第21話 お披露目の宴へ【後編】


「殿下が太子となられ、後宮に妃を置かれたことは、政治的に大きな意味を持ちます。それを内外に知らしめることは、皇后様にとっても重要なのです。危険があるからと回避すれば、皇后の沽券こけんに関わります。臆病者と妃嬪たちからそしられることになるでしょう。ですから、皇后様は自らの体面のためにも宴を開かなければならないのです」


 神妙な顔つきを崩さなかった文英だが、玉玲の顔を見て、少しだけ表情をゆるめる。おそらくは、玉玲の不安な心境を読み取り、安心させようと気遣って。


「まあ、あまり心配する必要はないのかもしれません。今回の宴は皇后様の主催。警備から何まで万全の体制であたられることでしょう。殿下に万一のことがあった場合、一番困るのは皇后様ですからね。殿下は城でも指折りの武芸達者であられますし、大丈夫だとは思うのですが」


 玉玲は文英の話に納得しつつ、幻耀の安全を第一に考える。

 宴を中止できればいいのだが、それができないのであれば仕方ない。


「じゃあ、何かあった場合は私が体を張って守ります。太子様は後宮で料理を食べないから、毒殺の心配はしなくていいと思うし。私、身体能力には自信がありますから」


 胸に手をあてて申し出ると、漣霞が名案だと言わんばかりに賛同した。


「それはいいわね! あたしもいちおう近くで警戒してるけど、運動神経には自信がないわ。あたしはかわいくておしゃれで意識の高い頭脳派の狐精だから。何かあった時には、動物並に身軽でしぶといあんたが盾になってちょうだい」

「おいっ。お前、何度もかばってもらったんだろ。あんまりな言い方するなよ。おいらは反対だ。玉玲、お前だけでも参加すんのやめろよ。巻き添えを食らうかもしれねえぞ?」


 引きとめてくれた莉莉に、玉玲は微笑みかけて礼を言う。


「心配してくれてありがとう、莉莉。でも私、どうしても太子様のことを助けたいんだ。彼にはたくさん俸給をもらって助かっているし、要望を叶えてもらったり、いろんな恩がある。少しでも役に立ちたいの。太子様にも笑顔になってもらいたい」


 自分が今、笑いながら暮らせているのは彼のおかげだから。

 兄弟子からのふみによると、仕送りが増えたおかげで養父は十分な治療を受けられるようになり、体調も徐々によくなっているという。

 あやかしたちとの交流も、幻耀の理解がなければできなかったことだ。

 妃として働くのは三年限定とし、将来の自由も約束してくれた。


 そして、もう一つ。幻耀には大きな恩がある。

 彼は、子供の頃は笑顔を絶やさない優しい少年だったはずだ。その笑顔を取り戻したい。


「お前、太子のことが好きなのか?」


 これまでのことを思い返していると、莉莉が不機嫌そうな顔で尋ねてきた。


「好きだよ」


 玉玲は考える間も置かずに答える。彼のことは人間として好きだ。


「話をちゃんと聞いてくれるし、人の気持ちを汲み取ってくれる優しい男性だと思う。あやかしに対しては厳しい部分もあるけれど、彼なりに人を守ろうと動いているからなんだ。わけもなくあやかしを傷つけるような人じゃないって、莉莉にもわかってほしいな」


 少しでも理解してほしくて訴えるが、莉莉は更に機嫌を損ねた様子で言い放った。


「わからねえよ! もう勝手にしろっ。どうなってもおいらは知らねえからな!」


 捨て台詞を吐くや、開いた窓から外へと走り去ってしまう。


 窓辺に立って莉莉の後ろ姿を眺めていた漣霞が、あきれたように肩をすくめた。


「あらあら、きっと嫉妬ね。放っておいたらいいわよ」


 玉玲は意気消沈しながら外に目を向ける。

 莉莉はもういない。自分と一番初めに仲よくなり、いつも背中を押してくれた。素直じゃないけれど、仲間をその気にさせるのがうまくて、思いやりのある猫怪。莉莉の理解が得られたら、こんなに心強いことはないのに。


 肩を落としていると、不可解そうな顔をしていた文英が、声をかけてきた。


「玉玲様、殿下を思ってくださるお気持ちはうれしいのですが、あまりご無理をなさらないでくださいね。あなたに何かあれば、殿下が悲しまれます」


 彼にはあやかしがえないし声も聞こえないから、何が起きたのかわからなかったのだろう。玉玲の言葉から心情だけを察し、気遣ってくれたようだ。

 その気持ちはありがたいと思いながら、玉玲は苦笑いを浮かべて返す。


「悲しんでもらえるんですかね?」


 幻耀のことは優しい人だと思うが、そこまで大切に思われている自信はない。


 悄然しょうぜんとした気分がぬぐえず、うつむいていた時だった。


「少なくてもいい気はしないな」


 声が聞こえると同時に、側の扉が開く。


 すぐ近くに現れた人物を見て、玉玲は驚きの声をあげた。


「太子様!?」


 瞠目どうもくする玉玲をしばらく無言で眺め、幻耀は口を開く。


「あまりに遅いものだから、様子を見に来た」


 直ちに文英が頭を下げて弁明した。


「私が長話をお聞かせしていたものですから。申し訳ございません」


 文英の謝罪に対しては何も言わず、幻耀は玉玲に視線を戻してこぼす。


鬼龍子きりゅうしにも化粧だな」

「き、鬼龍子ぃ!?」


 鬼龍子とは、狛犬こまいぬに似た恐ろしい形相の置き瓦のことだ。これは『猿にも衣裳』に勝るほめ言葉――いや、けなしている。

 どんな人間でも外面を飾れば立派に見えることのたとえ。全く反論できないけど。


 玉玲は更に気落ちしつつ、幻耀を凝視ぎょうしする。

 宴があるからか、今日の彼はいつもよりも華やかな装いだった。頭上を飾る冠やかんざしには宝玉があしらわれ、赤い長袍ちょうほうや紺を基調とした蔽膝ひざかけには、金糸のよるきらびやかな刺繍が施されている。

 彼の方は『獅子に牡丹』だ。もとが立派な人は、外面を飾れば更に魅力が増す。


 って、今はそんなことはどうでもいい。『少なくてもいい気はしない』と言って入ってきたということは、直前の会話を聞かれていたのは確かなわけで。


「……あの、どこから聞いていたんですか?」


 嫌な予感を覚えて尋ねると、幻耀は抑揚のない口調で答えた。


「何かあった場合は私が体を張って守ります、のあたりだったか」


 玉玲は顔を紅潮させてうつむく。聞かれたくない部分ほとんどだ。幻耀を好きだと言ったことまで。人間としてという意味だから、聞かれて困るというわけではないけれど、ちょっと気まずい。さっさと入ってきてくれたらよかったのに。


 唇をとがらせる玉玲に、幻耀は少しだけ表情をゆるめて告げた。


「俺はお前に守られるような玉じゃない。何かあった時には、まず自分の心配をしろ。お前に死なれたら、これまであやかしに費やした食料が無駄になる」

「……太子様」


 言葉の真意に気づき、玉玲の胸は熱くなる。今のは明らかに玉玲じぶんのことを思って言ったのだ。こんなにわかりやすく気遣ってくれたのは初めてかもしれない。


「ありがとうございます。私、太子様のこと、全力で守りますから!」


 幻耀の気持ちがうれしくなり、意気軒昂と宣言する。


 奮い立つ玉玲に、幻耀は眉をひそめてこう言ったのだった。


「お前、俺の話をちゃんと聞いていたか?」

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