三章 狂犬

三章 1—1

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「リヒト?——リヒト!」


 しばらく呼びかけた。が、リヒトは現れなかった。


 いったい、どこに行ってしまったのか。

 とつぜん現れて、とつぜん消えてしまう。

 ほんとに風のような人だ。


(また……会えるよね?)


 立ちつくしていると、戸神邸の豪壮な門から、大勢の人が出てきた。テレビの撮影スタッフだ。人の輪のなかに、リンカの姿もあった。


 ひさしぶりに見たリンカは、ずいぶんキレイになっていた。前から可愛かったが、ぱっと人目をひく華やかさが身についた。


「くもってきた。早く撮ろう。台風が近づいてるらしいぞ」

「じゃ、リンカちゃん。一時間押しだから、このまま次のシーン行っちゃうけど、いい?」

「大丈夫でーす」


 にぎやかな人々は、暗い怨念のしみついたような村の風景には、なじまない。

 むしろ、その傍若無人な明るさが、ユキをほっとさせた。


 リンカがユキに気づいた。かるく手をふってくる。ユキも手をふりかえした。

 心配する必要はなかった。

 きっと、リンカは、ユキたちが心配してたことすら気づいていない。


 リンカは撮影スタッフと、神社のほうへ去っていった。


 そのあと、アユムとハルナが、かけよってきた。ただし、二人ではない。二人のうしろから、もう一人ついてくる。


 若い男だ。たぶん、ユキたちと同世代。

 なぜ、たぶんかと言うと、包帯で顔半分おおわれている。そのうえ、サングラスをかけてるから、判別しにくい。鼻筋も通ってるし、顔立ちは整ってると思う。

 が、真夏に喪服みたいな黒いスーツを着こんで、異様だ。


 とりあえず、「初めまして」と、ユキは言った。男は、かるく頭をさげる。アユムが紹介してくれた。


「戸神だよ。戸神玲一」

「えっ?」


 これが、あのイジメられっ子か?

 なんだか、子どものころと印象が違う。第一、戸神は行方不明なのでは?


「戸神くん、失踪したって聞いたけど」


 戸神は薄く笑った。

「失踪なんてしません。大きな病気で長らく入院してたから、そんなウワサが流れたんでしょう」


 その声を聞いて、あれっと思う。

 どこかで聞いたような気がした。あの神社の裏手で聞いたからだろうか。

 でも、あのときの戸神は声変わり前だった。今の声と同一人物なのかどうか、よくわからない。


「わたしの聞いたのは、いいかげんなウワサだし……気を悪くしたのなら、ごめんなさい。わたし、中学のとき、となりのクラスだった——」

「おぼえてるよ。秋山ユキさんだろ」


 とくに親しくなかったので、意外だ。

 いや、それとも、やはり、あの夜、気づいていたのか。見すてて逃げたのが、ユキたちだということに。


 あの夜、神社で起こったことの中心にいた人物。あるいは、玉館たちを呪い殺した張本人。


 聞きたいことは、たくさんあるが、何から聞いていいのか、わからない。話の通じる相手なのかどうかもわからない。


 躊躇していると、戸神のほうから申しでた。


「川瀬くん(アユムのこと)から聞いたよ。君たち、村の古い言い伝えに興味あるんだって? うちの書庫を見せてあげようか? 先祖伝来の巻物や和本なんかが山ほどある」


 ユキたちが知りたいのは、あの石碑にまつわる言い伝えだ。戸神から聞くほうが、手っ取り早いのだが……。


「じゃあ、あとで見せてください。それより、リンカたち、神社に入ってくけど。あそこで撮影するのね」

「ホラードラマの撮影だそうですね。うちの家のなかも、あちこち撮っていきましたよ。あの人たち」


 くくくくくっと、薄気味悪く笑う。


 ユキは戸神を無視した。リンカのあとを追う。


 呪いの源の神社。

 無防備に近づいて、大丈夫なんだろうか。


 アユムとハルナもついてくるので、

「事情、リンカには話したの?」


 たずねると、ハルナが、うなずいた。


「要点だけは話したよ。でも、あわただしかったし、本気にしてないみたい」

「リンカのロケって、いつまでかな?」

「今夜だよ。どうしても撮らなきゃいけない夜中のシーンがあるんだってさ」と、アユム。


 つまり、この村で夜まで過ごすしかない。リンカだけ残して立ち去れない。

 もっとも、今すぐ呪いを解く方法が見つかれば、話は別だが。


 ユキは腹をくくった。もう、それしかない。


「戸神くん」


 うしろを歩いてくる戸神をふりかえる。


「わたしが知りたいのは、ただの伝承じゃないの。この神社の裏手にある石碑。あれにまつわる言い伝えよ。中学二年の林間学校の夜、あなた、玉館くんたちにつれられて、あそこに行ったでしょ? あのとき、何があったのか教えて」


 戸神は首をかしげる。

 さらっと前髪が落ち、サングラスのすきまから瞳が見えた。暗い井戸の底みたいな目つきだが、やっぱり容姿は整ってる。

 なんで、こんな包帯なんかしてるのだろう。大病をわずらったと言っていた。そのせいだろうか。


「隠しても知ってる。あのとき、わたしたちも見てたから。誰かそこにいるから調べてこいって、玉館くんが言った。あれ、わたしたちだった」

「ああ。あれね。あのころのおれは弱かったからなあ」


 そう言って、戸神は、また不気味にクスクス笑う。

 ユキは、くじけそうになった。が、ここでやめるわけにはいかない。


「やっぱり、あの石碑をさわると、人を祟る力を得るの? それで、あなたが玉館くんたちを……」


 戸神の笑い声が激しくなった。爆笑しながら、サングラスのすきまに指を入れ、涙をぬぐってる。


「ユキさん。あんた、変わらないなあ。そんなこと言うと、おれに呪われるとか思わなかった?」


 ユキは立ちすくんだ。

「じゃあ、やっぱり……」


 戸神は、まだ笑ってる。


「まさか本気で、そんなこと言ってないだろうね? この世に呪いとか祟りなんて、あるわけない」

「でも、わたしたちが逃げたあと、ものすごい悲鳴が聞こえた。あのとき、何かがあったのは事実でしょ?」

「べつに、何も」


 やはり、素直には答えてくれない。

 こっちで調べるしかないらしい。

 古文書を見せてもらうというのも、一つの手段か。戸神の提案だから、ムダとは思うが。


 考えていると、戸神が言った。


「とにかく、あんたたちは、今すぐ村から出ていったほうがいい」

「なんで?」

「なんでもいいよ。命が惜しければ出ていくんだ。これは最後の忠告だ」


 何を言ってるんだろう。ユキたちを呪ってる張本人のくせに。


 そのとき、悲鳴があがった。大勢が叫んでる。神社のなかだ。リンカたちに何かあったのか。


 あわてて声のほうに、かけていく。

 境内のなかに人影はなかった。声は、もっと奥から聞こえる。


 ユキは気づいた。

 あの場所だ。中二のときと同じ、不吉な場所。神社の裏手の森のなか……あの場所から悲鳴は聞こえる。


「困るなあ。あっちには近寄るなって言ったのに」


 のんびりした戸神の声。


 ユキは走った。

 石碑のある、あの場所へ。


 まるで、あの夜にタイムスリップして帰ってきたみたい。

 あの夜、ユキたちは逃げた。だから、真実を知らない。今、理由もわからず苦しんでる。

 それが逃げたことへの罰だとしたら、行くしかない。

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