第5話 母を愛し、愛されない男
紀元前744年
鄭の
その翌年、紀元前743年
鄭の公宮の玉座に座る鄭の荘公は目の前の女性、実母である
荘公の名の寤生とは逆子を意味する言葉で彼が逆子で生まれたことからそう名付けられた。
そんな彼に恐怖を感じたのが武姜である。
彼女は、自分から逆子で産まれた荘公が必ず自分に何かすると感じ恐怖した。自分の腹を痛め産んだ子が逆子で産まれたの見たためそう感じたのである。そのため彼女は彼の後に産まれた弟の
母というものは時に己の子供に強い憎悪を抱くことが彼女だけではなく多くの例がある。愛という感情は時として、強い憎悪に変わる時があるのだ。
彼女は段を愛するあまり夫である武公に段を太子にするように何度も請うた。だが、武公は彼女の願いを聞き入れなかった。
武公という人は策謀を用いるために人の心の機微がよくわかる人物であり、政治能力にも優れている。そんな彼にとって後継者問題を起こせば、国が乱れることはよくわかっている。
なにせ周が同じようなことが起こっためにあの様である。そのため妻の願いを聞き入れなかった。
(しかし、母に愛されぬとは……ならば私が愛さなければどうする)
武公は武姜とは違い反対に荘公を愛し、母に愛されない荘公を憐れんだ。
父が母の願いを聞かなかったため、父の死後、荘公は国主となることができた。だが、相変わらず武姜の彼への憎しみは消えず、愛すべき段をどうにか国主にしようとしていた。
そのために彼女は段を鄭で険要な地である制の領主にするよう、荘公に願った。そして、段が荘公を殺し、国主になって段と共に暮らす。それが彼女の夢である。
このように母は荘公を憎み、荘公を国主の座から引きずり下ろして、弟の段を国主にしようとしている。そんな母にも関わらず、荘公は母を愛していた。元々彼は母親思いなのだ。故にできれば母の願いを叶えてやりたいと思っていた。だが彼は自分を愛し、太子を廃さなかった父・武公より受け継いだ国主の地位がそれを許されない。それだけ国主としての責任は重いのである。
「制は険要な地で、かつて
荘公は優しく母にそう言った。武姜はそんな荘公を憎悪を込めた目で睨み付ける。だが、彼は気にしない。もう母にそのような目を向けられるのに彼は慣れてしまっていた。
「ならば京を段に与えなさい」
(京かあそこは大きな邑(まち)だったな)
京は大きい邑である。そこを国主の座を狙う弟に与えればどうなるか.荘公は理解していた。そう思いながらも彼は母を見る。相変わらず自分を憎む目を向けている。
(そこまで私を憎みますか母上……)
母がそこまで自分を憎む理由を荘公は知らない。それでも彼は憎むことができない。まして、処罰することもできない。狂おしいほどに母を愛しているからである。
「わかりました。段に京を与えましょう」
荘公の言葉に武姜は先ほどまでと打って変わり笑みを浮かべ、喜んだ。
(ああ、母上の笑顔のなんときれいなことか……)
荘公は母の笑顔を見て嬉しく思った。その笑顔が自分に向けられたものではないことを知りつつも。
武姜との話し合いを終えた荘公の元にやってきたのは彼の即位と共に鄭の宰相に選ばれた
祭仲の前半生はほとんど知られておらずなぜ彼が鄭に仕えているのかは判明していないが荘公の寵臣であることは確かである。そんな彼が荘公に言った。
「主君よ、都城(都邑)の城壁の高さが百雉(だいたい9mぐらい)よりも大きい都城は国に禍をもたらすものです。古来より、周の制度では都よりも大きい邑でも三分の一か四分の一、小さい邑は九分の一です。しかし、弟君に与えようとしている京はその制度に反しているほど大きい邑です。ただでさえ母君に愛されている弟君がそこに入れば大乱が起きますぞ」
祭仲は荘公のことを尊敬し、荘公が母君への思いが強いことも理解している。だが、宰相として国が乱れる可能性があることに目をつぶることはできない。
「母上が望んでいるのだ。何とか害にならないようにはできないか」
「母君の欲には限りがありません。どこにもある草でも増えすぎれば除去するのが難しいように早く対処しなくては手の打ちようがなくなります。ただでさえ母君に寵愛されている弟君なのですから」
(そのことはあなた様ご自身が良く知っておりましょう)
荘公は決して鈍い人では無い。祭仲の言葉を聞き、荘公はしばらく黙っていた。
「不義を重ねれば自ずと自滅する。しばらくは様子を見る」
荘公は祭仲に背を向けそう言った。
「承知しました。しかし、弟君と母君の監視を私に任せていただきませんか?」
乱を起こそうとするものは監視しなければならない。それを怠れば国が乱れてしまう。
祭仲の進言に荘公は頷いた。祭仲は荘公から離れ、ため息をつくと配下を呼び、段と武姜の監視をするように命じた。
こうして段に京を与えられた。以後彼は京城の大叔と呼ばれる。
紀元前741年
楚の
元々楚は紀元前1037年頃には存在しており、周王朝は何度も討伐軍を組織し、戦っている。
そんな楚が王国となり、勢力を伸ばし、周王朝の諸侯は楚の脅威に脅かされることになるのである。
鄭ではいつ大乱が起こってもおかしくなく、南では楚という勢力が姿を現し、晋やそして、衛でも大乱が起ころうとしていた。天下は本当の乱世を迎えようとしていた。
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