第14話 大義、親を滅す

石碏せきさくの元に獳羊肩どうようけんの使者がやって来ていた。使者は書簡をもっており、それを彼に渡した。彼は書かれていた内容を見て、ため息をついた。


「衛で主君を殺した州吁しゅうくが即位し、その後、鄭に兵を向けたか」


 州吁が鄭に兵を向けたのは諸侯へ自分の武を示すためと、桓公が亡くなったことによる衛の民の動揺を抑えるためであるが、実は宋も関係しているのである。


 宋で殤公しょうこうが即位したため、公子・ひょうは鄭に遷された。そのため鄭では、公子・馮を宋に送り込んで宋の国君に立てようと考えていた。そこでこれを利用することを考えた州吁は宋に使者を送り、こう伝えた。


「貴国が鄭を討伐するのであれば、我が国は貴国の害を除くために協力致しましょう。貴国を主と仰ぎ、陳、祭と共に従軍します。これは我が国の願いでございます」


 宋の大司馬である孔父こうほは先君・穆公ぼくこうの遺言に従い、殤公に即位させた以上は殤公以外が国君となるべきではないと考えている。そのためこれに同意し、宋の殤公、陳の桓公かんこう、蔡と衛からは石厚が兵を率いて鄭の東門を攻めた。鄭と諸侯は激しく戦うが破ることはできなかったため結果、諸侯は五日で撤退した。この戦いを『東門の役』と言う。


 この戦いでの州吁について、魯の隠公いんこうが大夫の衆仲しゅうちゅうに聞いた。


「衛の州吁は、己の地位を固めることはできるだろうか」


「徳をもって国を治めると聞きますが、乱をもって国を治めるとは聞いたことがありません。乱を用いるのは絡まってしまった糸をさらに絡ませるようなものでございます。州吁という男は武を好み、その上残忍な男です。武を好めば民衆の心を離れ、残忍なことをすれば親しき者も離れていくことでしょう。それでは成功できるものも成功することはないでしょう。武とは火と同じでございます。上手く処理しなくては大火傷を負うことになります。州吁は君を殺し、民を虐げ、その上、徳を高めず、乱をもって利用しようとしています。彼の者が禍から逃れることはないでしょう」


 石碏が衆仲の言葉を知るよしも無いが考えていることは同じであろう。だが彼には州吁への同情心がある。


 州吁は愛されなかった。愛されなかったために他者を愛すこともできない。そのため自分を誇示することで人々に愛されようとしている。


 だが、逆に彼は人々に愛されない。州吁をこのようにしたのは父・荘公である。荘公の中途半端な愛が彼をこのようにしたと言って良い。


(そう考えると人を愛することはなんと難しいことか。中途半端な愛の注ぎ方も過度の愛を注ぎ方もどちらも注がれた方も注いだ方も不幸にする。だとすれば果たして、自分は息子を愛していたと言えるのだろうか……)


 すぐさまその考えを止め、石碏は使者に聞いた。


「州吁はまた兵を挙げるか」


「はい、州吁は諸侯と共に鄭を攻めるようです」


「そうか……私はこれから陳君に謁見しに行く」


 隠居を決めた時から、彼はこの事態に陥った時のことを考えていた。


(できればしたくはない。だが……国を保つにはこれしかない)


 石碏は家を出ると陳の桓公の元に出向き、鄭に攻める際に自分も従軍させて欲しいと請うた。すると桓公はこれをあっさり認めた。


 陳の桓公という人はよくわからない人で時々このような物分りの良さを見せる人である。






 宋、陳、蔡、衛の諸侯たちが鄭を攻めたのは秋である。石碏は陳の桓公に従軍した。


(おや、あれは……)


 そこに知らない顔がいる。魯の公子・こと羽父うほである。なぜ彼が諸侯に混じっているのかと言うと宋が魯に出兵を要請した時のことである。


 魯の隠公は衆仲の言葉から州吁が成功することはないと考えているため、


(州吁の戦に参加するべきではない)


 そのため彼は宋からの要請を断った。だがこれに羽父は反対した。


「宋とは清で会盟を行っております。それなのに宋を助けないのは良くありません」


 彼の外交感覚としては一度会盟を行っているのだから両国の友好のためにも出兵するべきであるというものである。だが一方の隠公からすると、


(清での会盟は州吁の乱を知り、簡単な会盟を行ったに過ぎないから、そこまで拘る必要は無い)


 宋への出兵の義理は無い隠公はそう考えている。そのため彼の進言を取り上げなかった。進言を取り上げられなかった彼は、なんと勝手に私兵を率いてこの戦に参加したのである。


(この男は君に逆らいながらもそのことをなんとも思ってない。こういう男はやがて己の主君を害するようになるのだろうな)


 そう思いながら石碏は陳の桓公の元に向かった。


 諸侯の軍は鄭の軍を破り、禾の地を奪い帰還した。


 この帰還の際、彼の元に息子がやって来た。何年ぶりの再会であろうか、しかし、彼らの間に感動はなく、あるのは冷めた空気だけである。


「父上、民を安定させるにはどうすれば良いのでしょうか」


 石厚はそう父に訪ねた。州吁が桓公を討ってから、民の動揺は未だに静まっていなかった。


 彼は息子の言葉を聞いて、その理由を州吁が出兵を繰り返すことと、


(獳羊肩がそういう空気を作っているのかもしれないな)


 そのように息子へ冷めた目を向けながら思う石碏は彼に助言した。


「周王に朝覲すればよい」


「どうすれば朝覲できるのでしょうか」


「陳君は王と親しまれている。また陳と衛は友好国だ。陳に仲介を頼み、陳君に謁見を請えば良い」


「ああ、感謝致します父上。我が君に請い、早速陳君に謁見させていただきます」


 石厚はそう言って、父の元から立ち去った。


 諸侯はそれぞれ帰還した後、州吁と石厚は陳に向かった。彼らが陳に来る前に石碏は陳の桓公に謁見した。


「衛は弱小であり、大夫共は老いて耄碌しており、彼らは何もできません。あの二人は君を殺害しました。この機会に彼らを除くべきです」


「良かろう」


 陳の桓公は兵に命じ、州吁と石厚を捕らえさせた。






 九月、衛は右宰・しゅうを送り、陳の濮という地で州吁の処刑に立ち会った。


 石厚の処刑には石碏と獳羊肩が立ち会った。石厚は全て父の差金であったことを悟りながら処刑された。実の息子の処刑を前にしながらも石碏は眉一つ動かすことはなかった。それを見て、獳羊肩は、


(凄まじい方だ)


 石碏に対して戦慄を覚えた。


 衛はその後、邢にいた公子・しんを招き、彼を即位させた。これを宣公せんこうと言う。


 石碏はこの事から人々に大義、親を滅すと讃えられ、その名は不朽の者となった。彼の没年は不明であるが数年後に亡くなったと思われる。だが、身命を賭して、支えようとした衛は衰退していくようになる。そのためすぐに亡くなったほうが幸せであったかもしれない。






「子を愛するのであれば義方を教え邪道に陥らせるな」


 息子を殺し、国のために尽くした彼の言葉は以後も教訓として残っている。だが、それを守れない者のなんと多いことか。人が子を正しく愛するのは難しいものである。

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