第10話  鄭と衛の対立

 紀元前722年


 七月、周の平王へいおうから魯に、恵公と仲子ちゅうしの葬儀のための弔問の品が送られてきた。


 当時の礼では諸侯の天子(周王朝の王のこと)の死後七ヶ月で葬儀を行い、諸侯全員が葬儀に参加する。諸侯が死んだ時は死後五ヶ月で葬儀を行い、葬儀には同盟国である諸侯が参加する。大夫は三ヶ月で葬儀を行い、官位が同格の者が参加する。士は死後一ヶ月で葬儀を行い親戚が参加することになっている。


 恵公が亡くなったのは前年のことであり、七ヶ月以上既に経っている。また、仲子は翌年亡くなることにはなるがまだ亡くなってはいない。


 恵公への弔問にしては遅すぎる。仲子への弔問にはあまりにも早すぎる。礼に反した行為を平王は行った。この年は平王の在位は四十九年であり、当時のことを考えると相当な年であることが分かる。そのためもう冷静な判断ができない状態だったのかも知れない。


 九月、黄の戦いで魯と宋の冷え切っていた関係を修復するために宿(しゅく)の地にて両国の大夫が会盟し、講和した。恵公の負の遺産を一つ解消したといってよい。






 この頃、衛に保護を求めて飛び込んだ男がいる。この者の名は公孫滑こうそんかつという。鄭で反乱を起こそうとして鎮圧された共段きょうだんの息子である。この男は衛の国君である桓公かんこうに気に入られるようになる。それを利用して彼は桓公に鄭を攻める利を説き攻めるよう懇願した。


 桓公はまだ即位してからそれほど月日は経ってはおらず、彼は若い故の無鉄砲さがある。そのため公孫滑の願いを叶えてやろうと思い、鄭に兵を向けることを決めてしまった。


 これに獳羊肩どうようけんが諫言した。


「公孫滑の言を採用してはなりません。この者の父が行ったことは重罪であり、鄭の国君に敗れたのは天の采配によるもので必然だったのです。そのため彼に従うことは天に反することであり、多くの者の反感を買います。どうかご再考くださいませ」


 獳羊肩の諫言に他の者も賛同した。その中に石厚せきこうがいた。それを見て、露骨に嫌な顔をしたものがいる。桓公の義母である荘姜そうきょうである。彼女は今は他国にいる公子・州吁しゅうくを嫌っており、そんな彼に近い存在である石厚もまた嫌いである。


 桓公は鄭への出兵に反対する群臣たちが多いため一旦会議を解散させ、桓公は自分の寝室に戻った。荘姜は彼に会い。


「衛への出兵に反対した者の中に石厚がいましたわ。あの者は忌々しい州吁に近い者、あの者の言を決して信じてはなりません。公孫滑のために鄭を攻めましょう」


 義母が州吁を嫌いであるため彼も同じように嫌っている。そのため義母の言葉通り、翌日、桓公は公孫滑のため鄭への出兵を決めた。獳羊肩は何とか食い下がろうと諫言するが頑として聞くことはなかった。


 十月、衛は軍を率いて鄭の廩延という地を取った。


 この衛の行動に対し、鄭は迅速に行動した。周と虢と邾に出兵を請い、彼らの軍を共に率いて、鄭は衛の南郊を攻めた。そこで衛軍を破った。


 この時、魯の公子・が参加していた。邾の克が密かに今回の戦のことを伝えたのである。なぜ彼が豫に伝えたのかはよくわかっていないが豫は隠公(いんこう)に出兵を請うた。


 彼としてはまだ国内が纏めきれていないと考えており、今回の戦の盟主である鄭に出兵を請われたわけでもないのに出兵するべきではないと考えている。そのため彼はこれを受け入れなかった。


 だが豫の考えは鄭という国が今、勢力を強めているため、今のうちに誼を通じるべきと考えている。そのように隠公に豫は進言するが彼は聞き入れない。


 そこで豫は彼に黙って出兵した。そして、彼は翼の地にて、鄭と邾と会盟した。


 国君に黙って軍を動かすことは重罪だが、形だけでも鄭とつながりを作った豫を彼は結局罰しなかった。


 十一月、周王朝の朝臣である。祭伯さいはくが魯に亡命してきた。彼がなぜ亡命してきたのかはこれもよくわからないが、周王朝の内部で何かしら争いがあったと思われる。原因としては平王が政治を鄭の荘公よりも虢公かくこうに親しみ、政治を任せることに祭伯が反対したのかも知れず、それにより、平王の怒りを買ったためかもしれない。そのため魯に亡命したのかもしれない。






 紀元前721年


 春、隠公は潜の地で戎と会盟を行った。だがこの会盟で隠公は戎と正式な形での盟を結ばなかったため戎は正式に結ぶよう要求した。しかし、彼はこれを断った。戎が心の底から魯と盟を結ぼうとしていなかったためである。


 隠公は戎を懲らしめるため、附庸国である極を魯の卿である司空・無駭むがいと大夫・費庈父ひきんぽに攻めさせ、これを滅ぼさせた。


 これに大いに恐れを抱いた戎は再び魯に盟を請うたため唐の地で会盟を行った。


 十二月、仲子が亡くなった。仲子は魯に嫁ぐことが定められた運命だと思っていたが、まさか彼女は老年の恵公に嫁ぐとは思わず、流れるままに嫁ぎ、彼の子を産んだ。彼女が嫁ぐはずだった隠公は彼女の葬儀の際どう思ったのか……


 史書では彼の感情に対しては無言である。






 再び、鄭は衛を攻めた。公孫滑及び、前年の戦への恨み故の出兵である。獳羊肩は桓公に公孫滑を鄭に引き渡すよう進言するが彼はこれを聞き入れなかった。それを見て、静かに笑った者がいる。石厚である。彼はその後、密かに夜、ある部屋に向かった。その部屋の主は公孫滑である。



 

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