第50話 運命の矢
「魯君にご進言致したいことがございます」
管仲は魯の荘公の陣幕に入るや否やそう言った。
「貴様、君に対し、無礼であるぞ」
周りの魯の大夫たちがそう言う中、
「無礼は承知しております。されど急を要することでございます」
管仲は一歩も引かない。
「良い、皆の者。してその前に貴方の名前を伺っても良いかな」
荘公は大夫たちを抑えると管仲の名を聞いた。
「斉の公子・糾の臣、管仲でございます」
(この方は斉の公子の臣下の名前を覚えていないのか)
魯の元に来た時点で名を告げているそれにも関わらず、彼は再度、名前を問うた。魯の荘公にとって斉の公子の配下などに興味は無いのであろう。
「糾殿の傍らに控えていた者であったな」
そう言えばと言うかのように荘公がそのように言うと慶父は鼻で笑った。
「ふん、陪臣風情がここに何しに来たのやら」
「よさんか慶父」
荘公はそんな彼を嗜めるが管仲の目には荘公にも同じような感情があるのが見えた。
(魯は好きになりそうな国ではないな)
そう思いながらも今は魯の力が必要である。
「報告します。既に公子・小白が我々よりも先行しているとのことです」
「なんだと」
魯の大夫たちは一応に驚いた。
「そのようなことある訳が無いだろう」
慶父が怒鳴るが管仲は彼に向かって言った。
「私の手の者が知らせてくれたことでございます。公子・小白は我らよりも先を行っております」
「公子・小白がいたのは莒であろう。であるのに我らよりも先に行っているのはどういうことか?」
魯の荘公がそう問いかける。
「それはわかりませんが確かでございます」
「兵数はどのくらいだ」
「正確な数はわかりませんが少数であると思われます」
荘公の質問に彼は淡々と答える。今は時が惜しいのである。こうしている間に小白が先に斉に入れば彼を国君として高傒らは立てるだろう。
「しかし、この者の言葉でどれほど信用なるかわかりませんぞ。先ずは我らの手の者を派遣し真実かどうかを確認するべきです」
慶父の言葉に管仲は苛立ちながら言った。
「もうそのような時はございません。直ぐ様、兵を派遣し、小白らの道を塞ぐべきです」
管仲の言葉に慶父は鼻で笑いながら、
「ふん、どうだがお前は管仲といったな。そういえば公孫無知を担ぎ上げた者の中に『管』の姓の者が居ったな。お前はその親戚ではないか」
と疑いをかけた。管仲としては心外であった。
「私とあの者は血縁関係ではありません。それ以上に今は公子・小白の斉入国を防ぐことが必要であるはずです。そのことがお分かりにならないのですか」
慶父と管仲は言い争う中、陣幕に公子・糾と召忽が入ってきた。
「管仲よ」
糾は管仲の傍にやってくる。
「どういうことだ」
「小白様が既に我らより、先行しております」
「まさかそのようなことが」
「そうだ。そのようなはず無かろう」
糾も召忽も驚きを表わにするも管仲はそれに対して、糾の目を見ながら彼は言う。
「確かです」
力強い彼の言葉に驚きながらも、
「そうか、わかった」
糾は荘公の方を見て言った。
「管仲の言は信用なります。どうか信じていただきたい」
荘公は彼の言葉に顎を撫でながら、一時悩むと管仲に命じた。
「良かろう。ならば兵の一部を管仲、貴公が率いて公子・小白の進む先に先回りせよ」
「感謝致します」
糾は荘公の言葉に喜ぶが管仲は喜びは現にせず。
「兵の数は如何程でしょうか?」
「二百だ」
(少なすぎる)
管仲は舌打ちした。もっと数があれば複数の道を塞ぎ、公子・小白が通れば連携して捕らえるなどができるがこの数ではそういったことができず、ある程度、道を特定する必要がある。道を間違えれば公子・小白の斉入国を許すことになるではないか。
(完全に私を信じたわけではないということか)
荘公というは目の前の管仲という臣に対して、所詮、公子・小白とは違い、国内にいながら己の主を出奔させた男という印象で管仲の能力に関しては低く見ているようだ。
(事実ではあるか)
内心、そう自嘲しつつ、
「わかりました。感謝致します」
管仲は礼を述べてから陣幕を出た。
(相手の正確の数がわからない以上この少数の兵では確実に公子・小白を捕らえるのは難しいか)
当初の予定とは違う以上、計画を変えなくてはならない。彼は配下のものたちを集め、小白の情報を集めた。
「お前が見た時にはこの地点にいたのだな」
「はい」
配下は彼の言葉に答える形で地図で小白一行がいた地点を指す。
「ならば公子・小白はこの道を通るだろう。そして、ここには丘がある」
彼は小白一行が通るだろう道をある程度予想し、配下たちにその道を示す。
「ここから公子・小白を射る。そこで君たちに先行してもらい。公子・小白の動きを知らせてもらいたい」
彼は数名を先行させ、残りの兵と共にその地点に急いで向かった。予定していた地点に到着し、やがて先行していた兵と合流した。
「どうだ」
「公子・小白はもう直ぐこの道を通ります」
「そうか」
予想通りであると思いながら彼は丘の先の道を睨むと小白を射る準備を始めた。
それから暫くして、兵に守られながら駆ける馬車が見えた。
「公子・小白です」
配下の一人が叫んだ。
「よし」
管仲は小白に向かって弓を構えた。
(あれが公子・小白か)
初めて小白を見て、そして、その傍らで馬を操っている友である鮑叔を見た。
(鮑叔……)
今、自分は友の主を殺害しようとしている。自分の才覚を誰よりも評価している友の主をだ。それを成そうとしているのは果たして正しいことだと言えるのだろうか。
余計な考えを振り払うように頭を振ると彼は小白に向かって矢を放った。
馬は道なき道をまるで踊るように走るため小白は馬車から落ちそうになりながらも必死に馬車につかまっていた。
「もう少し、何とかならないのか」
彼は悲鳴を上げるが鮑叔は言う。
「もう少しの辛抱です。我慢なさってください」
そんな鮑叔に彼は仕方ないという風に横を向いた。すると丘が見えた。その丘の上に黒い影があるのが見えた。
何者かと彼は目を細めるとその黒い影から矢が放たれ、その矢は小白の腹部に刺さった。
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