第57話 斉君の傲慢

 紀元前681年


 春、斉の桓公、宋の桓公、陳の宣公、蔡の恵侯が北杏で会盟を行った。


 この会盟は宋の乱を鎮める目的で開かれたものであったが、宋の桓公が宋での乱が平定されたことを正式に発表する場になった。


 皆、宋の乱が平定されたことを喜んだが、斉の桓公はあまり喜びの表情を見せなかった。その理由はこの会盟に呼んでいた遂が来なかったためである。


(私を侮ったな)


 会盟に来なかった遂に怒りを覚えた斉の桓公は夏に遂へ軍を動かして、これを滅ぼしてしまった。その後ここに守備兵を置いた。


 この行為に諸侯たちは眉を潜めた。斉君は自分に逆らう者には容赦なく、兵を向ける人だ。と諸侯たちは恐れたのである。そして、内心斉に従いつつ、斉に心を許さないようにし始めた。


 そんなことを気にしない。いやわかっていないのであろう斉の桓公の姿に、管仲はため息を吐いた。


(やれやれ困ったこだ)


 この時の斉の怖さは管仲が斉の桓公が傲慢さをいくら見せても自国で問題を起こさせていないことであろう。


 次に斉の桓公が目を向けたのは魯である。


 魯との長勺の戦い以来、斉の桓公は軍備の増強に努め恨みを注ぐごうとした。


 その結果、斉は甲士十万と兵車五千を擁するようになった。そのため斉の桓公は自信を漲らせて管仲に言った。


「我が兵は訓練により、屈強となり数も増えた。今こそ魯に侵攻し、帰服させてみせようではないか」


 それに対し、管仲は憂いて言った。


「今、斉は危険な状態となりつつあります。主が徳をもって争わず、武で競っています。天下で十万の兵を持つ国は珍しく無く。我々が武をもって服従させようすれば、国内の民心を失い、諸侯は備えを設けるようになります。そうなれば我々は奸策をめぐらさなければ他国を得られず、国を平穏にするのも難しくなりましょう」


 しかし、斉の桓公は聞き入れず、軍を動かした。


 仕方ないと呟いた管仲は隰朋を呼ぶと彼に耳打ちをした。


「承知しました。しかし、魯はこのような策に乗りますか」


「乗るだろう。最初の一戦に勝てば後は勢いで戦を有利に進めることができるだろう」


 隰朋は拝礼を行い立ち去った。それを見送った後、管仲は密かに呟いた。


「戦には勝てるが徳を失う。さて困ったな……」


 斉の桓公は高傒、隰朋と共に魯に侵攻した。


 魯の荘公は曹沫、慶父、公子・偃と共にこれに対峙した。曹沫は荘公に進言した。


「下手に戦わない事です。敵は遠征軍でございます。こちらが守りを固め戦わないようにすれば敵は兵糧不足になり、退却するでしょう」


 荘公は面白くなさそうな顔をしたが同意した。しかしながら彼よりも面白くないのは慶父や公子・偃であった。


 彼らは魯の軍事を担っていた自負がある。それにも関わらず、最近の荘公は曹沫にばかり意見を求めるのである。そのような思いを持っているのを斉に付け込まれる事になる。


 軍を進める斉の桓公に隰朋が進言した。


「魯に対し、挑発を行い。その後わざとこちらの陣容を乱しましょう」


「ほう。なるほど」


 斉の桓公は戦において決して勘の鈍い人では無い。彼の進言を聞くとやりたいこを理解し、高傒に実行を命じた。


「魯には男はいないのか」


 晴天の中、魯に向かって罵声が飛んでいた。


「魯はこのように腰抜けの国とは思わなかったな」


 斉兵たちはそう言って魯軍を揶揄う。


 それを見て、慶父と公子・偃が憤って荘公に出陣を乞うた。しかし、曹沫が止めたこともあり荘公は同意しなかった。


 だが、公子偃は以前独断専行を行った人物故にまたもや勝手に出陣してしまった。これに慶父が続いたことで他の魯の軍も動き出してしまった。


「今です」


 隰朋が叫ぶ。これに桓公は頷くと戦鼓を打ち鳴らした。


 斉兵は声を上げ、魯兵と戦闘を始めた。魯の慶父も公子・偃も猛将である。しかし斉の桓公は戦の不味い人では無く、高傒と隰朋が補佐している。また斉の兵は強兵と言って良く魯の軍は次第に押され始めるとやがて斉軍の前に破れた。


「主よ撤退なさるべきです」


 曹沫が進言した。もはやここから立ち直すのは不可能と判断したためである。


「仕方ないか」


 荘公は悔しさを滲ませながら撤退を命じた。この戦は自分の手から離れたところで行われた戦である。それにも関わらず、自分が撤退しなくてはならない。そのことが悔しくても何もできることはない。


 魯は撤退を始めた。これを斉軍は追撃を駆けた。その結果、魯はその後も敗れ続け、三つの邑を取られてしまった。


 魯はやっと何とか陣容を立て直し、斉軍と対峙すると、斉軍はこれ以上の進軍をやめた。


「この敗戦は慶父と公子・偃のせいである。処刑してくれる」


「なりません。彼らは魯で貴重な将です。そんな彼らを処刑にすれば斉の思うつぼです」


 怒りに震える荘公を曹沫が宥める。


「しかし、多くの将兵を失い、三つの邑を取られてしまった」


 悔しさを滲ませる荘公に曹沫は進言した。


「主よ斉に講和を申込みましょう」


「講和だと、今の斉がそれに乗るとは思えないぞ」


 荘公の疑問は当然だろう。今、魯は斉に大敗し、斉には勢いがある。それにも関わらず斉が同意するだろうか。


「こちらが斉に奪われた土地を正式に斉の土地にすることを述べ、斉への服従を伝えれば同意するでしょう」


「仕方ないか」


 これ以上の戦はきついと考えた。荘公は同意した。しかし、斉に土地を奪われるのは悔しい。そんな彼の表情を見て曹沫は言った。


「心配なさらないください。私に奪われた土地を取り戻す策がございます」


 彼の言葉に驚きながらも荘公は頷いた。


「策とな。わかった。お前を信じよう」


 荘公は彼を信じ、彼に詳しい策の内容を聞いた。そして、その策の内容に驚いたが最終的に同意した。


 魯は臧孫辰を斉軍に送り、講和を乞うた。


「良かろう」


 斉の桓公は和睦に同意した。


 そして、斉と魯は柯で会盟を行うことになった。この会盟において、曹沫の名は不朽のものとなるのである。

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