第18話 周王の嫌がらせ
紀元前714年
斉の
宋の
ここでおかしな点があるのは周の桓王は鄭の荘公を嫌っているのに宋を攻めるように命じたことであろう。
これを外から見るといつの間にかに桓王と荘公は和解したように見える。しかし、そのような事実は無い。そのため鄭の荘公は桓王からの書簡を
「どう思う」
祭仲は書簡に目を通しながら
「周王の嫌がらせでございましょう」
つまり、桓王は鄭と宋が和睦したことに警戒し、宋の朝見を怠ったことを理由に鄭と宋の間を裂こうとしているのである。
「ならば、断るべきであろうか」
「いえ、受けるべきです」
周王朝にもはや力は無いが未だに名としての力はあるのである。そんな周からの要請を断れば外聞が悪い。
「大義名分が与えられたと思えば良いかと」
逆に周の桓王が宋を攻めよと言っているのだから宋の地を堂々と切り取っても構わないと祭仲は言った。
「なるほどそうだな」
荘公は祭仲の言葉に頷き、出兵を決めた。
鄭は宋を攻めた。だが、このことを宋は魯に告げなかった。
魯と宋は今、同盟関係であるため他国から侵攻を受けた際、報告しなくてはならないが、宋は外郭まで攻められた時に魯が援軍を出してくれなかったことを恨んでいたため報告しなかった。
これに魯の
冬、鄭の荘公は防で斉の僖公と会見を行った。これは宋を攻めるための相談である。諸国の戦を調停していった斉の僖公にとっては宋と鄭の戦が行われることは自分と弟の
(王命ならば仕方あるまい)
この温和な斉の僖公はそう思いながら荘公との会見を行った。これにより、斉も宋から離れた。
十一月、北戎が鄭に攻め込んできた。これを受けて鄭の荘公は兵を率いて、北戎に挑んだ。
鄭と北戎が対峙した場所は高低差のある地域で道も複雑な場所であった。そのような地域であるため荘公は憂いてこう言った。
「敵は歩兵が主力で我らは戦車が主力である。後方から奇襲を受けることはないだろうか」
当時の戦では戦車に乗って、戦うのが主流である。この戦車で戦いづらい地域で戦うのには鄭は不利である。これに公子・
「我が軍で勇敢であるものの剛毅ではない者を敵軍の前に出し、敵軍にぶつかればすぐに退かせ、三ヶ所に伏兵を置いてこれを待ち構えます。戎は軽率で装備は整ってなく、貪欲であるため団結できず、勝てば互いに功を譲らないため負ける際は互いに助け合いません。そのため先頭の者が獲物を見つけたら彼らは真っ直ぐ猛進し、進軍中に伏兵に遭えば奔走します。それを後ろの者はそれを助けようとしません。敵の先陣を壊滅させれば、後方が続くことなく、我が軍が必ず勝ちましょう」
「その言や良し、子元の進言に従おう。子元、お前に敵軍を誘き出す役目を任す」
少し、嫌そうな顔をした子元だが
「承知いたしました」
同意した。彼が嫌な顔を一瞬したのは敵軍に真っ先にあたる役であるため危険が伴うからである。こういう狡さが彼にはある。そんな彼からするとできれば伏兵を率いたかったことだろう。
「
「御意」
子元の変わりに伏兵の役目を得たのは鄭の大夫である祝聃である。彼は大きな体格の持ち主で無口な人物であり、弓の名手である。鄭における猛将の一人である。
翌日、鄭と北戎がぶつかった。鄭軍は子元の策通り、北戎とぶつかると直ぐ様退いた。これを見ると北戎は血気盛んに鄭軍を追いかけ始める。これに笑みを浮かべながら、子元は相手に悟られないよう上手く伏兵がいる場所まで退いていく。
「子元殿は上手くやられたようだ。太鼓を鳴らせぇ」
祝聃は腹から大きな声をもって、指示を出す。これに呼応するように太鼓は打ち鳴らされた。
「かかれぇ」
祝聃の声は兵の怒号と共に大地に轟く、兵士はこの轟きを背に北戎の中腹を抉るように突撃を駆けた。
北戎の軍は大混乱に陥り、先鋒部隊は全滅。後続は一斉に逃げ出し始めた。荘公は祝聃に追撃をかけさせ、これを更に破る。この戦いにおける祝聃の弓の威力は凄まじく、数多の兵を死傷させていった。北戎は散々に破れ退却した。
戦は鄭による大勝に終わった。
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