三章 1—2


 しかし、あの夜と同じ細道を進んでいくと、悲鳴は、やんでいた。かわりに、興奮したいくつかの声が聞こえる。


「まわせ。まわせ。カメラ、まわせ」

「わたし、イヤです。こんなとこで撮影なんて、ムリ」

「そこをなんとか。リンカちゃん」

「だって、セットじゃないですよ! 本物でしょ。本物の……」


 その場所を見て、ユキは息をのんだ。

 いったい、誰が、こんなことをしたんだろう。これが、あの夜と同じ場所なのかと、一瞬、目を疑った。


 木立ちのなかの空き地。

 ひらけた場所をうめつくして、杭が立っている。


 ただの杭じゃない。そこに、犬が串刺しにされていた。杭の一本ずつに一匹ずつ。大きな犬も小さな犬もいる。

 たぶん、みんな飼い犬だ。首輪をしたマルチーズやトイプードルなどがいる。

 杭だけでは足りなかったのか。

 まわりの木には、ロープで首を縛られた犬が、つるされていた。


「ひどい……」


 あまりの光景に、ユキは口をおおった。吐きそうだ。

 ハルナは気を失いかけて、倒れそうになる。あわてて、アユムと両側から支えた。


 ほんとに、なんて残酷な所業だ。

 こんなに、たくさんの犬を杭で刺し殺すなんて。あたりは血と腐臭で息もつけない。


 ところが、

「誰かのイタズラだろう」

 戸神は平然と言ってのける。


「イタズラ? これはイタズラの域じゃないよ。こんなこと、正気でできる?」

「さあ。おれがやったわけじゃないし」


「そうでしょうね。こんなこと一人ではできない。あんな大型犬まで……これは大勢が力をあわせてやったことよ」


「人間が犬に殺されるよりはマシじゃないか」

「そうだけど。でも……」


 ペットは飼い主にとって家族なんだ——と言ってもムダのようだ。


「それにしたって、今まで誰も、これに気づかなかったの? 飼い犬がいなくなったら、村の人が、さわぎそうなもんだけど」

「村人で、さわいでたやつはいないな」


 ユキは歯噛みした。

 あんがい、戸神がやったんじゃないかとすら思う。呪い持ちの戸神なら、霊的な力でできたのでは?


 戸神は興奮しているテレビクルーの前に出て、制止する。


「この場所から離れてください。警察を呼びます。そもそも、この場所には近づくなと言いましたよね? こまるなあ。大事な石碑も倒して。呪われても知りませんよ。この石はね。さわると祟られるんだ」


 そう言いつつ、戸神は自分の手で石碑を起こす。戸神はさわったことがあるから平気なのだ。


 それに、さわると祟られるんじゃない。人を祟る力を得るんだから。


(え? 待って。てことは……)


 ふと、ユキは思った。


(すでに呪われてる、わたしたちがさわると、どうなるの? もしかして、呪いが相殺されて、消えるんじゃ?)


 試してみる価値はある。

 どっちみち、すでに呪われてるんだから。


 ブツブツ言ってるテレビスタッフを押しのけて、ユキは戸神に近づいた。石碑に手をかけ、起こすのを手伝う。


 戸神は、ギョッとしている。

 サングラスのあいだから、上目遣いにユキを見つめる。


「ユキさん……」

「だって、この世に呪いなんてないんでしょ? さっき、そう言ったじゃない」

「……知らないからね」


 戸神の声には悲哀のひびきがあった。

 ハッとして、ユキは戸神を見直した。

 なんとなく、戸神が泣いてるように思えたのだ。


(もしかして、わたしたちのこと、まきこみたくないのかな?)


