第45話  奇妙な縁

秋、紀侯の弟の紀季が酅邑を手土産に斉に下った。このような状況になった理由としては二人が斉に対しての対応のあり方で対立したためである。


 結果、紀は二つに割れてしまうことになった。


 この事態に憂いたのは魯の荘公である。彼はこれ以上斉が勢力を増すのを恐れており、この事態に斉が介入することを嫌ったためである。


 そこで冬、荘公は兵を連れ、鄭の滑の地に入り、鄭の子儀と会見することにした。鄭に紀の併呑を狙う斉を牽制してもらうためである。しかしながら鄭はこれを断った。


 現在の鄭は櫟に厲公という不穏分子がおり、ここで斉と対立すると厲公が斉と結んでしまう可能性もあった。この判断を下したのは祭仲であると思われる。彼としては厲公を復位させるわけにはいかないのである。


 紀元前690年


 三月、楚の武王が兵に武器を持たせ、随に対し侵攻の準備を始めた。その出陣前のこと。武王は斎戒した際、王宮にいる夫人・鄧曼にこう言った。


「斎戒してからというもの胸の動悸が止まらん」


 それを聞き、鄧曼は嘆き始めた。


「王の御運は尽きました。満ちれば蕩くのは天の意思でございます。歴代の先君たちはこれを知り、宗廟で出陣の命を発しようとする王の心を蕩かしたのでしょう。軍に損失は無く、王が敵に捕らえられることなく、道中でお亡くなりになられれば国にとって幸いというものです」


「で、あるか」


 武王はそう呟いたが戦を取りやめにせず、出陣することにした。


 その途中で武王は一人で馬に乗り、胸の動悸が静まり、気分転換として遠出した。


 暫く、馬を走らせていると武王は樠木の下で一休みした。ふと、木の枝に止まっている鳥がいるのを見た。


 その鳥の色は黄色く美しい鳥であった。武王はその鳥を見ようと目を細めるが光が眩しくはっきりとは見えなかった。すると突然、胸の動悸が始まった。武王は胸を抑えるがその動悸は止まることはなく、最終的には武王は木に背中を預ける形で倒れ、そのまま死んだ。すると黄色い鳥は美しい声を鳴き飛び去った。


 鳥の鳴き声が聞こえたため大夫たちがやって来て、樠木の下で亡くなっている武王を見つけた。臣下たちは一応に悲しみを顕にしたが大夫たちは武王の遺体を国に戻すために楚に戻ろうとしていたがこれを令尹(官名、宰相のこと)・闘祁と莫敖・屈重の二人が止めた。


「王は己の死を覚悟して出兵された。その思いを無駄にしてはならない」


 そう二人は主張し、武王の死を隠しながら道を切り開き、随の国境を越えると随の城を遠望できる地に塁を築いた。随君はこれに大いに怯え、和議を乞おうとした。これを季梁が止めた。


「楚軍にはあまり闘志がございません。陣中で何かがあったように思えます」


 されど随君はこの進言を受け入れなかった。どうやら以前、楚に大敗をしたことが記憶に大きく刻まれているようであった。


「強気に出るべきところで出なければ、国を維持できようがない」


 季梁はそう嘆きながらも和議を止めることはできなかった。


 随からの和議の申せを受け、屈重は王命と偽って自身が随の城に入った。


「そちらの国君が参らないとはどういうことか」


 これに対し、季梁はそう屈重に向かって聞いたが屈重は、


「随君自ら和議を申したのであり、随は敗戦国に等しいため王が自ら参る必要はない」


 と言った。これに食い下がっては完全に敗戦国として扱われてしまう。そのことがわかっている季梁は食い下がった。


「我らは一戦もしてはないではないかそれにも関わらず我らを敗戦国とするのはどういうことか」


 しかしながら屈重は強気に、


「言動が余りにも勝手が過ぎるのではありませんかな。こちらはいつでも一戦しても構わないが、いかがなさるおつもりかな?」


 と随君に向かって言った。


 この言葉に驚いた随君は慌てて、季梁を下がらせ和議を結んだ。内心、安堵しつつ屈重は頷き、漢汭(漢水が曲がる所のこと)で会見をすることを申し込んだ。随君はこれに同意し、会見をそこで行った。


 楚は軍を返した。そして武王の喪を発表した。後を継いだのは武王の子である。これを楚の文王という。






 夏、斉の襄公、陳の宣公(陳の荘公の子)、鄭の子儀が垂で会盟を行った。


 斉は紀を魯の荘公と共に攻めた。紀侯が斉の圧力を前に弟に国を譲り、出奔した。この戦いで魯の荘公は軍を率いて奮闘した。そのため妹・文姜の子ということもあり、襄公は彼を気に入った。


 そのため冬、魯の荘公は斉の襄公に紀を占領したのを祝福するついでに禚の地で狩りを行うことにした。襄公の傍には文姜がいた。


(母上)


 母が襄公の傍にいることを複雑に思いながら魯の荘公は狩りに付き合った。その狩りの途中で兎を射た。荘公は部下にこれを取って行かせると若い村人らしき者がその兎を拾った。


「その兎は魯の君が射たものである。渡せ」


 部下たちは怒鳴りつけるように言った。それに対し、村人らしき男はそれに一切動じることなく、


「左様でございましたか」


 そう言って彼は部下たちに兎を渡した。それを遠くから見ていた荘公は村人らしき男がやけに丁寧な対応をしているのを見て、名前を聞くように部下に命じた。


 面白くなさそうに兎を受け取り、男を見ている部下の元にその命令が至ると、


「お前の名を君がお聞きになっている」


 高圧的にそう聞いた。男は表情を変えず、


「名乗る程の者ではありません」


 と述べて彼はその場を立ち去ろうとした。


「魯君よりのお言葉を無視するのか」


 部下たちには目の前の男を下に見ているためか口調に棘があった。そんな彼らの言動に男はため息を吐くと、


「私の名は曹沫と申します。では」


 自分の名を伝え、さっさとその場を軽やかな動きで立ち去った。


「君、あの者の名は曹沫と申すようです」


「曹沫か」


 この時は何とも思わなかったが荘公はこの曹沫と奇妙な縁で繋がっており、後に再会することになる。

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