第37話 契約妃のはかりごと


「……どうして、あなたが……? ……主上がなぜ、ここに……?」


 姜氏が視線を泳がせながら、呆然とした表情で尋ねてくる。


「私がお呼びしたのですよ。興味深い告白が聞けるからと、無理を言ってね」


 幻耀がふところから取りだした手巾しゅきんで口もとをぬぐいながら答えた。

 彼が先ほどまで口から流していた液体は血ではない。木苺きいちごをすりつぶした果汁に片栗粉を少しまぜた、血液っぽい液体である。


「あなたから供述を得るために、いろいろと仕かけさせてもらいました。あやかしたちに協力してもらってね」


 玉玲が告げると、力を貸してくれたあやかしたちが、次々と走廊ろうかに姿を現した。


「ふふんっ。その女の驚く顔を見たら、ちょっとスカッとしたわ」


 そう言ったのは、幻耀に死に化粧を施し、扉の開閉と火の玉を演出してくれた漣霞だ。


「ああ、やってやったぜ! おいらたちのお手柄だ!」


 扉の開閉と音響を担当してくれた莉莉が、得意げに主張する。


「悪女よ、お前もここで終わりだ。我が輩が成敗するまでもない」

「おとなしくお縄につくニャ!」


 三毛に茶トラの猫怪が、くずおれている姜氏に昂然と言い放った。

 他にも違う毛色の猫怪や狐精こせいの姿もある。彼らにも壁や窓を叩いたり飛びはねたりして、音を立ててもらった。あやかしは人には視えないが、物を動かしたり音を立てることはできる。短い松明を持って走るだけで、火の玉がよぎったように見えるのだ。


 協力してくれたあやかしたちには、全て事情を話してある。心を込めてお願いしたら、みな快く脅かし役を引き受けてくれた。

 ちなみに玉玲の役割は、遠くの扉の開閉と今回の作戦の総指揮だ。幻耀の芝居の演出と脚本も担当した。

 幻耀が自室から奥の走廊まで移動したのも簡単な話。窓から出て、走って奥の部屋の窓から室内に侵入し、走廊に出ただけだ。少しまぬけなので、計画を話した時、幻耀には渋られたが。

 亡霊をうまく演じて、姜氏に一泡吹かせることができたし、大成功だと言っていい。姜氏をおびえさせてだまし、皇帝の前で罪を暴露させようという作戦は。

 あやかしたちには、後でお礼にご馳走ちそうを作ってあげよう。


「皇后、の前で供述したな。林淑妃と幻耀を殺すように命じたと」


 達成感にひたっていたところで、皇帝が姜氏を冷ややかに見おろして言った。


「ち、違います! 妾は言わされたのです! 誘導尋問ですわ!」


 我に返った姜氏は、必死になって弁明する。 


「主上、どうかお聞きになってください。妾は恐怖で錯乱し、思いもしなかったことまで告白させられたのです。酒や薬等で錯乱した人間の言葉は、証言には値しない。律令りつりょうにはそう記されておりますわね? 何より妾が命じたという証拠がないではありませんか! 妾は駁正権ばくせいけんを行使します!」


 あまりの往生際の悪さに、玉玲は閉口してしまう。ずいぶんと頭の回る女性だと思った。

 駁正権。皇族には、確たる証拠がない場合、拘禁を拒否し、裁判を受ける権利がある。

 この場をうまく言い逃れて、呉家まで表に出てきたら厄介だ。


「幻耀、このような奸計かんけい、妾には通用しませんよ。国母たる妾をおとしいれたいのであれば、まずは証拠をそろえてからになさい!」


 ふてぶてしく言い放つ姜氏に、あきれながらも危機感を覚えたその時――。


「証拠ならございます」


 後方から響いた声に、玉玲はハッとして振り返る。


「文英さん!?」


 部屋で待っているよう言っていたのに、文英がこの場へと割って入り、口を開いた。


「主上、私は皇后様に林淑妃と幻耀様の殺害を命じられました。証人である私の存在こそが、皇后様の罪を示す何よりの証拠です」


 姜氏がカッと目を剥き、文英を睨みつける。


「文英、お前――!」

「私を脅そうとしても無駄ですよ、皇后様。もう何も怖くありません」


 文英は毅然として告げるや、皇帝に目を向けて進言した。


「主上、本人の供述に私の証言が加われば、もはや皇后様の罪は明白となるのではないでしょうか? 私はいくらでも尋問を受けます」


 玉玲は胸を詰まらせながら、文英の顔を見つめる。


「文英さん、そんなことをしたら……」


 彼は自らの罪を明らかにすることで、姜氏の罪を決定的なものにしようとしたのだ。それを言ってしまえば、いくら命じられたからとはいえ、死罪はまぬがれないのに。


「わかっています。助からないことは。ですが、いいのです。すでになかったはずの命。それを少しでも殿下のために役立てることができるのですから。殿下を排除しようとする輩は徹底的につぶしておかなければ。害悪は私が冥府まで連れていきます」


 文英は穏やかな表情で告げ、ゆっくり瞳を閉じた。


「皇后と太監を捕らえよ。獄舎で詳しく取り調べるのだ」


 皇帝が部屋に待機させていた護衛の宦官に命じる。


「御意」


 四名の宦官たちは即座に応じ、姜氏と文英の体を二名ずつにわかれて取り押さえた。


「何をするのです! 放しなさい! 妾はこの国の皇后ですよ! 主上、お助けください! 主上! 主上!」


 姜氏は尚も往生際悪く暴れ、皇帝に何度も救いを求めた。


 対して文英は、いっさい抵抗せず、静かに走廊から連れだされていく。


 宮殿を出る間際、幻耀は彼の名前を呼んだ。


「文英!」


 名残なごり惜しそうに。どこか悲しそうに。


 背中をじっと見つめていた幻耀に、文英は一度だけ振り返り、微笑んで告げる。


「あなたが子供の頃、語ってくれた国が私の理想とする場所です。冥府から雪艶とふたりで見守っています。あなたがこれから築かれていく国を」

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