二章 印

二章 1—1

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 また一人、関係者が死んだ。

 玉館の死を、柴田は夕方のニュースで知った。


 やっぱり、もうダメだ。

 誰も、この呪いからは逃げられない。


 従わないと母親をクビにすると言われ、いやいやイジメにくわわっていた。親の都合なんて考えなければ、よかった。

 その親は、『アイツ』が来るようになってから、恐れて、どこかへ逃げだしてしまった。


 柴田も一度は、ビジネスホテルを渡り歩き、逃げまわった。

 でも、どこに行っても、アイツは追ってくる。アイツから逃げることはできない。


 なんで、こんなことになってしまったんだろう。

 子どものころは犬や猫や昆虫が好きだった。生き物を傷つけるなんて、絶対にできなかった。


 玉館に言われて、戸神をイジメていたときも、ほんとは苦しかった。

 トイレに閉じこめたり、教科書をやぶったり。クツをかくしたり……もっとイヤなことも、いろいろ。


 だけど、戸神は気づいてたと思う。

 柴田が戸神に頭から水をかぶせたり、足をひっかけて転ばせるとき、いつも心のなかでは『ごめん、ごめん』と、くりかえしていたことを。


 そう思うのは、自分の勝手な思いこみだろうか。


 たぶん、戸神は柴田と似た者どうしだったんだと思う。

 鳥や虫や小さな生き物を傷つけることもできない。将来の夢は獣医さん——そういう心優しい少年だったんだろうと。


 だが、あの夜は違っていた。

 神社に入った瞬間から、戸神はおびえていた。自分が屠殺場につれていかれるブタだとでも考えてるみたいに。


 尋常じゃなかった。


「ここはダメなんだ。みんな、殺される……」


 戸神は、そう、つぶやいた。

 柴田と萩野で両腕をつかみ、石碑のある裏手の森につれていくとき。


 あとで聞いた。

 戸神は、あの村の出身なのだと。

 だから、知っていたのだ。あの石碑が、どんなものなのか。


 さわると祟られると村人は言っていた。

 だが、事実は違っていた。

 あるいは復讐だったのかもしれない。あの男。わざと大きな声で、祟り岩の話なんかして。


 昆虫採集のレクリエーションのとき、秋山たちの後ろで、柴田たちも聞いていた。


 村の子どもが大勢のよそ者にイジメられてるのを見たから。恐ろしい呪いを現実に発揮する石碑のもとへ、わざと行かせた。そのあと、どうなるか、もちろん、承知の上で。


 こんなことになるなら、あの夜だけは、戸神の味方をしてやるんだった。

 どんなに後悔しても、もう遅いが。


 あのとき、肝心の場面を柴田は見てない。

 悲鳴が聞こえて、ふりかえったときには、玉館たちは、みんな倒れていた。

 戸神は石碑のもとに、うずくまっていた。誰かが、つきとばしたに違いない。


 戸神は、あの石に『さわった』のだ。


 あのときから、戸神は変わった。

 玉館がイジメようとすると、いつも、おかしなことが起こった。

 犬の遠吠えが聞こえた。

 野良犬が集まってきたり。

 戸神につかまれただけで、腕から血が流れたこともあった。


 それに、あの黒い影……。


 人のような、人でないような、四つ足で走りまわる、アイツ。


 アイツが、つねに柴田たちのまわりに、つきまとう。どこにいても、物かげから、うかがっている。

 眠ると、いつのまにか、変な歯形が体のどこかについている。


 神経質な萩野は、早々に精神に異常をきたした。病院に入れられ、そのまま、院内で餓死したと聞く。


 萩野、石川、玉館——これでもう三人だ。残ってるのは、柴田と綾瀬だけ。


 まるで、その柴田の考えに共鳴したように、電話が鳴った。恐る恐る、柴田はケータイに手を伸ばした。電話は綾瀬からだ。


 綾瀬は萩野が死んだあと、行方をくらました。はっきりとした場所は知らないが、東南アジアのどこかに逃げているらしい。海外に行けば、逃げきれるんじゃないかと考えたようだ。


 そういえば、柴田も国外まで逃げたことはない。もし、それで助かるなら、一生、日本をすててもいい。


「柴田か。さっき、ネットでニュース見た。玉館が死んだんだって?」

「警察は事件と事故の両方の可能性で調べてるって。バカなこと言うなよな。あんな殺しかた……誰ができるっていうんだ?」


「あんなって、見たのか?」

「見てない。でも、同じだろ。石川のときと。あいつの死体は見た。おれたち……みんな、やられるんだよ。戸神に、あんなことしたから」


 柴田は気持ちが高ぶらないよう、気をつけていたつもりだ。なのに、声がうわずってる。

 さっきから聞こえる、ヒッヒッという変なかすれ声が、自分のものだと気づいて、泣きたくなった。


 綾瀬が言った。

「おまえも来いよ、ここまでは、アイツも追ってこない。こっちは安全だ。こっちに来てから、変なこと、ひとつもないんだ。天国だよ。ほんと」


 それなら、綾瀬だけは生きのびるかもしれない。綾瀬は昔から、図太かった。綾瀬といっしょなら、逃げきれるかも……。


 希望の光が、すっと差す。


「そうだな……」


 おれも行くよと、言いかけたときだ。

 ケータイの向こうで、綾瀬が大きく息をのむ。それに続く、荒い息遣い。


「綾瀬? どうしたんだよ?悪い冗談、やめてくれよ」


 返事はなかった。

 かすかな息遣いにまざり、「来るな、来るな」と、綾瀬のつぶやきが聞こえる。


「綾瀬……」


 柴田の耳元で、大きな衝撃音がした。

 綾瀬がケータイを落としたらしい。息遣いが遠くなる。


「来るな……来るな——このバケモノ!」


 いくつかの説明不可能な音が続いた。


 そして、とつぜん、犬の鳴き声。

 百か二百。すごい数の犬が、いきなり現れたように。

 いっせいに吠えたけるなか、絶叫が——


「綾瀬! 綾瀬!」


 ムダだ。綾瀬は死んだ。

 たったいま、この電話の向こうで殺された。


 柴田は確信した。


(やっぱり、ダメだ。どこに逃げても……)


 柴田は子どもみたいに泣きじゃくった。

 静まりかえった室内に、柴田の泣き声だけが響く。


 電話は、もう沈黙している。

 つながってはいるが、なんの物音も聞こえない。


 電話を切ろうとして、柴田は気づいた。電話の向こうで、誰かの呼吸音が聞こえる。


 綾瀬……だろうか?

 あんなに叫んでたのに?


 でも、本能は違うと告げている。

 これが綾瀬のはずがないと。

 わかってるのに、柴田は何かに引きよせられるように、電話を耳に押しあてた。


「……戸神? 戸神なのか?」


 無言。


「た……助けてくれ。たのむよ。ほんとに悪かった。おれだって、あんなことしたくなかったんだ。たのむ。殺さないでくれ!」


 ふいに、柴田は気づいた。

 ハアッ、ハアッという荒い息は、電話の向こうで聞こえるわけじゃないことに。


 違う。あっちじゃない。こっちだ。

 電話のこっちがわ。

 背後——柴田の耳元。

 すぐ後ろから聞こえる。


 もうわかってる。

 ふりかえれば、そこにアイツが立っている。


 柴田は泣き叫んでるつもりだった。でも、声は出てなかった。


 これから自分の身に何が起こるか、考えたくはない。

 なんとなく、予想はつくが……。

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