第46話 楚の文王
紀元前689年
冬、斉の襄公は魯の荘公、陳の宣公、宋の閔公(宋の荘公の子)、蔡と共に衛の恵公を復位させるため衛を攻めることにした。
この戦いは大きな被害が出るほどの激戦であったが、斉の襄公らは退かず、この戦いは翌年の紀元前688年に続いた。
その春、周王室の属官・子突が衛を救援しにやってきた。この動きがあっても襄公は攻撃を続けたが依然として衛は陥落することはなく、諸侯たちは苦戦を強いられた。
「周王の軍が来ている状況でこのまま戦い続けるのはどうなのか」
諸侯を始め、兵に至るまでそのような声が出始めたため、諸侯の士気も少しずつ下がり始めた。
「なぜ落とせんのだ」
今回の戦の総大将というべき襄公はそのような状況に苛立ちを顕わにした。これに対し、斉の上卿の高傒が進言した。
「ここは王軍と交渉しては如何でしょうか。我らの目的は公子・朔(恵公)を復位させることです。それに対し、理を説けば王軍も納得しましょう」
襄公はそのような回りくどいやり方は好まないが仕方なくこれを許可した。
許可を得た高傒は早速、王軍の元に向かい、
「この度は遠路遥々ご苦労でございました。私は斉公室より、上卿の任を得ております高傒でございます。この度の戦において周王室より軍を出され、逆臣である衛の二公子の味方を為さるのかお聞かせいただきたく思い参上いたしました」
と言った。
「公子・黔牟は衛の多くの大夫により擁立された正式な国君であるからである」
子突がそう言うと高傒は、
「それは異なことを申されます。衛の先君・宣公が正式に後継者とされましたのは公子・朔でございます。大夫の意思のみで後継者が決まるのではなく、その国の国君足る者が任命されるべきでしょう」
と言った。本来、後継者に関しては先君の意思を尊重されるべきであろう。
「周王室では衛の国君は公子・黔牟としている」
これに子突はそう言った。されど、高傒は退かない。
「周王室が他国の後継者については言及するようなことはするべきではないのではありませんか。それとも先王・宣王が魯の後継者の問題に口を出したことによって、魯で後継者争いが起き、宣王自らが鎮圧しなくてはならなくなったことをお忘れですかな?」
高傒のこの言葉は事実である。
これは宣王の時代の話で、ある日、魯の武公が二人の息子を連れ謁見したことがあった。その際、宣王は二人の息子の内、次男を気に入って武公に、長男ではなく、次男を後継者にせよと命じた。
武公は既に長男に後を継がせると決めていたものの、周王の命令に逆らうわけにもいかず、次男に後を継がせることにした。継ぐはずであった長男は失意のうちに亡くなった。面白くないのは長男の息子である。彼は次男のことを恨み、次男を殺し自分が即位した。これに怒った宣王は軍を率いて魯を攻め長男の息子を殺したのであった。
このように後継者に関し、周王室であろうとも他国の者が口を出すのは問題であると言ったのである。だが、この言葉は斉ら諸侯にも言えることではある。
「それならば貴公らはどうなのだ」
子突が当然、そのように言うのはわかっていた高傒は、
「我らは衛で正式に後継に選ばれた方を復位なさんとしているだけでございます。言わば、一度曲がってしまった木を矯正しようとしているだけなのです」
と答えた。周の宣王の件は、魯の本来の後継者継承を捻じ曲げるようなことが問題であった。しかしながら今回の問題は本来の後継者を元に戻そうとしているだけなのである。
その後も説得は続き、六月、その決着が付いた。周は諸侯側の意見を聞き入れたのである。
それにより、衛の公子・黔牟は周に、彼を支えていた大夫・甯跪は秦に追放され、右公子・職及び左公子・洩は処刑された。
諸侯に守られながら恵公はこうして衛君として復位した。
(おのれ黔牟を生かしおって許さん)
恵公はやっと復位した喜びよりもその復位を邪魔した周王室を恨むようになった。
その頃、南方では楚の文王が軍を動かし、申を攻めるため彼は母の故郷である鄧を通った。それを知り、鄧の祁侯が言った。
「彼は私の甥だ。宴を開き持て成そうではないか」
文王の母の鄧曼とは祁侯は兄妹である。そのため彼は文王を持て成そうと思ったのである。
これを止めたのは騅甥、聃甥、養甥の三人、通称三甥と言われる鄧の臣下たちである。彼らは楚と戦ったことがあり、そのため楚という国が如何に凶暴な国であるか知っていた。彼らは逆にこの機会に、文王を殺すように進言した。だが祁侯はこれには同意しようとはしなかった。
「鄧を滅ぼすのはあの方です。早く手を打たなければ君は必ずや後悔なさりましょう。今こそが好機なのでございます。楚王を殺しましょう」
彼らは祁侯に詰め寄るように言うが、
「そのようなことをすれば国民は私を唾棄し、国の祭祀の食物を食わなくなるだろう」
祁侯は同意しなかった。三甥の一人が嘆いて言った。
「もし君が我々に従わなかったら、我が国の社稷が祭祀を受けられなくなるでしょう。それにも拘わらずどうして食物が残ると言えるのか」
祁侯は文王に宴の件を話した。
「忝いお言葉でございます。されど我々はこれより、申を攻めなくてはならない身。戦の後に参るということに致しましょう」
そう文王は答えると、そのまま申に向かって軍を動かした。彼はその途中で傍らの臣下に聞いた。
「鄧は我が国に対して備えをしているか?」
「していません」
臣下が答えると文王は少し笑うと言った。
「如何なる国でも警戒を怠るべきではない。そうは思わないか?」
文王は申を攻めた後、鄧へ向かった。事前に宴に参加することを伝えていた。祁侯はそれにより宴の準備を始めると、文王はそのまま兵たちに鄧を攻めた。警戒をしてなかった鄧は楚軍の前に大敗した。
その結果に、
「これ以上は良かろう。母上の国でもあるしな」
文王はそう言って国に軍と共に帰った。十年後に楚は鄧を滅ぼすことになる。この楚の文王という人の冷酷さによって楚は勢力を拡大し始めることになる。
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