第11話 周と鄭の軋轢

 石厚せきこうが密かに公孫滑こうそんかつの元にやって来たのは夜である。この珍客に怪訝な顔をしながらも彼は部屋に招き入れた。


「何の用ですかな。石厚殿」


 公孫滑の言動には棘があるがそれは仕方ないことである。彼は自分の鄭への出兵に反対していた者なのだ。


「あなた様の鄭への出兵に反対したこと、誠に申し訳ございません。しかしながら、わけがあってのことでございます。お許し下さいませ」


 彼は恭しく、公孫滑に頭を下げる。


「ふん、早く要件を話せ」


 苛立ちながら公孫滑は彼に言う。


「あなた様の父君の段(だん)様のことでございます」


「何、父上のことだと。貴様、父上に何かしたのか?」


 彼は怒気を現にしながら石厚に迫った。


「落ち着いてくださいませ、何もしてはおりませぬ。それどころかむしろあなた様方に協力したいのでございます」


「どういうことか?」


「あなた様の父上を衛に招き、鄭の国君の地位に就くのに協力すると申しているのでございます」


「それは本当のことか」


 公孫滑は先ほどと打って変わって喜色を浮かべた。彼は父である段を敬愛しており、鄭の国君に相応しいのは父であると固く信じている。


「但し、あなた様方が私たちに協力すればの話でございます」


「協力……何をすれば良い?」


「我が主(公子・州吁しゅうく)がこの国の国君の座を得るのに協力してほしいのです」


 彼の言葉を聞いた瞬間、あっと息を呑んだ。州吁が国君の座を得るには今の衛の国君である桓公かんこうを国君の座から引きずり下ろすしかない。つまり、桓公を殺すということである。


 さすがの公孫滑も一瞬迷いが生じた。桓公は少なくとも自分を信頼してくれているのである。そんな相手を殺すべきかどうかと?


(父上を鄭の国君に)


 それが彼の願いである。その願いを叶えるためには……


「どうすればいい」


 彼がそう問いかけたということは協力すると決めたということである。石厚は笑みを少し浮かべ、


「直ぐにどうこうしてくれと言っているわけではございません。今は周りの者たちの空気がまだ桓公に傾いておりますから」


 彼は桓公が鄭への出兵を決めたあたりから周りの者たちに会い桓公を密かに謗り、州吁を称えた。最初は彼の言動を無視する者が多かったが次第に同調する者も出てきていた。


「今、やってもらうとするならば獳羊肩たちを非難してください。あの者たちは邪魔ですから」


「分かった」


「動く時は直ぐに知らせます。さて、今後協力する上で友好を深めるため酒をもってきました。如何ですかな」


「おお、頂こう」


 彼らは酒を酌み交わし、策を練った。






 紀元前720年


 三月、周の平王へいおうが崩御した。平王という人物は我慢の人生を歩んだ人物である。


 父、幽王によって太子の座を追われ、何とか即位するが、王朝に以前ほどの影響力は無く、各地の諸侯は一見、周王を尊重しながらも王朝の支配から逃れ、各々が己の国のことのみを考え、勝手なことばかり行っていく。


 そんな状況を眺めるだけの平王には心中、苦々しく思いながらも諸侯の力により、即位した手前、諸侯に強く出ることのできない自分に苛立つ毎日を過ごしてきたが、彼はその思いを表には出さず、我慢し続けた。これは中々できることではない。彼はその思いを胸に秘めながら崩御した。


 平王の息子の太子・洩父せつほは早世しているため孫のりんが即位した。これを桓王と言う。


 平王が我慢していた不満は孫の桓王にも受け継がれたようである。しかも受け継ぐだけでなく、彼は実行に移した。卿士(執政)の位を虢公かくこうに渡そうとしたのである。彼は父に比べると忍耐力に欠けている。


 これに激怒したのは鄭の荘公そうこうである。鄭は桓公、武公と二代に渡り、周王朝に尽くしてきたという自覚が自分自身にはある。故に卿士になるのは自分であるはずなのだ。しかし、桓王はそれに感謝するどころか恩を仇で返すようなまねをしている。怒りが収まらない彼は祭仲さいちゅうを呼んだ。


「今から、兵を率いて周都に行き、王子を王にお返しし、こつを取り戻せ」


 王子とは平王の子である王子・のことである。忽とは荘公の息子で太子の忽である。


 なぜこのようになっているかと言うと昨年、平王が虢公と親しく、政治を任せようとしたのを荘公は恨んだ。これの弁明として、平王は人質として狐を送ってきた。つまり、人質を出すことで鄭との関係を無下にしてはいないという証明のためである。そのため荘公はその答礼として忽を人質として、周に送ったのである。


「承知しました。しかし、なぜ兵を率いて周都に向かうように言われるのかお聞かせいただきたい」


 人質を取り戻すのに兵を率いる必要はなく、自分のみが行けばこと足りることを荘公が命じたことに彼は疑問に思い聞いたのである。


「温の麦を刈れ」


 温は周の領土で周都である洛邑に近く、穀倉地帯である。


「周王の怒りを買いますが」


「構わぬ」


 荘公からすれば先に喧嘩を売ってきたのは桓王のほうである。自分はその喧嘩を買うだけなのだ。


 彼はそれ以上何も言わず命令通り、周都に向かった。彼の思想は国をいかに保つかということが第一であり、鄭という国を保つためには苛烈な手段も辞さない人物である。彼からすれば桓王は国にとって邪魔な存在である。故に彼は周と最悪戦うことになっても構わないと考えているところがある。


 彼は一旦軍を周都の前で滞陣させ、桓王に謁見した。彼は王子・狐を返す代わりに忽を還すよう請うた。桓王はそれを許した。桓王からすれば叔父を返してくれることに異存はないし、表に軍を置かれているため下手なことはできない。


 桓王の許しを得た祭仲は忽と共に周都を発った。そして、温に向かい、兵に命じ、温の麦を狩った。


 祭仲が去った数日後、温の麦を狩られたことを知らされ桓王は激怒した。更に祭仲は秋に洛邑の近くまでやって来て再び麦を狩った。それにより、またもや桓王は激怒。こうして周と鄭の間に大きな軋轢が生まれたのである。


 この軋轢は修復されることはなく後に両国は兵を交えることになる。



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