エピローグ 2
*
平穏な日常が帰ってきた。
ユキは有給休暇をまとめてとった。実家で、のんびり、すごしている。
事件のあと、気落ちしたハルナが入院してしまった。毎日、病院に見舞いに行く。アユムやヨウタやリンカの葬儀にも行った。
F村は大規模火災で、一村全滅と、ニュースでは報道された。何もかもを炎が燃やしつくし、真相は闇に埋れた。
あのあと、一度だけ、F村に行ってみた。みごとなまでに、村じゅう、灰になっていた。神社も戸神家も、焼けあとから、おおよその場所がわかるだけだ。遺体は回収されたのか、それさえも残らなかったのか……。
ここで何百年ものあいだ、くりかえされてきた、いまわしい儀式と呪いの存在など、どこにも感じられない。
(あのとき、リヒトくんが死んで、犬神を封じる人が誰もいなくなった。ほんとなら抑えるものがなくなって、犬神が、さらに暴れだすはずだった。祟りが始まった最初のころ、そうだったように。でも、信乃の霊は消え、犬神は鎮まった。きっと、信乃さん、満足したんだね。リヒトくんの言うとおり)
そう思うと、悲しいことのあった場所だが、清々しい。
F村を見た帰り、ユキは病院にハルナを見舞いに行った。
ハルナは、このところ食欲もでてきた。なにより喜ばしいのは、前みたいに死にたいと言わなくなったことだ。生きる望みが、わいてきたらしい。
そのわけが、とつぜん、わかった。
ユキが病室に入ったとき、ハルナは自分でリンゴの皮をむいていた。
「ハルナ。最近、よく食べるね。じゃあ、もうこれはいらないかな。黒猫キッチンの一日三十個限定メロンパン」
「いる。いる。ホイップとカスタード入り、ぜいたくハニーメロン!」
「生地にハチミツ入りなんだよね。超甘々が女の子のハートをわしづかみ。ただし、カロリーは見ちゃいけない」
そんな会話を楽しみながら、メロンパンを食べてたときだ。
ハルナが急に、うっと口を押さえた。ベッドをかけおり、トイレに、とびこんでいく。
「ハルナ。大丈夫? ナースさん、呼ぼうか?」
個室から出てきたハルナは首をふった。
「いいよ。もう平気だから。急いで食べすぎたのかも」
言いわけする姿を見て、ユキは直感した。
「もしかして、ハルナ……できちゃった?」
ハルナはユキの顔を真剣に見つめる。
そして、ため息をついた。
「うん。そうみたい」
「そうみたいって、いつ……」
言いかけて、気がつく。
あのとき、ハルナはリヒトと二人で儀式を受けた。
「まさか、リヒトくんの……」
ハルナは恥ずかしげに微笑む。
「そうなの。まだ、お医者さんにもバレてないの。ユキもナイショにしてね」
ハルナは生む気なのだ。だから、中絶できなくなるまで、だまってるつもりなのだ。
(そんなに好きだったんだね。リヒトくんのこと)
それでハルナが生きる希望を持てるなら、それもいいと、ユキは思った。
「わかった。協力するよ」
「ありがとう」
そのときは、ユキも嬉しかったのだが……。
帰路で、ユキは考えた。
(待って。ということは、戸神家の血筋は絶えてない。ハルナのお腹にいる子どもが最後の一人ってことに。そうか。もしかして、それで、あのとき、犬神が鎮まったのかも)
犬神を封じていたリヒトは、大人になって、犬神化していた。
そのリヒトが死亡し、本来なら抑制のなくなった犬神が暴走するはずだった。
しかし、そこに新しい依りましの子ができたため、犬神は、その子によって抑えられた。
だとしたら、まだ終わってない?
信乃の祟りは続いてるのかも……。
不安な気持ちで、ユキは帰宅した。
「ただいまー」
玄関に入ると、豆太郎がとびついてくる。
「よしよし。出迎え、ご苦労。いい子、いい子」
リビングから弟の声が聞こえてくる。
「このごろ、豆太郎、ねえちゃんの舎弟じゃん。てか、ドレイ?」
「豆は、わたしが大好きなんです。ねえ、豆?」
「ねえちゃん、どんな手で豆、手なずけたんだよ」
「変なことばっか言ってると、豆にお仕置きしてもらうよ? ほら、豆。やっちゃえ」
もちろん、冗談のつもりだった。
でも、そのときは冗談ですまなかった。
ユキが言ったとたん、豆太郎は牙をむいた。小さな体で弟に突進していく。
弟は悲鳴をあげた。豆太郎は手かげんなしで、弟の足にかみついてる。弟が叩いても、足をふりまわしても離れない。
「豆! やめなさい。やめて!」
ユキが言うと、急に離れた。
まちがいない。ユキの命令で動いたのだ。
(待って……そういえば、あのときも、わたしの命令で犬たちは動いた。信乃の霊を追いはらってと、わたしが頼んだから)
それに、ハルナの赤ちゃんは、まだ塚にふれてない。だから、犬神を封じる役目は
(誰だっけ? 塚にさわったのは……)
ユキの脳裏に記憶のなかの映像がよぎる。
テレビの取材班が塚の前でさわいでたとき。
たしか、塚が倒れてた。
リヒトに手をかして、ユキは起こした。
リヒトは言った。
——ごくまれに、戸神家の人間以外にも、犬神を封じることのできる人がいる。生まれつき霊力を持った人なら。
(まさか……)
まさか、わたしなの?
たったいま、犬神を封じてるのは。
ユキは豆太郎を見つめた。
泣きたいような、笑いたいような、おかしな気分で……。
犬咬み 涼森巳王(東堂薫) @kaoru-todo
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