第17話 斉の僖公
紀元前716年
斉の
秋、『東門の役』以来、対立してきた宋と鄭は宿にて講和した。鄭は周の
また、周に近い陳とも講和した。講和の盟を結ぶために陳は
この頃の盟を結ぶ時は血を互いに啜るのだがその際、五父は気の抜けた状態で盟を行っていた。その様子を鄭の大夫・
「五父にはやがて難が起こるだろう。盟に対し、真摯に向き合っていないために」
盟を結ぶという行為は天に向かって、誓う儀式である。それに対し、真摯に向き合わなければ、天を偽ることになる。天に偽りを示せば、必ず、その報いを受けることになるのだ。
鄭からも大夫・
つまり、陳は君臣共に、天を偽る行為をしたということである。
そんな暗雲漂う陳から鄭へ使者がやって来た。要件は婚姻である。
使者によれば陳の桓公は鄭の公子・
荘公からすれば陳との講和もあり、両国の関係をより良くするためにこれに同意した。
紀元前715年
春、斉の僖公が宋、衛、鄭の講和のための会盟の準備を始め、日程も決めた。
宋の
鄭には祊という邑がある。かつて鄭の
そして、魯には許(国として、許があるがそれとは関係ない)という邑が周から与えられていた。魯が周の王都に朝見する際、宿泊するための邑である。許には周公旦の廟が建てられていた。
鄭の祊は魯の近くにあり、魯の許は鄭の近くにある。
鄭の荘公が魯に祊と許の交換を申し入れた。周王による泰山の祭祀が幽王の死後、途絶えていたため、湯沐邑である祊はもう必要ないと考えたためである。
しかし、許には周公旦の廟があるため、魯は拒否するかもしれないと鄭の荘公は考えた。そのため魯にはこう伝えた。
「泰山の祭祀を止めて周公を祀りたい」
三月、鄭は大夫の
許が鄭に譲渡されるのは紀元前711年のことである。だがこの周から与えられた邑を勝手に交換するのは礼に背く行為であり、しかも鄭に与えていたのは祭祀における大切な邑である。これは鄭と周の反目は決定的となった。
夏、周の桓王は卿士の位を虢公・
周公・
もはや、鄭と周の関係は修復不可能となっていった。
四月、鄭の公子・忽は
公子・忽は嬀氏を連れ、帰国し、婚礼を行った後、祖廟に婚姻の報告をした。これは本来無礼な行為であり、嬀氏に同行していた陳の大夫・
「これでは夫婦としての資格は無い。祖先に嘘をついており、礼に反している。これでは子孫が発展することはないだろう」
祖先に対して嘘をつく。これもまた、天を偽ることと同じであえる。
なぜ公子・忽はこのようなことをしたのであろうか。彼は元々、後に鄭君に着く存在であり、礼に関しての教育も受けているはずである。元々彼には独特の感性、美学がある。それゆえであろうか……
七月、斉の僖公、宋の殤公、衛の宣公は温で会見し、その後、瓦屋で会盟を行った。これをもって、鄭、衛、宋による東門の役以来の対立はこれにより、解消された。
冬、斉は魯に鄭、宋、衛の和睦がなったことを伝えた。
魯の
「貴君は対立していた三国を和睦させ、民を安んじました。貴君の御仁徳のおかげでございます。私はそれに従うのみでございます。貴君の御仁徳に背きません」
隠公は僖公のあり方を讃えたと言っていい。
このように諸国の対立を僖公が治めた中、北では大きな戦いが起こった。芮と翼(晋)が曲沃の京邑に進攻したのである。
父・
だが芮と翼の両軍を前に彼は大敗してしまい。翼に和睦を請うほどであった。翼はこれに同意した。
この時、武公の今にも弾けようとしている復讐の炎に気づかないままに翼は城に戻った。
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