第12話 宋の穆公

紀元前720年


 八月、宋の穆公ぼくこうが亡くなった。


 穆公は病に伏している時、大司馬の孔父こうほまたは孔父嘉こうほかを招き、先君である宣公の息子の与夷よいを託して、こう言った。


「先君は己の息子でなく、私を立ててくださった。そのことを私は今まで、忘れたことはない。もし、あなたのお陰で私が生を全うすることができたとしても、あの世で先君に与夷は如何したのかと聞かれれば私はどの様に答えれば良いのか。あなたはどうか与夷を奉戴し、社稷(国家のこと)を保ってもらいたい。そうすれば私は心置きなく死ぬことができる」


 これに対し孔父は困った。なぜなら群臣たちの間ですでに穆公の子である公子・ひょうを立てたいと考えていたからである。


「我々臣下一同はあなた様のご子息を主としたいと考えております」


 彼は群臣たちの考えをありのまま穆公に伝えた。しかし、穆公はその言葉を聞いて、首を横に振った。


「先君はわしを賢人をみなして社稷の主にさせてくれた。もし位を譲らなければ徳を棄てて先君の行為を無視することになるだろう。これを賢と言うことができるだろうか。先君の美徳を継ぐべきである。汝は先君の功を廃してはならない」


 病に伏しながらも強い口調では言う。彼は兄に位を譲られた時に感動し、自分も兄のようにありたいと考えていた。そして、兄の子を自分の後継者にすることで彼は兄の名を高めた。


 そのため孔父はこれに同意した。その後、彼は大宰・華父督かほとくに会いに行った。


「君は与夷様を立てたいと申している。私は君の言う通り、与夷様を立てようと思う」


 孔父は良くも悪くも国君への忠義が篤く、愚直な男である。彼は穆公が与夷を立てたいと考えているならば彼を立てると考える男である。


「左様か、君は与夷様を……ならば仕方ない与夷様を立てよう」


 一方の華父督はあくの強い人物で、自分の利益になるかどうかで物事を考える節がある人物である。そんな彼が与夷を奉戴することを決めたからには、彼にとって何か利があると思ったからであろう。


「そうなると馮様は他国に遷らせよう」


「なぜ、他国へ遷らせる」


 そう聞く孔父を内心馬鹿にしながら華父督は彼にこう言った。


「群臣たちの間で馮様を立てたいと考えている者は多い。逆に与夷様を立ててこれに不満に思った者が馮様を担ぎ上げるかもしれない。そうならば国に禍をもたらすだろう。それを防ぐためである」


「なるほど……ならば馮様は他国に遷さなければならないな」


 悲しそうに孔父は言った。、内心彼を見下している華父督はそんな彼を見て、心の中で嘲笑った。彼からすれば孔父は甘く馬鹿な男で憐れみを覚えるほどだと思っている。


 こうして数日後穆公は亡くなり、後を継いだ与夷を殤公(しょうこう)と言う。そして、公子・馮は鄭へ遷された。そんな彼を見送る者の中に華父督がいた。それを見つけた公子・馮は彼に近づき、笑顔を浮かべ握手した。奇妙な光景である。なぜなら彼は公子・馮を他国に遷せと孔父に言った人物であり、殤公を奉戴することに同意した人物である。そんな彼に笑顔を浮かべ、握手をしているのである。


 実は、華父督は孔父と話し、彼が去った後に公子・馮の元に行き、彼に話した内容を話した。孔父が公子・馮を他国に遷すように言ったと話を作り変えて公子・馮に話したのである。そして、自分は公子・馮の味方であるというように見せかけたのだ。そのため彼は華父督とあのように握手を交わしたのである。






 宋で殤公が位を継いだ頃、衛にいる公孫滑こうそんかつは衛の桓公かんこうに謁見し父・だんを招きたいと桓公に請うていた。


「父を招きたいと言うのか」


「はっ、左様でございます。もし私の願いを聞いていただきましたならば父と私は共に鄭への先鋒となりましょう」


 桓公は悩んだ。できれば叶えてやりたいと思ったが……


「なりません」


 これに獳羊肩どうようけんが反対した。


「この者の父は己の兄であり、国君を殺めようとした男でございます。自分の兄や国君に仕えることのできない者が我らに仕えることなどできますまい」


「いや、この者は私に良く尽くしてくれている。大丈夫であろう」


 獳羊肩が強く反対するのを聞かず、段を招くことに同意した。


 桓公の許しをもらった公孫滑は直ぐさま書簡を父の元に送った。この数日後、段は大きな箱と共に衛にやってきた。


「父上、良く来てくれました」


「うむ、お前のおかげだ」


 公孫滑と段は涙を流しながら抱擁する。


「段殿、きちんと連れていただきましたか」


 ここにいるのは公孫滑と段だけではなく、石厚せきこうもいた。


「ああ、言われた通り、ここに」


 段が箱を指さすと、箱が開きだした。そこから現れたのは一人の男であった。


「お体は大丈夫でございますか? 我が君」


 その箱から現れたのはなんと公子・州吁しゅうくであった。


「少し体が痛いが大丈夫だ」


「申し訳ございませぬ」


「謝る必要などない。逆に良くやった」


 州吁が首に手を当てて、首を傾けているのを見て慌てた様に、言う石厚に州吁は苦笑しながらそう返した。


 その後、石厚は州吁と段と公孫滑を屋敷に招いた。


「すでに兵は用意しておりまする。明日、内部の者からの手引きで宮中に入り、あの者を討ちます」


「そうか、見事であるな。褒めて遣わす」


「感謝いたします。段殿、公孫滑殿は明日の先鋒として、宮中に突撃していただきます」


「招致した」


 段と公孫滑は石厚の言葉に頷いた。


「では、明日決行いたします。その前に先ずは誓いの盃を」


 石厚はそう言って、酒をそれぞれの盃に入れ、誓いを交わした。


 衛に大きな乱が起きようとしていた。



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