五章 2—1

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「なに? この匂い……」


 つぶやくユキを、玲一が、しッと抑える。

 しかし、邸内にひとけはない。やはり村人は、もう、この屋敷にはいないようだ。


「どこかに移動したんじゃないの?」

「そうみたいだね」


 ささやきながら廊下を進んでいく。

 裏口から入ったので、玄関に向かって逆行していく形だ。

 部屋の前を通るたびに、数センチ、襖をあけて確認する。どこも無人だ。


「おれが逃げだしたとき、家の者は前のほうにつれていかれてた」

「一度、帰ってきたんでしょ? そのときは?」

「あのときは、なかまで入れなかったんだ。猟銃持ったやつらが、屋敷のまわり、うろついてて」


「じゃあ、このまま、前に行こう」

「たぶん、あの座敷だ。いつも宴会や法事に使ってた。大勢、出入りできる」


 玲一の言うのは、テレビスタッフが泊まる予定だった部屋だ。

 目前まで来たとき、急に、玲一が立ちどまった。うめき声が聞こえる。座敷のなかからだ。


 ユキは玲一と顔を見あわせる。

 玲一が襖をひらいた。


 まぶしい光がこぼれてきた。座敷は電灯が、つけっぱなしだ。明るい光のもと、凄惨な光景がくりひろげられていた。


 悲鳴をのむのが、せいいっぱいだ。

 まさに、血の海。

 座敷のなかに、何人もの人が血まみれで倒れてる。

 あおむけに倒れた老婆。正座して両手をあわせたまま倒れた女。もがいて、たたみをかきむしった男。


 玲一の家族たちだ。五人とも死んでいる。銃で撃たれたのだ。


「村人に、やられたのね」

「だろうね」


 玲一は冷淡な目つきで、家族をいちべつする。きょろきょろしてるのは、静子をさがしてるからだ。


「静子さん!」


 しょうじのかげに静子が倒れていた。かけよると、虫の息だ。

 だが、玲一を見ると、ほほえんだ。


「母さん!」


 玲一が抱きおこす。


「ごめんなさい……あの人、つれてかれて……ハルナさん、守れなくて……」

「いいから、何も言うな」

「あなたには、苦労ばっかりさせて……ごめんね」


 弱々しく手をあげ、静子は玲一の頰をなでる。

 そのあと、静子はこうつぶやいた。

 ユキは耳をうたがった。


「ごめんね。リヒト……」


 リヒト? 玲一がリヒト?


 玲一は、だまって静子の手をにぎりしめる。


 ユキは、ぼうぜんとした。

 持っていたアルバムを落としてしまう。ひらいたページを見て愕然とした。若いころの静子が赤ん坊をかかえている。しかも、二人だ。赤ん坊は双子だった。


「……もしかして、戸神くんとリヒトくんって、双子なの? イトコじゃないのね。ほんとは、兄弟?」


 母の最期をみとった玲一は、そっと静子をよこたえた。いや、静子の言葉が本当なら、それは玲一ではない。静子も、静子ではない。


「リヒトくん……なの? 静子さんは、坂上律子さん……」


 玲一はアルバムをとじ、静子の胸にかかえさせた。


「何もかも話すよ。こうなったら、隠す必要もないしね」


 そう言って、包帯をほどく。するすると包帯が床に落ちる。

 あらわれた素顔は、坂上家に向かう途中で見たのと同じ顔だ。


 その顔に浮かぶ苦笑いを見て、ユキはハッとした。

 まちがいない。リヒトだ。この人こそ、本物のリヒトだ。あのさみしげな笑みを忘れはしない。


「なんで、リヒトくんが、ここに……玲一くんじゃなかったの?」

「見てのとおり、おれと玲一は双子なんだ。父は戸神玲次郎。母は坂上律子。母が蜂巣拓斗に出会う前に、おれたちを身ごもった。儀式で……」


 玲一……いや、リヒトは言っていた。

 犬神を封じる依りましの子どもを授かるための儀式があると。リヒトは、その儀式で生まれてきた子どもだと。


「リヒトくんだけじゃなく、玲一くんも、儀式で……」


「ニエが双子を生んだことは初めてだった。犬神を封じるのは一人で、じゅうぶんだ。どちらか一方が、その役目をになうことになった。まだ名前もないうちに、一人は戸神家に引きとられた。玲太郎夫妻に子どもがなかったからね。跡取りが必要だった。そして、もう一人は依りましとして、坂上家に残された」


「それが、リヒトくん……」


「三歳のとき、信乃の塚に、ふれさせられたんだそうだ。おれ自身はおぼえてないけどね。そのまま何事もなければ、おれが犬神化する前に殺されるはずだった」


「でも、今、リヒトくんは生きてる。戸神玲一として」


「あの肝試しの夜のことだよ。玲一は玉館たちにつきとばされて、塚にふれたんだ。あいつは、ずいぶん、玉館たちを恨んでたみたいだ。憎悪は犬神を強くする。あいつは、すぐに犬神をコントロールして使役しだした。でも、そういうやつは犬神化も早いんだ。中学を卒業するころには、兆候があった。それで……」


 リヒトは律子をながめる。


「母は考えたんだ。このままでは、おれも玲一も殺されてしまうと」


「何かしたの?」

「母は、おれも玲一も助けようとしたんだ」


「リヒトくん、東京の高校に行くって言ってたよね。もしかして、それ……」


「そう。知りあいの前から姿を消すためさ。玲一も高校は東京に行くことにさせて。そのとき、おれと玲一は入れかわった。村に帰ったときには、戸神玲一になりすましていた。坂上リヒトは、そのまま行方をくらますはずだった」


「それで包帯やサングラスで顔を隠してたわけね。けど、それにしたって、子どものころから、いっしょにいた人たちが気づかないなんてこと、あるの? リヒトくんと戸神くん、似てなかったよ。中学のころ。双子だなんて思いもしなかった」


「たしかに中学のころは、おれのほうが、さきに第二次成長期に入ったから。背の高さも顔立ちも違ってた。でも、大人になると、ふしぎなほど瓜二つになったよ。一卵性だからね」


「それで誰も気づかなかったんだ。この家の人たち」


「おれのあとを追って、母も偽名で村に戻った。苦労したせいか、誰も坂上律子だと気づかなかったよ。玲一は遠くへ逃げて、ひっそり暮らしてた。でも、玲一は帰ってきた。犬神化が抑えきれなくなると、本能的に村に舞いもどった。初めのうちは人の姿を保ってることも多かった。だから、村人は儀式をさせたんだ。玲一に」


「ニエの儀式ね?」


「村人のなかに、てきとうな女がいなかった。それで、つれてこられたのが、高山チサトだ。玲一が自分で誘ってきた。おれのふりして。その儀式の最中に、あいつは完全に犬神化した。高山を殺害し、行方をくらました」


 そして、今にいたるといわけか。


「じゃあ、リヒトくんのうちに行く途中で会ったのが、戸神くんね。あのあと、村であばれまわってたみたいだけど」


 犬神を退治しに行った猛は、どうなったんだろう。猛のことも心配だ。


「村が静まりかえってる。戸神くんは、また姿をくらましたのかな」

「そうかもしれないし……ハルナさんを村人がつれだしたのが気がかりだ」


 ようやく、ユキも悟った。村人たちの意図に。


「まさか、ハルナを——」


 ハルナを依りましを宿らせる母体にしようというのか。

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