第36話 亡霊皇子
「皇后様! 殿下が! 太子様が
侍女の報告を聞き、
彼は詰めが甘い。弓矢を使ってあやかしに暗殺させようとした時も、射損じることを
だが、今度こそうまくいったらしい。文英には証拠の残りにくい
「すぐに北後宮へ! 支度を! 幻耀が死ぬなんて嘘です!」
姜氏はお得意の演技で母親になりきり、北後宮へと向かう。
お供には侍女を四人。すぐに駆けつけてきたことを表現するため、格好は夜着に
姜氏は自ら吊り灯籠を掲げ、先陣を切って北後宮の乾天宮へと駆けつけた。
侍女たちは少し遅れ、後方で息を切らせている。必死さが出て、なかなかいい。
「幻耀! 幻耀!」
名前を連呼しながら
その部屋の奥、赤い
体には白い夜着をまとい、長い黒髪はおろしている。顔色は真っ青だ。唇はかさかさに乾いていて、少しの赤みもない。呼吸も止まっている様子だった。これは完全なる死体だ。その証拠に、妃の玉玲が幻耀の側に顔を突っ伏し、泣き崩れている。
ついに念願が叶った。
「幻耀! 嘘だと言ってちょうだい! ああ、幻耀!」
姜氏は幻耀の側へと駆け寄り、悲劇の母親を演じる。少し大げさすぎるほどに。本物の涙まで流してみせた。これくらいは朝飯前だ。自分はこの演技力で、嫉妬と陰謀渦巻く後宮を渡り歩き、至高の座を射とめた。
「皇后様、そんなに嘆かれてはお体に
「今宵はもう遅いですし、いったん宮殿へ戻ってお休みになっては? お顔の色が優れませんわ」
これだけ嘆いておけばいいだろう。姜氏は侍女たちの意見を受け入れ、宮殿から去ることにした。ふらふらになりながら。今にも倒れそうに。あまり長く演技を続ければぼろが出るだろうし、何より面倒くさい。思いとは裏腹な演技をするのは、とても疲れる。
吊り灯籠を持たせた二人の侍女に前を歩かせ、残り二名には体を両側から支えさせた。
これでようやく思い通りに事が運べる。幻耀に対する忌々しい演技からも解放される。
笑いをかみ殺しながら、宮殿の
走廊の先に赤い何かがよぎる。独りでに燃える真っ赤な火の玉が。
「ひっ!」
前を歩いていた侍女が小さな悲鳴をあげるや、今度は何もない場所からドンドンと音が響いた。床から、壁から、近くの窓からも。
「きゃ~~~~~~っ!」
侍女たちは大きな悲鳴をあげ、我先にと逃げだした。主人である皇后を置いて。
四人全員が脱兎のごとく宮殿から走り去っていく。
姜氏もすぐにあとを追おうとした。
しかしその時、すぐ側の扉が勢いよく開き、進路を封じられてしまう。
すると、八つあった部屋の扉が独りでに動きだし、閉まったり開いたりをくり返した。
怪奇現象の連続に、姜氏は全身が震えて一歩も動けなくなる。
もはや何が起きているのかわからない。恐慌をきたし、頭は混乱状態だ。
そんな姜氏に次の刹那、追い打ちをかける出来事が起こる。
いったん閉まって停止していた一番奥の扉が、今度はゆっくりと開いた。
誰かが緩慢な動きで走廊へと出てくる。
背中まで流れる黒い髪。長身の体には、白い夜着をまとっている。顔色は真っ青で、口にも肌にもいっさい血の気がない。かさかさの唇には、先ほどは見えなかった赤い液体が。
口から血を流した青年が、走廊の先にうつろな表情で立っていた。
「……幻……耀……?」
皇后は
いや、嘘だ。見間違えだ。幻耀はもう死んだ。彼は後方の部屋に横たわっていた。
それなのに、ずっと先の部屋から出てくるわけがない。
あれが幻耀なのだとしたら、まぎれもなく亡霊の
その亡霊はゆっくりとこちらへ近づきながら、恨めしそうに口を開いた。
「……なぜですか? なぜ私を殺したのです……?」
「ひいっ!」
姜氏はひきつった悲鳴をあげ、ついに腰を抜かして後ろに倒れた。
尻餅をつく姜氏に、幻耀の亡霊は
「……聞きましたよ、
姜氏は大きく見開いていた目を数度瞬かせた。
何のことかと問うような顔をする姜氏に、幻耀は低い声音で指摘する。
「あなたは、文英に母を殺すよう命じましたね? そればかりか、私まで。何が気に入らなかったのです? 私はあなたの意に沿い、太子の座を射とめたではないですか? 教えてください。理由もわからないままでは、死んでも死にきれない。さあ、義母上!」
目を剥きながら迫る幻耀に、恐怖のあまり我を忘れた姜氏は、完全に開き直って答えた。
「憎かったのよ! お前も、林淑妃のことも! 下賤の分際で、主上の寵愛を独り占めにしたあの子が!
