第39話 春の訪れ


 朝の日差しが木もれ日となって降り注ぎ、さわやかな風が木々の間を吹き抜けていく。

 

 東へ向かう雪珠を木陰から見送った後、玉玲は西の園林ていえんへと向かっていた。

 会いたい人がいる。どうしても話したいことがある。

 彼がにいるという確信があった。

 

 雪珠と雪艶の母体である桃の木の前。

 母親が殺された因縁の場所に、彼は立っていた。

 今はもう宿る者のいない桃の木を、感慨かんがい深そうに見あげて。


「あなたは、やっぱり変わってないですね。十二年前と同じです」


 玉玲は彼へと近づきながら、静かに声をかけた。


 幻耀はゆっくりこちらに顔を向け、瞼を落としてつぶやく。


「やはり、気づいていたか」


 溜息をこぼす彼に、玉玲は微笑を浮かべて返した。


「気づきますよ。冷たそうに装っていたけど、優しい人だってすぐにわかりましたから」


 ここで初めて会った時は、雰囲気があまりにも違いすぎてわからなかったけれど、接しているうちに気づいた。

 幻耀は十二年前、杜北村とほくそんで玉玲と猫のあやかしを救ってくれた少年、阿青あせいであると。

 ずっと名乗り出てくれるのを待っていたが、彼はなかなか言いだせない不器用な性分のようなので、自分から切りだすことにした。


「なぜあの時、嘘をついたんですか? 阿青のことは知らないって。『阿青』って、たぶん太子様の小名ようめいですよね?」


 口をつぐむ幻耀に、玉玲は真剣な表情で訴える。


「太子様、話してください。私、全部受けとめます。いったいどうして嘘を?」


 そのまままっすぐ見据えていると、幻耀は瞑目めいもくしたまま口を開いた。


「俺は変わってしまったからだ。もう昔の阿青とは違う。そして、阿青としてお前の前に立つ資格がないと思ったから。必ず守ると約束したのに、あの時の猫怪は結局、兄に殺されてしまった。約束を破ってしまい、合わせる顔がなかったのだ」


 その話を聞いて、玉玲は杜北村で出会った青年のことを思い出す。


「……兄。十二年前、杜北村であやかしを斬った青年は、第二皇子だったんですね?」


 幻耀を殺そうとして返り討ちにあったという、非情な皇子。

 北後宮で初めて幻耀を見た時、あの青年と姿が重なった。


「そうだ。杜北村から城に戻った後、俺は北後宮に猫怪を連れていき、兄に殺されることがないよう常に見張っていた。だが、あの猫怪は仲間を殺された恨みにとらわれていてな。兄に襲いかかった」


 幻耀の眉間に、後悔と苦渋を示す線が刻まれる。


「俺は約束を守れなかった。変わらなければ、俺が強くなってあやかしたちを守らなければ、そう思うようになったのは、お前との出会いがあったからかもしれない。兄が太子になれば、きっと更に多くのあやかしが苦しむことになる。だから、俺が太子となり、あやかしたちを守ろうと思ったのだ。人間もあやかしも関係なく、みなが心安らかに暮らせる場所を造ろうと」


 ふいに、文英の言葉が玉玲の脳裏をよぎった。


『あなたが子供の頃、語ってくれた国が私の理想とする場所です』


 みなが心安らかに暮らせる場所。それが文英の言っていた理想の場所なのだろう。


「俺は理想を現実とするため武芸の鍛錬に励み、太子の座を得ようとした。だが、信頼していたあやかしに母親を殺され、当初の目的を忘れるようになった。兄にも殺されかけ、人間らしい心まで失ってしまった。感情を殺せば胸が痛くなることはない。誰かを信じなければ裏切られることもない。苦しまずに済むのだと」


 幻耀の隠された思いを知り、玉玲の胸は張り裂けそうになる。彼は感情を封じ、他を拒絶することでしか、つらい過去を乗り越えることができなかったのだ。


「俺はこの十二年ですっかり変わってしまった。そう思っていたのに。お前と再会して、俺は昔の自分を思い出した。信じる気持ちを取り戻せたのだ」


 幻耀は少しだけ表情をやわらげ、玉玲の顔を見た。


「だが、やはり『阿青』は名乗れないな。俺は子供の頃とは全く違う。好ましかった昔の印象とかけ離れていて、幻滅したのではないか?」

「するわけないじゃないですか! 太子様は昔のままです!」


 玉玲は即答する。変わったのは外見と言葉遣いだけ。つまりは見せかけだけだ。中身は全く変わらない。

 優しいままであることに安堵した玉玲は、幻耀の体に抱きついた。


「玉玲っ?」


 幻耀が少しひるんだ様子で名前を呼んでくる。


「再会する日を夢に見ていたんです。やっと会えた」


 玉玲は無邪気に笑い、念願が叶ったことを素直に喜んだ。もう半月以上も前に会ってはいたのだけれど。彼がようやく認めてくれたから、今再会したことにしよう。子供の頃からずっと会いたかった、あの優しい少年に。

 彼が大人になっても変わらないでいてくれて、本当にうれしい。


 感情のままに体を抱きしめていると、幻耀がおもむろに問いかけてきた。


「……玉玲、将来皇后になる気はないか?」


 思いがけない言葉に、玉玲は目をしばたたく。


 幻耀は玉玲の両腕に手を添えて、少しだけ体を離し、今度は顔を見て言った。


「お前は思慮深く、機転がきき、行動力もある。何よりあやかしや瘴気まで視えるし、皇后に向いていると思うのだ。だから契約ではなく、正式な妃にならないか? 将来皇后になることを前提に」


