第7話 成師
紀元前739年
この年、晋で事件が起きた。晋の国主である昭候(しょうこう)が殺されたのである。
殺したのは大夫の潘父(はんふ)である。彼が昭候を殺した理由については史書に書かれておらず、不明である。しかしながら殺害した後、曲沃の桓叔(かんしゅく)こと成師(せいし)に連絡して、翼に招こうとしたのは確かであり、少なくとも彼は成師派の人物である。
これを伝えられた成師は飛び上がらんばかりに喜んだ。名が成師であるという理由から彼は用いられないことに我慢し、兄・文候(ぶんこう)の影に隠れずっと目立たないように生きてきた。兄よりも長生きする。それだけを心掛け、生きてきたのだ。
そんな自分が遂に日の目を見る機会が訪れたのだ。喜ぶなという方が,無理があるだろう。
(遂にこの時が来たのだ。長きに渡るこの苦しみから今、開放される)
潘父からの誘いに彼は直ぐ様、翼に向かう準備を始めた。これを欒賓(らんぴん)が諌めた。
「成師様なりませぬ。この度の事は国君(昭候)に非は無く、潘父に義は御座いませぬ。しかしながら貴方様は義の無き者に従おうとしております。義無き者に従えば、必ずや貴方様の大望の妨げになりましょう。義無き者を許さず、国君の御子息を立て、支えば貴方様の徳に服さぬ者はいないでしょう。そうすれば、貴方様の大望は成すことができましょう。どうかご再考を」
欒賓は成師に傅として付けられ、成師への同情がある。彼の言は成師を思うが故の言葉であった。
(乱に付け込むのではなく、乱を収めるほうが良い)
「国君の御子息を立てましょう。あなた様が国君の死を悲しみ、逆賊を殺す。それこそがあなた様の徳を多くの者に知らしめる策でございます」
彼は成師にそう進言する。だが彼はこれに従わず、軍を率いて、翼へ向かった。成師は長年、兄から受けた仕打ちを憎んでおり、兄の親族全てをこの手で殺したいと考えていた。
(兄の血などこの世に一滴とて残さん)
憎しみは時として、人に純粋さを与えるものであり、その純粋さは人に力をもたらす。しかし、その純粋さは視界を狭めることもある。この時の彼はまさしく視界が狭まっていたと言えよう。
成師が出発する前、密かに翼へ向かった者がいた。欒賓の息子である欒成(らんせい)である。
彼は父とは違い成師に対し同情は無い。あくまで晋の主は昭候であると考えており、彼からすれば昭候を殺した潘父は憎き敵であった。そのため彼は成師が潘父を討つために軍を動かすと思っていた。
だが実際には成師は憎き敵である潘父を討つどころか彼の招きに応じて国主になろうとしている。それを見て、
(成師と潘父は裏で繋がっていたのではないか?)
欒成はそう考えた。実際、彼らが裏で繋がっていた事実は無いがありえなくは無い話である。これを事実だと考えた彼は激怒した。故に彼は成師よりも先に翼に向かった。
欒成は翼にいる知り合いの大夫にそれを伝えた。そのまま彼らと共に潘父を襲い、彼を殺害した。そして、昭候の子である平(へい)を立てた。これを孝候(こうこう)と言う。
彼らは孝候を立てた後、成師が率いる軍に奇襲を掛けた。成師の軍は戦うことは考えていなかったため翼からの軍がやって来て襲いかかれたため虚を突かれた形になり、成師の軍は大混乱に陥いった。
「どういうことだ」
翼にて即位しているはずだったのに現実は翼の兵に負け、曲沃に逃げ帰るはめになっている。そのことに成師は憤った。
(このようなことが天命であってたまるか。私は認めん。認めんぞ)
「成師様、早くお逃げを」
成師に従い従軍していた欒賓はそう主君に言った。それを聞き成師は欒賓を睨みつけた。
「欒賓、貴様の息子が敵の軍を率いているという。どういうことか」
成師は欒賓に怒鳴りつけた。
「愚息があのような事をするとは考えていませんでした。この罰はいかようにも受けます。されど、今は退却することをお考え下さい」
しかし、成師の怒りは収まらない。更に怒鳴りつけようとするが
「父上、今は欒賓殿を攻めるのはお辞め下さい」
冷静さを失っている成師を彼の息子である鱓(ぜん)(後の荘伯)が諌める。
「欒賓殿の言う通り、父上、早く退却を」
「ならぬ、敵軍を破り、翼に向かう」
「父上それは無理でございます。敵軍に正義が有り、我らには正義がございませぬ。正義が無い者が有る者に勝つことはできませぬ。例えここでの戦に勝てたとしても翼にいる者たちは我らを受け入れることは無いでしょう。ここは退くべきです」
「わかった」
しばらく黙った後、答えた。成師はこのように息子に諫められ少し冷静さを取り戻したのである。彼は軍に退却するよう命じた。退却する成師の軍を見て、あえて翼の軍は追撃を掛けなかった。そのおかげで成師たちは曲沃に退却することができた。
「成師様。この度の敗戦。我が息子が原因とは言え、息子の罪は私の罪でございます。如何なるお裁きも受けます」
彼は手を地面に付け、頭を下げながら成師に請うた。成師はそんな姿を見て欒賓の手を取り、立ち上がらすと、
「なぜあなたが裁きを受けなくてはならないのか。受けるべきは私であり、あなたでは無い。あなたは私が間違えを犯すところ諌め、この度の敗戦では敵軍に対し、奮闘してくれた。あなたが賞されることはあっても裁きを受けることはない」
成師はそう言った。成師は兄に用いられない間はこのように人に接し、信望を得てきた。このように元々彼は人々に慕われ、尊敬されていた人物なのだ。彼は敗戦を経験し、自分自身を取り戻したのかもしれない。
その後、彼は国力を高めることに力を入れ、紀元前731年に彼は亡くなる。後を継いだのは息子の鱓である。以後、彼は荘伯(そうはく)と言う。彼は成師の意思を継ぎ、晋の統一を目指すことになる。
「私は果たして、兄を越えることができたのだろうか……」
亡くなる際にそう思い成師は世を去った。
晋における天の意思は如何なるものとなるのか、その答えはまだ出ていなかった。
紀元前735年
衛の荘公が亡くなり、子の完(かん)が継いだ。これを衛の桓公(かんこう)と言う。それと同時に石碏(せきしゃく)は引退した。
「何故このような時に引退なさるのですか」
獳羊肩(どうようけん)が彼に聞いた。
「もうすぐこの国に乱が起こるだろう。その時に備えるためには国を離れていたほうが良いのだ」
後は頼むと彼は獳羊肩に言って、陳に隠居した。
紀元前733年
衛の州吁(しゅうく)が桓公に対し無礼を働き、さらに傲慢だったため彼を叱責した。これに不満をもった州吁は衛を出奔した。
これを獳羊肩から伝えられた石碏は衛に起こるだろう乱に確信を持った。彼は獳羊肩に何かあったら知らせるよう伝えた。
「これが天の意思なのか」
彼は天を仰ぎ見て、呟く。天は何も語らない。だが、天の意思は確実に存在するのである。その天に背いてはならない。
「天よ。願わくばこの老骨に覚悟を与えてくださいませ」
天に祈りを捧げる……如何なる代償を払う覚悟を……己が息子を殺める覚悟を……
全ては亡き先君に誓った言葉を守るために……
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