第24話 太子暗殺【前編】


 襲撃を受けた後、幻耀は直ちに乾天宮けんてんきゅう臥室しんしつへと運びこまれた。

 もちろん、宴は中止。警備や捜査にあたる宦官以外は南後宮へと返された。

 皇后は憔悴しょうすいのあまり南後宮で倒れたという。


 玉玲は胸を痛めながら、臥牀しんだいに横たわる幻耀の手を握りしめていた。

 医官の話によると、初期対応が早かったおかげで大きな危機は脱したが、まだ予断を許さない状態らしい。幻耀がこの後、目を覚ましてくれるかどうか心配でたまらない。


 ひたすら回復を祈っていると、側にいた漣霞が疑念といきどおりをあらわに言った。


「警備は厳重だったのよね? なのに、どうしてあんな場所まで刺客が入れたのよ!」


 それは玉玲も疑問に思ったことだ。随所に見張りが配備されていたのに、矢が飛んできたのは、幻耀のほぼ正面。少し離れた園林ていえんに立つ杉の木だった。


 玉玲は漣霞と同じ疑問を、臥牀の側に控えていた文英に向ける。

 文英は面目なさそうに瞼を伏せて答えた。


「もちろん、園林にも大勢の人員を配していたようなのですが。刺客が逃げた後、警備の人間は全てそろっていたようですし、どこかからまぎれこんだとしか……」


 刺客がどうやって警備の目をかいくぐり、射程範囲まで潜入できたのか、彼も不思議に思っていたのだろう。文英の回答は歯切れの悪いものだった。


 刺客を野放しにすれば、また幻耀の命が狙われることになる。

 幻耀の身を案じながら、刺客について思いを巡らせていた時だった。


「玉玲!」


 外から響いた声にハッとして、玉玲は窓へと視線を向ける。


「莉莉!」


 窓の外から莉莉が、コンコンと硝子がらすを叩いていた。

 玉玲の部屋へ遊びにきた時、彼はいつもこれをやる。

 玉玲はすぐに臥室の窓を開け、莉莉を迎え入れて尋ねた。


「どうだった? 逃げた刺客は?」


 莉莉は若干困惑した表情で答える。


「途中までは追えてたんだ。でも、突然消えた。霧みたいに」

「……消えた?」


「玉玲、やつは絶対に人間じゃねえ。あやかしだ!」


 莉莉がもたらした驚愕の答えに、玉玲は大きく目を見開いた。

 莉莉の言葉を疑うわけではないが、信じたくない思いで確認する。


「間違いないの? 刺客があやかしだなんて」

「ああ。見た目は人間だったけどな。人の動きでも気配でもなかった。間違いねえ」


 玉玲の言葉を聞いた文英が、怪訝けげんそうな顔で口を挟んだ。


「あやかしですか? 確かに、刺客があやかしであれば、誰にも気づかれず射程範囲に入ることはできるでしょう。ですが、門にも塀にもあやかしをはねのける呪符が貼られており、彼らが北後宮に出入りすることは不可能です。事件の後、見回りを担当した警備の者に話を聞きましたが、呪符が破られた形跡はないとのこと。外からあやかしが侵入した可能性はありません。あやかしが刺客だとすれば、もとからここに住んでいる護符を与えられた者、ということになりますよ?」


 確かに、あやかしは北後宮中に貼られた呪符のせいで力を封じられ、人に変化することはできない。変化できるのは、呪符がきかなくなる護符を与えられたあやかしだけ。

 莉莉がただひとりの該当者を見る。


「漣霞しかいないよな」


 玉玲は即座に反論した。


「漣霞さんのわけないじゃん! 漣霞さんは事件が起きる前からずっと私たちの近くにいたんだし。誰よりも太子様のことを思っている彼女が、そんなことするわけない!」


 断言する玉玲を、漣霞は感慨かんがい深そうに見つめる。


「……玉玲」


「わかってるって。言ってみただけだろ。他に該当者が思い浮かばなかったから」


 若干しょげぎみの莉莉に、玉玲はすぐ冷静さを取り戻して謝った。


「そうだよね、ごめん。ちょっと熱くなっちゃって」


 今は仲間と言い争っている場合ではない。

 即座に気持ちを切り替え、刺客について思考を巡らせる。


「護符を与えられたあやかしが、太子様の命を狙ったってことで間違いないんだよね。人に変化しなければ弓矢は引けないし。でも、どうやって護符を手に入れたのかな? 今は漣霞さんしか持っていないんだよね?」

