四章 3—2


「どういうこと?」

「だから、これが、おれの名前。君が勝手に勘違いしたんだ」


「あなた、リヒトじゃないの?」

「おれは一度も、自分が坂上リヒトだと言ってないけど?」


 そう言われてみると、そうだったような……。


「でも、それじゃ、なんで違うって言ってくれなかったの? ちゃっかり、リヒトみたいなふりして……あっ、そうか! わたしから情報をひきだすためね! ズルイ!」


 あはは、と、リヒト——いや、猛はほがらかに笑う。


 こんな笑いかたもできるのか。なんで、こんなときにドキドキするのか。


「まあね。こっちにも、わけがあって」

「戸神くんを探してたの? 呪いのこと調べたり……待って、あの写真は?」


 猛はキーをさしこみ、エンジンをふかす。


「探してるのは、戸神じゃない。高山チサトだ」


 とつぜん、ひらめいた。


「お母さんが言ってた。高山さんの両親が探偵をやとったって。それが、あなたなのね」

「そう」


 なんで今まで、そこに思いいたらなかったのか。そうとわかれば、すべてに納得がいく。


「おれは行方不明者をさがす専門の探偵なんだ。ちょっと人にはない特技があってね。ほんとはナイショなんだけど」


 そう言って、猛は発車させる。

 ますます激しくなる雨のなか、自動車は静かに夜の町へすべりだす。


「特技?」

「さっき見ただろ。写真」

「そうよ。それ。あの写真、どうやって撮ったの? なんか変な写りかただった。それに、死体の写真なんて、いつ撮れたの? だから、あなたが犬神なんだって……」


「ユキさん。ちょっと、おれのボストンバッグから、カメラだして」

「今?」

「口で言っても、本気にしないよ」


 わけはわからないが、言われたとおりにする。


「はい。これ」


 猛は片手でハンドルをにぎったまま、片手でカメラを受けとる。

 いきなり、カメラのフラッシュが光った。シャッターを切る音も。猛はカメラを手に乗せただけで、なんの操作もしてないのに。


「なに? 今の」

「カメラ。しまっていいよ。写真、何が撮れてる?」


 本体から出てきた写真を、ユキはながめた。変な写真だ。真っ暗な山道で、ユキと猛が倒木を動かしてる。日付は、今日。


「わたし、こんなことしたおぼえないんだけど……」


 猛はチラッと写真を見て、

「まいったな。どっかで道がふさがれてるんだ。それは一時間後のおれたちだよ」

「一時間後?」


 また少し、不信な気分になる。


「だから、言ったろ。口で説明してもわかってもらえないって。念写だよ。おれはね。念じただけで、写真が撮れるんだ。過去や未来のこと。人が心のなかで考えてること。今は、一時間後のユキさんが、どうなってるか念じながら撮った」


 そんなバカなと思った。


 しかし、手品なら、タネを仕込んでおく必要がある。猛がユキにこの写真を見せることは、今の今まで、本人にも予測できなかったはずだ。


「じゃあ、ほんとに、あなたは探偵なのね? リヒトじゃないのね?」

「だましたのは悪かったよ。おれは念写はできる。けど、だからって万能なわけじゃない。情報は自分で調査して集めないと」


 彼がリヒトじゃなかったことはショックだ。でも、それ以上に、彼が犬神でなかったことが嬉しい。


(よかった。わたしの好きになった人は、ちゃんと人間だ)


 そう思う一方で、暗い気持ちにもなる。


 猛はリヒトじゃなかった。

 ということはだ。玲一が言ってた犬神のリヒトというのは、本物のリヒトのことだ。

 本物のリヒトは、今ごろ、どこでどうしてるのだろう。


「じゃあ、さっきは高山さんのとこに行ってたの?」


「念写で彼女の遺体の埋められた場所がわかったから。遺骨の一部を届けてきた。あとはDNA鑑定して、本人だと断定できれば、おれの調査は終わりだよ。警察へは依頼人が届け出ることになってる」


「それなら、あなたはもうF村に戻る必要はないんじゃない?」


「いちおう、高山チサトを殺した犯人をつきとめたい。必ずつきとめられるとはかぎらないと、依頼人には言ってきたけど。それに——」と言って、猛は笑う。

「この豪雨のなか、ペーパードライバーを山道にほうりだすわけにいかないだろ?」


 思わず、ユキも笑った。

「ありがとう」

「信頼してもらえたなら、今度はそっちのこと教えてもらいたいな。犬神とか、戸神から聞いたこと」


 ユキは正直に話した。長い話だ。話しおわるのに三十分はかかった。


「なるほどね。戸神玲一が、犬神はリヒトだと言った。村では、その犬神があばれてる。犬神は二百年前に非業の死をとげた怨霊があやつってると」


 山道に入り、ますます雨は激しくなった。


 ときおり雷鳴がとどろく。かなり近くで青白い稲妻が走り、ユキをおどろかせる。


「それのどこに高山チサトが関係してるのかな。考えられるとしたら……」と言って、猛は口をつぐむ。


「そういえば、さっき、黒岩さんが言ってた。高山さんを旅行に誘ったの、リヒトくんらしいよ」

「なるほど」


 猛がだまりこんだので、車内には雷雨の音だけが響く。


 そのとき、ひときわ激しい稲光が目の前で起こった。豪雨の音さえ切り裂く轟音が、あたりをゆるがす。


 猛が急ブレーキをふんだ。

 すぐ近くの木が倒れていた。あやうく衝突はしなかった。が、道はふさがれた。


「やれやれ。これか。さっきの念写」

「当たるのね」

「当たるよ。やんなるほど」


 猛はサイドブレーキをかけ、車外へ出ていく。ユキも続く。


 ここは念写の予知どおり、二人で倒木をどけるしかない。村へ行くには、どうしても、この道を通るしかないのだから。


 けんめいに力をあわせた。

 時間はかかったが、どうにか、道のわきにどかすことができた。


 車内に戻り、ずぶぬれになった体をタオルでふく。


「時間くったなあ。今、何時?」


 猛が言うので、腕時計を見る。


「二時半」

「腹へったなあ」


 え? こんなときに——と思ったが、

「あ、そうだ。おにぎりとか買ってある。ずっと車内に放置してたから、いたんでなきゃいいけど」


 食糧は無事だった。木陰に停めてたから、車内の温度が上がらなかったようだ。

 コンビニのおむすびやパンを二人で食べる。自分で思ってたより空腹だった。思わず、がっつく。


「おいしい。疲れがとれる」

「だろ?」


 ずっと、この人といっしょにいたい。切実にそう思う。


「じゃあ、行こうか」

「そうね。何も起こってないといいけど」


 ところが『何か』は起きていた。

 村について、すぐ異変に気づいた。

 いやに村じゅう、さわがしい。懐中電灯の光が、あっちこっちに、かたまりになって闇をうごめいてる。


「いったい、何があったの?」

「わからない。でも、用心したほうが、よさそうだ」


 ふたたび、材木置き場に車を停めた。

 ユキは猛と二人、村へ続く道を歩きだした。

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