【発売記念】番外編

初めての口づけ


 いったいどうすればいいのだろう。

 解熱剤入りの薬液を軍持みずさしで口に流し入れているのに、げん耀ようが飲み込んでくれない。

 開いた唇の隙間から、薬液がどんどんこぼれ落ちていく。


 このままでは薬液を無駄にしてしまう。

 熱があがってきていて、幻耀も苦しそうだ。何とかして飲ませなくては。


 ぎょくれいは方法を考えた。

 だが、どんなに頭を悩ませても一向に思いつかない。

 ただ一つの方法しか。


「本当にこれしかないの……?」


 玉玲は困惑をあらわに幻耀の唇を注視する。

 あの唇をあまさず覆い、一気に注ぎ込むしかない。

 口移しで。

 つまりは、せっぷんするようなものだ。


「……やっぱり無理だよ」


 玉玲は幻耀の唇から目をそらしてこぼした。

 自分にとっては初めての口づけになるのだ。

 こんな形で済ませるのは不本意だし、別の方法を考えよう。

 そう思った矢先――。


「……母……上……」


 幻耀が目を閉じたまま苦しそうにつぶやいた。


 また昔の夢を見ているのだろうか。

 玉玲は手巾で彼の額に浮かんだ汗をぬぐう。

 熱がまたあがっているようだ。早く解熱剤を飲ませて楽にしてあげなければ。


 自らに言い聞かせる。これは医療行為だ。接吻なんかじゃない。

 思いきって薬湯を自らの口へと含ませる。

 少し甘い。飲みやすいように少量のはちみつを加えていたのだ。

 あとはこのまま彼の口へと注ぎ込むだけ。


『玉玲、接吻なんてな、ろくなもんじゃねえぞ』


 なぜかその時、兄弟子であるうんらんの言葉がのうをよぎった。


 それは確か、三年前。何かの流れで接吻の話になった時、雲嵐がうんざりした様子でこぼしたのだ。


『どうして?』


 そういた玉玲に、彼は遠い目をして答えた。


『俺の初めての相手はばばあだった』


 その時彼が見せた、死んだ魚のような目は今でも忘れられない。


『いちおううちの団をひいきしてくれてる上客でな。飲みに誘われて、酔って寝ていたところを襲われたんだ。酒臭えし、相手は婆だし、悪夢だったぜ』


 玉玲は雲嵐の話を思い出して、ハッとする。

 自分がこれからやろうとしているのは、寝込みを襲うのとそう変わらないのでは……?


 幻耀にとっては何度目かわからないけれど、自分のような色気のかけらもないちんちくりんに唇を奪われたと知れたら、激怒されるかもしれない。


「うん、やっぱり無理」


 玉玲は薬湯をそのまま飲み込んだ。

 ごくり。

 別の方法を探さなくては。

 そう思った矢先、またもや幻耀が苦しそうにうわごとをこぼした。


「……母……上……」


 玉玲は焦燥に駆られる。

 早く彼に薬を飲ませなければ。

 一番手っ取り早いのは、やはり口移しなのだけれど。


 ――そうだ!


 頭の中に妙案がパッとひらめいた。


ぶんえいさんに頼もう!」


 彼は言うなれば幻耀のお世話係だし、文英なら口移しで飲ませても激怒されるようなことはないはずだ。……たぶん。

 自分が飲ませるよりはましなはず。

 文英を呼んでこようと、立ちあがりかけたその時――。


「……母……上……」


 またもや幻耀が苦しそうにつぶやいた。 


「それ、狙って言ってません!?」


 まるで自分を引きとめるようにつぶやかれている気がして、玉玲は思わずツッコミを入れてしまう。


 早く飲ませろとでも言いたいのだろうか。

 まあ、そんなはずはないか。

 早く文英を呼んで――


「……母……上……」


 またもや幻耀が――ああ、もういい。


「わかりましたよっ。私がやればいいんですよね!」


 玉玲は半ばヤケになって言い放った。

 寝ていながら危機感を察知したのだろうか。男に唇を奪われたくはないと。

 よく考えてみると、責任を転嫁したいがための浅はかな案だった。

 文英に頼んで薬を口移しで飲ませたことが知られたら、それこそ幻耀の雷が落ちていたかもしれない。


 怒られてもいい。初めての口づけを彼に捧げることになっても。


「違う。口づけじゃない。これは医療行為、医療行為」


 玉玲は何度も自分に言い聞かせる。

 彼を楽にしてあげたい。これはそのために必要なこと。

 今一度薬湯を口に含み、彼の顔へとゆっくり近づいていく。

 乾いた唇を思いきってこじ開けた。

 薬液をこぼさないよう勢いよく唇をふさぐ。


 初めての口づけは甘い蜜の味がした。

 いや、違う。これは医療行為なのだ。

 きっと初めての口づけを味わうのは、まだずっと先のはず――。


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