第35話 斉の二人の公子

 三日後、鮑叔と管仲は斉の宮中に呼ばれ、斉の僖公に謁見した。


「鮑叔が君に拝謁致します」


「管仲が君に拝謁致します」


 二人はそれぞれ僖公を前に拝謁する。


「表を上げよ」


 斉の僖公は決して高くない声で二人に言った。


「此度二人に来てもらったのは二人を公子の傅(教育者のこと)に付いてもらえたいからである」


(公子、どちらの公子だろうか?)


 僖公には息子が三人いる。一番上の兄で太子である諸児を除けば、公子は糾と小白の二人がいる。今回、僖公の言葉から察するに自分たちが傅となるのは二人の内のどちらかと言う事になる。


(さて、どちらかな?)


 鮑叔は管仲と共に官位をもらえることに嬉しさと怖さを感じながら僖公の言葉を待った。


「鮑叔には小白の傅に。管仲には糾の傅になってもらう」


 これには鮑叔は驚いた。二人が別々の公子の傅になるとは思っていなかったからである。


「承知致しました。謹んでお受けします」


 管仲がそう言ったため鮑叔も同じように続いた。そして、二人は僖公の元を離れた。


「別々の公子に付くことになってしまったな。管仲殿」


 残念そうに鮑叔は言うが管仲は、


「仕方ない。別に別々の国に仕えたわけではないのだ。各々が自分の職務を果たすだけであろう」


 と、淡々と言った。彼からすれば、今まで何ら注目を受けることなく才能を発揮できる場所もなかったことを考えれば、このような立場をもらうことは信じられないことであった。


(だが、他国の人間をいきなり公子の傅に任命するとは……)


 その点においては大きく疑問を持っているものの、それでも与えられた職務を全うしなければならないだろう。


 鮑叔と管仲はそれぞれの公子に会うために別れた。


「あなたが鮑叔か」


 鮑叔が公子・小白に会いに行くと小白が出迎えた。鮑叔が小白に会った第一印象は、


(明るい人だ)


 嫌味のない明るさを小白という人は持っていると感じた。そして、鮑叔を前に自然体であり、決して余計な威圧感を感じさせない人であった。


「この度、あなた様の傅となる鮑叔であります」


「あなたはどのようなことを私に教えてくれるのだろうか?」


 小白は鮑叔に問いかけた。


「人の上に立つ者としての在り方を」


 鮑叔はそう返した。そんな彼を見て、小白は一度、頷くとまた問いかけた。


「人の上に立つ者として、何が大切だろうか?」


「常に謙虚であること。また決断力のあることでございます」


「なるほど。ならば私が先ず、すべきことは先生の教えをしっかり聞くことですな」


 小白はそう言うと鮑叔を上座に案内し、自分は下座に座り、鮑叔に教えを乞う姿勢を見せた。


(この方が私の主になるのか)


 鮑叔はそんな小白を見て、感動した。小白には人の上に立つ器があると鮑叔は感じたのである。


(もし管仲殿と私が共にこの方に仕えればこの方を立派な斉の主にさせることもできるかもしれないのに)


 鮑叔はこの場に管仲がいないことを残念に思いながらも、小白に仕えることができる嬉しさを噛みしめた。


 一方、管仲は公子・糾に会う前にある人物にあっていた。


(既に公子・糾には傅が居たのか)


 そう、管仲の前に公子・糾には傅が一人付いていた。その者の名を召忽という。


(なるほどそれで他国の私を傅に任命したのか)


 既にいる者と共同で傅にし、自分の能力も同時に見ようとしているのであろう。


 さて、同僚となる召忽の第一印象は、


(真っ直ぐな人だ)


 そう管仲は感じた。また忠義心にも厚い人物であるとも感じた。そのためこのような臣を持てているだけでも糾は幸せであろう。


「貴公は学問において、一通りの知識を持っているのであろうな」


 召忽がそう問いてきた。管仲は拝礼を行いながら答える。


「まだまだ若輩者でございますがある程度の知識は有しております」


「公子を教え、導くのであるのだから知識は有してなければならない。貴公は見たところ知識を有していることに何ら偽りは無いようだな。これから共に公子を支えていこう」


「えぇそうですな」


 管仲は召忽の言葉に答える一方、


(この人は師には向かない人かもしれない)


 そう彼に対し思った。


 召忽という人は忠義心に溢れ、真っ直ぐな人であり、礼儀もしっかりとしている。


 だが、これは臣下としては有能に思えるが人を教え導く者としては少し、真面目すぎるように思える。真面目であることは悪いことではないが、それ故に人を教える者として、自分の価値観や物事の答えを教え子に対し教えすぎてしまうことがある。そのため教え子の伸びやかさを失わせてしまう可能性がある。


 それが召忽にあると管仲は感じたのである。


 時として、師は弟子に対し、突き放すことも必要である。それで弟子が考えさせ、思考に柔軟さを与えるようにするのだ。なんでも教えてしまうことは教育ではない。


(まぁそれをしてなければ良いのだが)


 管仲はそう考えながら召忽に案内され、糾に会った。


「あなたが管仲殿でございますね。これから私の師として、よろしくお願いします」


 糾に会って、管仲には鮑叔が小白に会ったような感動は無かった。糾が特別小白に劣っている部分は無い。礼儀正しく、風貌から嫌味等も感じられない。管仲に対し、教えを乞う姿勢も見せている。もし、国君となれば臣下の進言をしっかりと聞く方になるかもしれない。


 悪くはない。だがそれ以上でもない。それが糾へ管仲が抱いた第一印象であった。もしかしたら先に召忽に会わなければ別の感想を管仲は持ったかもしれない。糾には召忽が教えた召忽の思い描く、理想の君主像を投影されているにすぎないと先に召忽に会ったことで管仲は感じてしまったのかもしれない。


(この方を教えるにあたって先ずは召忽が作った枠組みを取っ払うことであろう)


 そう管仲は思ったが、


(しかしそれは難しい)


 自分は他国の人間である。そんな人間が信頼を得るには時間がかかるであろう。


(どこまでその時間があるのか)


 斉には混乱への火種がある。その火種が大きくなる前にその信頼を勝ち取り、同時に国君として導かなければならない。


 こうして鮑叔と管仲はそれぞれ己の主を得た。


 そして、紀元前698年、十二月、斉の僖公は亡くなった。この後を継いだのは長男の諸児であり、これを斉の襄公という。


 その襄公が先ず行ったことは自分と同じ地位であった公孫無知の地位を落とすことである。公孫無知と襄公は以前から対立していたがこれにより、公孫無知は激しい憎悪を襄公に向けるようになった。


 斉の火種が何時、燃え出すかも分からない中、管仲と鮑叔の二人はそれに巻き込まれて行くことになる。

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