 どうも、考えていたのと違う。

 戸神がユキたちを呪ったんじゃないのかもしれない。

 だとしたら、どういうことなのか、さっぱりわからなくなるが。


 戸神のよこ顔を見つめる。

 すると、何かが頰にかかってきた。雨だ。にわかに黒雲が空をおおう。遠雷が聞こえる。


 戸神が言った。

「降ってきた。うちで雨宿りするといい」


 このさい、しかたない。

 ユキたちは走った。テレビクルーも、あわてて機材をかかえて追ってくる。


 戸神邸についたころには、滝のような豪雨になっていた。あたりは真夜中のように暗い。


「うわ、こりゃダメだ。今日の撮影、ムリだろ」


 そんな声がスタッフのなかから聞こえる。

 それを聞いて、戸神が提案した。

「みなさん、今夜は、うちに泊まってください。部屋を用意させます」


 スタッフは喜んでいる。

 が、ユキは複雑な心境だ。

 この村で夜を越すのか。

 とはいえ、ほかに方法がない。


 戸神邸は外から見ても豪邸だが、なかに入ると、ますます広い。

 みがかれて黒光りする廊下。太い柱。りっぱな梁。ふすま絵は色あせているものの、有名な絵師の作ではないかと思う。

 一人で歩いていると、冗談でなく迷いそうだ。


 この広い家に、戸神は一人なのだろうか。ひとけが感じられない。


「戸神くん。家族はいないの?」

「いるよ。祖父母と両親が。出戻りの叔母も同居してる。兄弟はいない」

「だよね。一人のわけないか。そういえば、戸神くんって、うちのクラスの坂上くんとイトコなんだって?」


 戸神は感心なさそうに返す。

「まあね」


 イトコでも交遊は薄いのか。


「撮影スタッフは、ここを使ってください。となりも使ってかまいません」


 あいだのフスマをとりはらえば三十畳にもなる大部屋を、戸神は示す。


「ユキさんたちは、こっち。川瀬くんとは別室がいいのかな」

「いちおう」


 大所帯の撮影班とわかれ、さらに奥へ進む。


「そういえば、おまえ、さっき、リヒトに会ったって言ってなかった?」


 アユムがたずねてきた。


「会ったよ。すっごいハンサムになってた」


 ずるーい——という声が、背後から追いかけてくる。ふりかえると、リンカが自分の荷物を持って追いかけてきた。


「リンカ。向こうじゃないの?」

「大部屋で雑魚寝なんて、イヤ。それより、リヒトくんに会ったの? どこ? わたしも会いたい」


 やっぱり、リンカに知られると、めんどうなことになった。こうなる気がしたから、仲間内にも教えたくなかったのに。


「ごめん。この家の前で、どっかに行っちゃった」

「ひどーい。なんで引き止めてくれなかったの? イケメンだった? どんな感じ? 芸能人で言えば?」

「え? うん。芸能人って言われても……」


 てきとうに生返事しながら、ユキは、なにげなく戸神を見た。思わず、ギョッとする。

 サングラスのせいで断言はできない。が、なんとなく、ユキを凝視してるように見えた。表情もこわばっているような。


「リヒトに……会った?」


 戸神は、うわごとのようにつぶやく。

「リヒトに会ったって?」


 さっきは無関心に見えたが、やっぱり気になるんだろうか?


「戸神くんをさがしてるって言ってたよ」


 戸神は皮肉に口元をゆがめる。

「それは会いたかったなあ。おれも」


 冷たい口調。

 気になるんだか、そうじゃないんだか、よくわからない。少なくとも、仲よしではないらしい。


 たしかに二人は、まったく正反対のタイプだ。きさくで頼りがいのあるリーダータイプのリヒト。物腰は丁寧だが、陰気で冷淡な玲一。


 玲一がリヒトを嫌うのは、そのせいだろうか。


 しかし、その表面的な違いとは別の次元で、二人には似たようなふんいきがある。ときおり見せる悲しそうな表情のせいかもしれない。


 玲一は十畳と八畳の続きの間へユキたちを案内した。


「ここを使ってください。あとで家政婦に布団を運ばせるよ」


 玲一が去っていき、すぐに家政婦がやってきた。地味な服をきた五十代の女性だ。若いころは、とても美しかったのだろう。 今でも女優のようにキレイだ。部屋のすみに布団をつみあげ、家政婦も去った。


 友人だけになると、リンカが言った。


「戸神くんて、ちょっとカッコイイけど。あの包帯って、なんだろうね。おうちは豪邸だし、わたしはアリかな」


 さっきまで、リヒト、リヒトとさわいでたのに、もう玲一だ。あいかわらず、リンカは気が多い。


「ねえ、ハルナ? ハルナも、そう思わない?」


 ところが、ハルナは答えない。

 難しい顔で考えこんでる。


「ハルナ?」

「えっ?」


 やっと気づいた。

 ユキは気になった。


「どうしたの? ぼんやりして」


 ハルナは、あわてて首をふった。


「なんでもないよ。気のせい……だと思う。それより、ほんとに、ユキ。リヒトくんに会ったの?」

「うん」

「ほんとに、ほんとに、リヒトくんだった?」

「だって、本人が、そう言ってたし」

「そうなんだ……」と言って、また考えこむ。


 ようすが、おかしい。


 そのあと、何度、問いただしても、ハルナは答えなかった。

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