第58話 柯の会盟
講和を行うため一旦,、斉軍は魯から撤退を始めた。それを見て、魯の荘公はほっと胸をなで下ろした。そんな荘公に曹沫は言った。
「主よ。斉君へまた使者を出すべきです」
「策のためか」
荘公がそう言うと彼は頷いた。
「内容はどのようにする」
「私が言う通りに書簡に書いて下さい」
そう言うと荘公は配下の者を呼び、彼の言葉を聞かせ書簡に書かせた。その後、荘公はその書簡を読むと不安そうに言った。
「これを読んで管仲にこちらの作が悟られるのではないか」
「可能性は大いにあります。しかし、斉君は彼の言葉を聞き入れないでしょう」
現在の斉の桓公の行動を見ていると管仲の意思がほとんど反映されていない。そう考えれば、管仲の意見が通るとは思えないと、荘公の疑問に彼は答えた。
それに曹沫は管仲にはできれば会盟に参加してもらいたいとも考えている。
(管仲がいた方が話が早く進むだろう)
「わかった。臧孫辰には悪いがまた行ってもらおう」
荘公は配下の者に書簡を預け、臧孫辰に渡すよう命じた。そして、曹沫を心配するように言う。
「しかし、この策はお前が危険に晒されるぞ。本当に良いのか」
「もし、失敗すれば私を容赦無く切り捨ててください。それが最善でございます」
淡々と曹沫は言う。
(この農民であった男がこれほどの信念と勇気があるとは……)
荘公はそう思いながら、
「成功を祈ることしかできないが、私はお前を信じている」
と言った。曹沫はそれに対し、静かに拝礼を行った。
国に戻った斉の桓公の元に臧孫辰が書簡を携えやって来た。
「魯は斉に比べ小国でございますので、双方共に剣を帯びずに会盟に臨むべきと考えております。もし剣を持っておりますと、双方が未だ交戦状態にあることを他の諸侯に示してしまうことになりましょう。我が国は剣を携えず会盟に臨みたいと考えます。そのため貴国も剣を持たずに参加していただきたい」
彼は書簡に書かれた内容を読み、その後、管仲に渡した。
桓公は魯が此度の戦いで余程斉を恐れたと感じ、魯が斉に従うようになると思ったが管仲は逆の考えをもった。
(何か策があるのではないか)
管仲はこの会盟で魯側が何かを仕掛けるのではないかと考えた。そのため彼は書簡の内容に同意しようとする桓公を止めた。
「いけません。魯は斉を怨んでいます。主はこの会盟を断るべきです。もしも会盟を利用して魯から奪った地を我が国の領地と認めさせ、隣国を弱体化させてしまえば、諸侯たちは主を貪欲だと批難するでしょう。今後、小国は強硬に抵抗するようになり、大国も備えを強化していくことになります。この会盟は斉国の利益になりません」
しかし、桓公は彼の意見を受け入れない。
「どうしても行かれるのであれば剣を携えるべきです」
魯が態々書簡に剣を携えないよう要求してきたところが一番、怪しいと彼は考えている。
だが、この諫言にも桓公は聞き入れなかった。彼としては魯は斉を恐れるあまりにこのようなことを書いていると考えていたのだ。
(あのような国に何ができようか)
そんな桓公にため息をつきつつ
「ならばこの会盟に私も同行させていただきたい」
「良かろう」
桓公は管仲と隰朋を連れて会盟に向かった。その道中を黄色い鳥が見つめていた。
冬、寒さが身を震わせる時、斉の桓公と魯の荘公による会盟が柯で行われた。
「魯はこれらの地を斉に与えるものとする」
祭壇に登り、魯が斉に領土を割譲する旨を述べる。
「以後も斉と魯の関係より良くしたいものだ」
桓公は魯の地を得られたためか嬉しそうに言うと、
「左様ですな」
荘公は彼の言葉に頷く。そして、盟約を結び、儀式を終えようとするその時であった。曹沫が祭壇を駆け上がっていった。
斉の寺人たちがあっと驚く中、曹沫は匕首(小刀)を取り出し、桓公の前に迫った。
「貴様、無礼であるぞ」
桓公が怒鳴るものの曹沫はこの程度で怯まない。
「主をお助けしなくては」
隰朋は兵と共に曹沫を桓公から引き離すために祭壇に向かおうとし、曹沫がそれを止めるため叫ぼうとした時、管仲が右手で制して隰朋たちを止めた。
(あれが管仲か)
曹沫が管仲を見ながらそう思うと同時に管仲も彼を見て、
(あれが曹沫だな)
と思いつつその後、荘公を見て動揺していないことを確認する。
(魯君も織り込み済みか)
荘公は祭壇にいるため彼を人質にするのは無理だろう。管仲は曹沫を睨みながら言った。
「このような真似をして、何が望みだろうか」
「元々斉は強国で魯は弱国です。大国が小国を侵すのは度が過ぎています。今、魯の都城が一度崩れてしまえば、その城壁は斉の国境に達してしまいます。この状況をよくお考えいただきたい」
魯から奪った土地は魯の首都にあまりにも近づきすぎる。そこまで追い詰めるのは大国の長としていかがなものかと彼は言うのである。
桓公は彼の言葉に直ぐ同意しなかった。このような脅しに屈したくはなかった。それに対し曹沫は桓公に匕首を向けながら言った。
「斉が奪った土地と魯の首都は五十里あまり。私と斉君との間はそれよりも近いですぞ」
桓公は管仲を見た。管仲は頷いた。桓公は忌々しそうに頷き、
「わかった」
奪った全ての土地の返還に同意した。
それを聞くと曹沫は持っていた匕首を投げ捨て、席に戻った。そして、祭壇で今の事を盟約した。
儀式が終わった後、荘公は曹沫を招いた。
「これで斉君は土地を返すだろうか」
「返さなければ斉君は諸侯からの信を失います。返しても我らは土地を取り戻すことができますので我らには利しかありません」
荘公は彼の言葉に大層喜んだ。
(管仲ならば返すよう述べるだろうが斉君にそれを受け入れる度量があるかどうかになるが、それほど愚かではないであろう)
曹沫はそのように考えた。
「あのような真似をした魯に渡してなるものか」
桓公は苛立ちを表わにする。そんな彼を管仲が諌めた。
「小さな利を求め、一時の喜びを得たら、諸侯からの信を棄て、覇者となる援けを失います。魯との約束の地を与えるべきです。」
「やつらは卑怯な手で私を脅して土地を奪ったのだぞ」
「その土地を先に奪ったのは私たちです」
確かに魯が行った策は決して褒められたものではない。だが、自分たちの起こした戦に正義があったわけでは無いのだ。それにも関わらず一度、約束したことを守らなければ土地だけでなく。諸侯からの信用や名声を失ってしまうことになる。それは土地を失うことよりも大きい。
「武のみで取った土地は失いやすいものです」
「だが、管仲よ。武を示さなければ覇者とは言えないのではないか」
「武を示すには民の力が必要です。今は民を豊かにすることが先です」
管仲の言葉に「衣食足りて礼節を知る」というものである。先ずは何事も民を豊かにすることが先であるという主張である。
「そうか。何事も民からか」
民を労らなければ覇者になれない。桓公は覇者足らんとしすぎるあまり、自分の下にいる民の存在を忘れていた。
「先ずは民に信頼される政治を行わなくてならないのだな」
人は上の身分になればなるほど下の者の存在を忘れてしまうものである。
桓公は魯に奪った土地を全て返還し、軍事よりも内政に務めるようになった。そのため諸侯は桓公を次第に信じるようになっていく。この時から桓公は真の覇者となっていくのである。
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