第30話 志を遂げようとする者
雪、舞う中、曲沃の武公は雲深い天を睨んでいた。そんな彼の元に韓万がやって来た。
「こちらに虢の軍勢が向かってきております」
武公はその報告に舌打ちした。小子候を殺し、翼を占領したが元々まだ翼を得る時期ではないと思っていた。だが小子候が呆気なく死んだためその勢いのまま進軍し翼を占領したのだが、
(やはり、横槍が入ったか)
父、荘伯の時のように虢が動いた。その裏には周王室がある。つまり、周王室としては晋の国君の座は翼が相応しいと考えているようである。
そして、虢は西方における最も大きな勢力である。その虢とここで戦うのは得策ではないだろう。
「韓万、退くぞ」
「承知いたしました」
(父上、御祖父様まだ称は晋を統一することはできませんが必ずや成し遂げてみせます。それまで少々お待ちを)
「早く春は来ないのか。ここはあまりにも寒すぎる」
雪の舞う中、白い息を吐きながら彼は呟いた。
紀元前703年
夏、巴が大夫・韓服を楚に送り、鄧との友好の橋渡しをしてもらえるよう頼みに来た。
楚の武王はこれを許し、大夫・道朔を韓服に同行させ、鄧に向かわせることにした。
だが、その道中、鄧の南の地である鄾の地に通りかかったところ、この地の人々は彼ら一行に突然襲いかかった。彼らは道朔と韓服を殺し、財物を自分のものにした。
この訃報を武王は聞くや、彼は激怒した。彼は大夫・薳章を鄧に派遣し今回の事態を叱責したが、鄧はあくまで鄾の人々、その中でもならず者と言うべき者が行ったことでこちらの意思では無いと主張した。
そのような主張を受け入れるような人物では無いのが楚の武王である。
「鄧がそのような態度でくるのであればこちらにも考えがある。闘廉、鄾を撫で斬りに致せ」
「御意」
大夫・闘廉は楚の軍と巴の軍を率い、鄾を包囲した。鄾を救援するために鄧は大夫・養甥と聃甥に援軍として向かわせた。
鄧の軍は三度、楚と巴の軍を攻め立てるがこれを落とすことができないでいたが、楚と巴の軍も決定打を打てない状況が続いた。
そこで闘廉は策を巡らせることにした。
「次、鄧が攻めてきた時は我らがそなたらの軍の中に陣を張り、その際、我らはわざと鄧に負け、退く。鄧の将は今まで勝ちきれなかったために我らを追うことだろう。ある程度退いたところで我らの反転するのに合わせ、敵軍を挟撃してもらいたい」
闘廉のこの提案に巴の将は同意した。
翌日、鄧が攻めてきた。闘廉は陣を張り、これと戦い、
「退くぞぉ」
ある程度戦うと闘廉は作戦通り、退いた。鄧の養甥と聃甥は何の疑問を持たず、これを追いかけ始めた。
鄧の軍は巴の軍を通り向けたところで、
「全軍、反転し反撃せよ」
闘廉は軍を反転し、鄧軍に襲いかかった。それに合わせ、巴軍も鄧軍を攻めた。前後を挟まれる形になった鄧軍は散々にやられ、大敗を喫した。
その夜、鄾の地は楚軍と巴軍の両軍によって人々は撫で斬りにされ、壊滅した。
秋、虢公・虢仲は芮伯、梁伯、荀侯、賈伯を率いて、曲沃へ攻め込んだ。
五カ国を相手にしなくてはならなくなった武公はこの状況を必死に耐えた。ここで敗れれば祖父から三代続いた曲沃と志を絶やすことになる。負けるわけにはいかないこの戦いの中、武公は五カ国に一歩も退かなかった。
そんな武公に答えるように韓万、梁弘ら大夫たちも奮闘し、その結果、五カ国連合を曲沃から撤退させることに成功した。
ひとまず、安心した武公はふっと息を吐くと、韓万に、
「なんとか滅亡は防ぐことができたな」
と、言った。
「左様ですな」
「だがこの先もこのような戦をしなくてはならない。そのためにはお前たちと兵たちの力が必要である。この先も力を貸してくれ」
武公は頭を韓万らに下げる。そんな武公に韓万らは感動し、武公のため力を尽くすことを誓った。
未だ志ならずも武公は着々と力を付け、志を遂げる時は着実に近づいていた。
冬、魯に曹の太子・射姑が来朝した。魯はこれを上卿らに接待させ、宴を開いた。
その宴で楽奏が始まると射姑はため息を吐いた。それを見た魯の大夫・施父が言った。
「曹の太子には憂いがある。ここはため息するような場所ではない」
さて、曹の太子の憂いとはなんであるのかそれは翌年、理解できることになる。
紀元前702年
正月、曹の桓公が亡くなった。どうやら随分と前から病を得ていたようで射姑の憂いとはこのことであった。後を継いだ射姑は荘公と言う。
その頃、奇妙な事件が起きていた。
虢仲が虢の大夫・詹父のことを周の桓王に讒言したのである。自分の臣下を王に訴えるというこの奇妙な光景がここにある。
訴えた理由はよくわからないが桓王は詹父の言い分が正しいとし、王軍に虢仲を攻めさせることにした。
夏、虢仲は虞に出奔した。
その虞でも事件が起こっていた。虞公の弟である虞叔が兄を攻めたのである。
経緯はこのようなことがあった。
虞叔は玉を持っていたのだが、虞公はそれを欲しがり、渡すよう要求した。虞叔はこれを断ったがその後、彼は後悔した。
「周にはこういう諺がある。『匹夫に罪が無くても玉壁を持っていれば罪となる』と私がこの玉を持っていても無用なものである。これにより、害を得る必要はない」
虞叔は玉を虞公に献上した。
すると、虞公は虞叔の持っている宝剣を要求した。虞叔は言った。
「これではきりがない。いずれ禍が起きるだろう」
こうして、虞叔は虞公を攻めたのである。その後、虞叔は共池へ出奔した。
玉を得ようとして、虞公は余計な怒りを買い、宝剣を惜しむが故に虞叔は国君を攻めるという大逆を起こし、国を去らなければならなかった。
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