより、切なくなった。
この人は、ほんとに死ぬつもりなのかもしれない。
猛が離れたとき、その手に懐剣を持っていた。ユキのベルトから抜きとったのだ。
「ユキさんはアルバム、とりにいって。それで、たしかめてほしい」
「何を?」
「坂上リヒトの母親が、赤ん坊を抱いてる写真があったんだ。それを確認してくれ」
写真の何を確認するのか、聞きそびれた。
すでに猛は走りだしていた。
昨日、会ったばかりなのに。
どうして、こんなに好きなんだろう。
あのさみしげな笑みのわけを、次に会ったときには聞きたい。
遠ざかる後ろ姿を、ユキは見送った。
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