第49話 疾駆
斉を出奔した公子・糾らを魯の荘公は彼らを迎え入れた。
「この度、我々を迎え入れていただきありがとうございます」
糾は荘公に対し、頭を下げ、謝辞を申し上げた。
「よいよい、貴方は私にとって叔父に当たる方だ。ごゆっくりなされよ」
「感謝致します」
糾と共に召忽と管仲も頭を下げる。荘公は傍の者に命じ、彼らを部屋に案内させた。
「魯君は主を斉君に直ぐに立たせようとはなさらないようだな」
「そうだな」
召忽は少し苛立ちを表わにする中、管仲は冷静であった。
(公孫無知は乱で倒れる。その時になれば魯君は糾様を斉君に立てることに協力するだろう)
しかし、魯は決して素晴らしい協力者ではない。
(斉の国政に魯の介入を許すことになるかもしれない。だが今は魯の力を借りるしかない)
現状、自分たちは魯を頼るしかないのである。
糾らが去った後、荘公は大夫たちを集め話し合っていた。
「公子・糾を立てることに異議は無いな」
「えぇ公子・糾の母は魯の者。これを立てればこちらの利益となりましょう」
申繻がそう言うと慶父が苛立ちながら言った。
「ならば何故、直ぐに斉を攻めないのだ」
これに臧孫達が反論した。
「斉で乱を起こした公孫無知は必ずこの報いを受けるだろう。それから動けば良い」
「それに斉に上卿である高傒の動きが不明です。公子・小白も莒に居ます。油断はなりません。万全を期すべきです」
荘公は申繻の言葉を聞くと顎を撫でながら言った。
「ともかく。今は来たるべき時に備えるしかあるまい。準備を進めよ」
紀元前685年
念願の地位を得た公孫無知は浮かれていた。
宮中でどんちゃん騒ぎを毎日のように行い。国政を顧みなかった。そんな調子の彼はこの年の春、自分が虐げていた大夫・雍廩により殺された。呆気ない死であった。
公孫無知の死で素早く動いたのは高傒である。彼は公孫無知を担ぎ上げた連称と管至父ら一派を粛清すると、配下に命じた。
「公子・小白を向かい入れる。使者を出せ」
使者は莒に向かった。
夏、公孫無知の死は魯にも伝わった。
「良し、軍を出す」
魯の荘公は自ら軍を率いて糾らと共に斉に進軍を始めた。しかしながらその軍の速度は大軍故か、余裕故か、実にゆっくりなものであった。
「遅過ぎはしませんか?」
管仲はこの軍の進軍の速度に不安を覚えた。
「公子・小白のことを心配しているのであれば心配はいらない。小白の居る莒はここよりも遠い。斉に先に入ることのできるのは私たちだ」
召忽はそう言うが管仲の不安は消えない。
(確かにそうだがそのことは莒に逃れている鮑叔とて考えているはずだ)
友人である彼の才覚を誰よりも理解している管仲にとって鮑叔が今回の事態になった状況下で動けないとは思えなかった。
「もう少し軍の速度を早めるべきだ」
「何故そこまで警戒する。小白が我々よりも早く斉に至るには公孫無知の死を知る前に動かなければならない。そのようなことができようがない」
管仲の意見に彼は反対した。物理的な距離を凌駕するにはそれほどの速い行動が必要であろう。
「だが……それでも早めるべきだ」
管仲はそう言った後、糾を見た。だが、彼は召忽の方を向き、召忽が管仲の意見に賛同しないのを見て何も言わなかった。そんな糾にため息を吐いた管仲は両手を握り締めた。
(何も行動できない。そのことがこれほど口惜しいこととは思わなかった)
管仲は悔しさを滲ませながら天を仰いだ。その時、一羽の黄色い鳥が飛んでいるのを見た。
管仲は配下の者を集め先行させることにした。
高傒の使者は莒に向かって馬を駆けていた。すると前方より馬車がやって来た。その馬車に乗っているのはなんと公子・小白であった。使者は驚きながら声をかけた。
「公子・小白様ですな」
「おぉ私が小白だが何用か」
使者は馬から降り、書簡を小白に渡した。
「公孫無知が殺させたため至急来たれりか」
彼は書簡を傍らにいる鮑叔に渡した。
「確かに高傒殿の書簡でございますね。小白様の予感が当たりましたな」
小白と鮑叔らがこうして馬車を走らせて斉に向かっているのは彼が突然、斉に行くと言ったためである。
最初、鮑叔は高傒からの知らせを待ってからで構わないと思っていたが小白はそれでは遅いと言った。
(主君の言葉に力強さがあった)
以前のような焦りからの言葉ではなかった。まるで、
(天の声のようであった)
今、思えば、あれは天が小白の口から天の意思を知らせていたのではないか。鮑叔はそう思いながら馬車を走らせたのは正解であったと思った。
「既に魯が公子・糾を伴い動いているという話でございました」
使者がそう言うと、小白らは驚きながらも鮑叔を見た。鮑叔は頷きながら、
(ほんの少しの差が運命を変える)
その差をここから活かさなければならないそう思った。
「急ぎましょう。公子・糾が先に入れば、我々に協力している高傒と国氏とて、公子・糾を立てるでしょう」
高傒も国氏も決して完全な味方ではない。状況によってはこちらに牙を向けることも平気に行うだろう。それが政治である。
「そうだな。急ぐとしよう。魯は軍を率いていることからゆっくりと動いていることだろう」
小白は急げ、急げと御者を急かしながら馬車を走らせた。それを枝の上に止まっている黄色い鳥が見つめていた。
「何だと」
魯の軍にいる管仲は配下の者の報告を聞いて驚きを表わにしていた。
「はっ既に公子・小白は我らよりも先行しております」
(速い、流石に速すぎる)
小白たちの動きの速さに管仲は驚いていた。本来であれば高傒からの報告があったとしても莒から来て自分たちよりも先にいるのは不可能なはずだ。
(空を飛んで来たというのか。それとも天が公子・小白を導いていると言うのか)
管仲はそう思いながらもこうなった以上、これを阻まなくてはならない。
「魯君に直接進言しに行く」
管仲は魯の荘公の元に向かった。
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