「そうよ。昔は呪符の効果が今より弱くて、厳重に管理されてなかったから、変化できるあやかしもいたけど。今は護符がなければ絶対に無理ね。護符を与えられたのはあたしだけだから、人に変化できるあやかしが他にいるとは考えられないんだけど」

「でも、太子様以外の誰かが、あやかしに護符を与えていたら変化できるんじゃない? 北後宮に入ることは割と簡単だし」


 北後宮へ初めて入った時の記憶が脳裏をよぎる。北と南を隔てる後宮の塀には見張りがおらず、木を伝って簡単に侵入することができた。他にそんな芸当ができる女性がいるとは思えないし、入りたい人間もいないだろうが。南後宮から梯子はしごを通して塀にのぼり、その梯子を回収して北後宮側へおろせば、誰でも出入りが可能になる。


「確かに、北と南を隔てる塀からであれば潜入は可能ですね。後宮全体を囲う外壁の方は、高すぎるうえに警備も厳重なので不可能ですが。しかし、あやかしに護符を渡すという行為は、霊力を備えた人間でなければできませんよ?」


 疑問を向けてきた文英に、玉玲は神妙な面もちで頷いた。


「そうなりますね。あやかしとやり取りができる人間じゃないと」


 頭の中でこれまでの話を整理する。

 人に変化できるあやかしが現れたということは、共犯者である人間がいるということだ。呪符や護符は道士でも作成できると聞く。共犯者は北後宮へ潜入し、どこかから入手した護符をあやかしに渡した。護符のおかげで変化できるようになったあやかしは、人には視えないことを利用して幻耀の命を狙った。そう考えれば、全ての辻褄つじつまが合う。

 共犯者は、あやかしが視える霊力を持った人間。かつ後宮に出入りできる関係者だ。


「南後宮であやかしが視える人間って、どれくらいいるんですか?」


 まずは共犯者をしぼりこむため、文英に確認する。


「そうですね。班徳妃の公主、宋賢妃の公主、関昭儀かんしょうぎの公主、あとは淑妃の皇子でしょうか」

「呉淑妃の皇子?」


 男性は皇子であっても南後宮には入れないはずだが。

 玉玲の疑問に、文英がすぐに答えてくれる。


「呉淑妃は幻耀様のご生母・林淑妃の後釜として夫人になられたお方。ですが、呉淑妃も三ヶ月前のぎゃくでお隠れになりました。彼女は今年八つとなられる第十三皇子をのこされています。皇子ではありますが、ご幼少のため後宮内での生活を許されているのです。母君を亡くされたばかりで、まだ後見人はいらっしゃいませんが、高い霊力を宿していると聞き及んでいます」


 なるほど、と玉玲は納得する。そういえば、今日の宴の席にも淑妃だけはいなかった。宮女たちの噂話で、淑妃は亡くなったと聞いていたが、子供はいたのか。

 まだ八つということであれば、共犯者である可能性はかなり低いだろう。幼子が南後宮に潜入して、あやかしに護符を与えるとは考えにくい。

 やはり、霊力のある皇子や公主を擁する夫人たちが怪しいか。一番疑わしい貴妃の名前は出てきていないけれど。


「程貴妃には確か、霊力の高いご子息がいるんでしたよね? 太子様の一つ上の第四皇子でしたっけ? 彼が最近、後宮に出入りした形跡はありませんか?」


「ああ、あります。半月ほど前、瘧が発生した折に。霊力のある皇子はみな、瘧鬼を退治するために南後宮への出入りを許されていましたので。彼ならば、隙をついて北後宮へ潜入することもできたでしょうね」


 皇后と太子の座を狙っている妃嬪及び皇子には、共謀が可能だったというわけか。


 結局、怪しい人間に対する疑いが深まったばかりで、推理の決め手がなかなか見つからない。


「共犯者を特定することは難しそうですね」

 

 溜息をついてこぼした言葉に、文英は「そうですね」と賛同する。


「あやかしが実行犯で、人間の共犯者がいるのだとすれば、捜査の仕方も変わってきます。私はこのことを捜査の関係者に伝えてまいりますね。北後宮に出入りした人間について洗ってみます」

「はい、お願いします」

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