知られているのなら、隠してもしょうがない。しかも、相手は亡霊だ。
理由がわかれば幻耀も納得して成仏するだろう。自分にとっては正当な理由があるのだ。
はっきりと教えてやろう。憎き女の息子に。
「妾はね、将来皇后になるよう父に厳しく教育された。姜家は由緒正しい家柄で、自分の血筋に誇りを持って生きてきた。でもね、上には上がいたのよ。家柄も、美しさも、才能も。せめて人柄だけはよく見せようと、侍女たちには優しく接したわ。あなたの母親にもね。せっかく目をかけてやったのに、あの女は妾から主上の寵愛を奪った! それどころか、霊力に恵まれた皇子まで産んで! 妾の子はいっさいの霊力もなく、幼くして死んだのに! 妬ましくて仕方がなかったわ! だからね、奪ってやったのよ、お前を。あの女狐から!」
姜氏は幻耀へと言い放ち、高らかな笑い声をあげる。
次第に興が乗ってきた。この際だから、何もかもぶちまけてやる。
「妾はね、本当はお前のことも憎くてたまらなかったわ! だって、あの女の血を引いているのですもの! お前は女狐にそっくりだったわ。あやかしが視えて、誰とでもすぐに仲よくなって、身分の低い者にも手を差し伸べようする。お前はどんどん妾好みに変わっていったけれど、大事な部分だけは矯正できなかった。お前は妾に言ったわね。将来皇帝になったら、身分にかかわらず能力のある者を重用したいって。くだらない理想論だわ。この国で大事なのは血筋よ! 程貴妃には、悔しくて反対のことを言ったけどね!」
あの貴妃にも本当に
貴妃は自分より血統がいいから彼女の前では同意できなかったが、考えは変わらない。林淑妃の血を引く子など、皇位につくべきではないのだ。
「将来の皇帝には、呉淑妃の子のように才能があって、血統もいい皇子がふさわしい! だから殺すように命じたの! お前はもう用済みよ! さっさと消えなさい!!」
姜氏は目的も考えも全てぶちまけ、幻耀を
だが、幻耀は動かない。こちらをただじっと凝視し続けている。
「何よ? まだ納得できない? ならば、どれだけお前をうとんでいたか、もっと聞かせてあげましょうか?」
あの目に見られていると、たまらない気分になり、更に言い募ろうとした時だった。
「もうよい。十分だ」
突然どこからか声が響いた直後、一つ先にある部屋の扉が開く。
背の高い壮年の男性が、ゆっくりと姿を現した。
引きしまった
一つに結いあげた黒髪は、十二
よく見知った男性が、
姜氏は震えながら声をもらす。
「……主……上……」
――ありえない。
どうして、皇帝がここに? これは悪夢なのか?
夢なら覚めてほしいと願っていたところで、皇帝の後方から若い女性が現れた。
幻耀がめとった唯一の妃、玉玲だ。さっきまで泣き崩れていたはずなのに。
涙の跡もなく、まっすぐに立っていたのだった。こちらを
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