 玉玲は胡桃くるみのように目を丸くする。

 まさかの無期限契約申請だった。


 俸給はいいし、今では友達もたくさんいる。仕事はやりがいがあるし、雇い主も理解があって優しい。

 こんなにいい勤め先は、なかなかないけれど。


「その申し出、つつしんで辞退します」


 玉玲はかしこまりつつ、きっぱりと答えた。


「三年限定の契約妃って約束だったじゃないですか。私は、将来の皇后にふさわしい妃を見つけるまでのつなぎでしょう? 家族との約束もありますし。だいいち、人の上に立つなんてがらじゃありません。ふさわしくないですよ。私、捨て子ですし。がさつで色気もありませんし」


 皇后になるのは、さすがに荷が重すぎる。いずれは雑伎団の旅も再開したい。

 

 自らを卑下して断る玉玲に、幻耀はあきらめることなく説得を続けた。


「そんなことはないと思うぞ。まず、お前には度胸がある。料理もうまいし、何でもできる。見た目も捨てたものではないぞ。少し幼い顔立ちだが、小動物のように目がつぶらで愛らしい。愛嬌もある。明るくて性格もいい」


 今度は、まさかのほめ殺しだ。


「ちょっと、どうしたんですか、太子様? あなたがそんなことを言うなんて」


 さすがの玉玲もたじたじする。彼は口説くような台詞せりふをすらすらと並べ立てるような男性じゃない。

 なぜだろう。怪しい。何か裏があるのでは。


「ほめ言葉も素直に受け取れないのか? では、誰もが納得できる理由を教えてやろう」


 いぶかしむ玉玲に、幻耀は淡々と告げた。


「お前の血だ」


「……私の、血?」


「お前は俺以上に強い霊力を備えている。父母共に霊力があれば、高い確率で霊力のある子供が生まれるらしい。あまり血が近すぎるとだめなようだが、俺たちであれば問題ないだろう。お前が俺の子を産めば、国にとって重要な問題が一つ解決する。わかるな?」


 一瞬にして玉玲の頬が赤く染まった。涼しい顔で何ということを話すのだろう。

 自分が彼の子供を産む? 

 それは、太子に霊力の備わった後継者が生まれれば国の将来は安泰、ということはわかるけど。


「……それって、私の体目当てってことですか?」


 声を震わせて訊く玉玲に、幻耀は相変わらずの無表情で返す。


「そんなことは言ってない。お前には皇后の資質があるということだ」

「私には霊力があるからでしょう? つまり、霊力のある女性の血が、私の体が必要なだけですよね? 子供を産む道具として。お互いの気持ちとかは関係なく。ただの体目当てじゃないですか!」


 羞恥しゅうちに続いて、どんどん苛立ちがこみあげてきた。それと同時に悲しくもなる。そんな理由で皇后に、彼の正妻に求められても全然うれしくない。

 太子が打算で正妃を選ぶのは当然のことなのに。なぜこんなに胸がうずくのか、自分でもよくわからないけれど。


「お前が納得できないという顔をするから、別の視点から理由を述べただけだろう。たとえ霊力がなくても、お前は俺にとって必要な存在だ。信用もしているし、好ましいとも思っている。ここまで言ってもわからないのか?」


 若干投げやりな口調にカチンときた玉玲は、顔を背けて答える。


「言葉だけなら何とでも言えます。皇后にふさわしい女性を探すのが面倒くさくなって、私をおだてているだけかもしれませんし」


 少しドキリとはしたものの、甘い台詞の一つや二つで簡単になびいてしまうのもしゃくだ。


 頬をふくらませる玉玲に、幻耀は一度溜息をつき、真剣な顔をして言った。


「ならば、言葉を使わずに証明してやる」


「……え?」


 白皙の美しい顔が間近まで迫ってきて、玉玲は息を呑む。


 彼の指が顎にかかった直後、唇が柔らかな感触と体温に包まれた。

 

 突然のこと過ぎて、反応できない。

 体から何かが奪われていくような感覚にとらわれた。

 次第に頭の中が陶然となり、呼吸も時間も忘れてしまう。


 束の間だったのか、ずっと重ねていたのかもわからない。

 唇を襲った熱はいつの間にか引いていて、衝撃だけが玉玲の胸に残った。


 今、いったい何が起こったのか。

 幻耀が、いきなり唇を――。


「太子様っ!?」


 我に返った玉玲は、大きく目を見開き、口をぱくぱくさせた。


「これで証明できたか?」


 たこのように顔を紅潮させる玉玲に、幻耀は不敵な笑みを浮かべて告げる。


「口づけを交わすのは、今回で三度目だがな」

「いいえ、初めてです!」


 思わず言い返してしまった。

 薬を飲ませた時の口づけは、接吻せっぷんとして数えない。

 

 その瞬間、目の前に笑顔が咲く。

 それは十二年前と同じ。澄んだ瞳に、きらきらの空気。少年のような笑顔だった。

 幻耀が今、明確に笑ってみせたのだ。昔と同じように。


 その笑顔に見とれていたところで、体を優しく抱きしめられた。

 陽だまりのようなぬくもりに包まれて、胸の奥に火がともる。

 心臓が大きく脈打ち、全身にどんどん熱を広げていった。


 ようやく見ることができた幻耀の笑顔。真実を解き明かした特大のご褒美。

 次第にうれしさと幸せな気分がこみあげてきて、玉玲はそのまま彼の体に身をゆだねる。


 どこからか、早咲きの桃の花弁がひらりと舞い落ちた。

 春はもうすぐだ。



〈了〉


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