第21話 蛇のような男

許を落とした。三国の長たちは許の統治をどの国で行うのか話し合った。


「魯が統治したら如何かな」


 斉の僖公がそう言った。なぜ彼はそう言ったのだろうか、許は鄭に近く、許を攻める上で主導したのは鄭なのである、ならば鄭に任せればいいものをなぜ魯に任せようと言うのだろうか。


 それは斉の僖公は魯に恩義を売りたかったのと、


(鄭がこれ以上強くなるのは不味い)


 こう考えたのではないだろうか。斉の僖公は諸侯ができるだけ争わない調和の世界を理想にしている。そのため諸侯の一つが強くなりすぎるのを懸念しているのである。


 これに魯の隠公は


「この度の戦は許が法に従わないというと申された故に私はこの戦に参加いたしました。既に許は罪に伏しました。例え、あなたのお言葉といえども私が従うわけにはいきません」


 このように言い、断った。そして、鄭が統治を行えば良いと言った。


 魯の隠公からすれば自分は自国だけで十分と考えている。諸侯の盟主になろうなどという欲がない、ある意味で彼は自分の欲を抑えることができる人物と言える。


 魯が断った以上、自分が保有する意思を持たない斉の僖公は魯の意見に賛同した。結果、許は鄭が統治することになった。


 鄭の荘公は許の大夫・百里に許の荘公の弟である許叔(これを許の桓公と言う)を助けさせることにし、許叔を許の東境に住ませた。


 荘公は百里に言った。


「天が許国に禍を下され、確かに許の祖霊も許君に不満であったため天は私の力を借りて許に罰を与えた。しかし私は一人二人の父兄も安寧にすることができない不徳の者である。そのような者が許の討伐を自分の功績にすることができるだろうか。私には弟がいたが、弟は他者と調和することはできず、今どこで何をしているかもわからぬ。そのような者の兄が久しく許を治めることができるだろうか。あなたは許叔を奉じ、民を慰撫せよ。私は獲(公孫獲)にあなたを助けさせよう。私が死ねば、天は許に対する禍を撤回し、許君にその社稷を復させるだろう。その時、鄭に対して要求があるようなら、鄭は親戚の国のように協力するだろう。他族(別の国)をここに住ませて鄭とこの地を争わせるようなことにはしない。将来、私の子孫は滅亡の危機から逃れることすら難しいであろう。そのような我々に許の祭祀を継ぐことができるだろうか(許国を滅ぼすことはできないという意味)。私があなたをここに住ませるのは、許のためだけでなく、鄭の国境を固めるためでもある。」


 荘公は公孫獲を許の西境に駐留させ、こう言いました。


「お前の財を許に置いてはならない。私が死んだらすぐにここを去れ。鄭の先君はこの近くに邑(新鄭)を作ったが、王室は既に衰退が激しく、我ら周の子孫は日々祖先の徳を失っている。許は大岳の後裔である。天がもし周の徳を棄てたのであれば私たちは賢人の子孫である許と争うことはできない。」


 公孫獲はそんな荘公の言葉を聞き、


(このようなことを仰るとは)


 と思った。以前の荘公ならば許にこのような措置を取っただろうか、そう思いながらも彼は任地に趣いた。


 その翌日、鄭軍は許から引き上げる準備を始めた。その準備を始めていた祭仲の元に瑕叔盈がやって来た。


「祭仲殿、主が兵士たちに豚、犬、鶏を献上するよう命じています」


「呪術でも行うのか、主は」


 怪訝そうに祭仲は言った。豚と犬と鶏の三種を集めると呪術が行えると信じられている。だが


(誰を呪い殺そうというのか)


 祭仲には呪術を向ける相手がわからない。その疑問に答えたのは瑕叔盈である。


「主は子都殿を呪い殺そうとしているのではないだろうか」


 祭仲は顔を歪めた。子都を殺したのはわからなくはない祭仲とて、子都と潁考叔のどちらに生きてもらいたかったと言えば正直潁考叔のほうである。しかし、潁考叔にも非があると祭仲は考えている。そのため子都を処刑せよとは主張しない。


(主が子都を殺したいと言うのであれば法の元に処刑すればいい。このような回りくどいことをしなくていいはずだ)


 瑕叔盈も同じように疑問に思っているようだ。


「瑕叔盈殿、主のお側に何方かおりませんでしたか」


「高渠弥殿がおりました」


(そいつだな)


 高渠弥は口がよく回り、頭もいいため荘公に気に入られて卿に任命された男である。彼とあった時の祭仲の第一印象は蛇である。蛇とは狡賢いということである。祭仲はそんな彼が呪術のことを吹き込んだと考えた。きっと荘公は短い期間で二人の卿を死ぬ事態を嫌ったのと潁考叔にも非があると冷静に考えた。だが子都を許せない感情もある。そこで高渠弥は言葉巧みに呪術のことを言ったのではないのか。それにより、関心を得ようとしたのであろう。


(まったく余計なことを、しかし、主が高渠弥の言葉に付け込まれるとはな・・・主も老いられたか、いや、高渠弥の弁術が流石というべきか)


 この一件から祭仲は蛇のような男である高渠弥を意識するようになった。だが後に高渠弥が自身の政敵として争うとまでは考えていなかった。

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