第20話 お披露目の宴へ【前編】


 上体を包んでいるのは紅梅色のうわぎ。小花柄の刺繍とひだの入ったスカートが、胸の下から足もとまで流れている。

 肩にかけている白い披肩ショールてんの毛皮でできていて温かい。

 髪は頭頂部で二つの輪っかを作る飛仙髻ひせんけいに結わえ、珠玉をあしらった金簪きんかん歩揺ほようで飾り立てている。

 仕上げに化粧を少々。顔全体と首にも少し白粉おしろいを塗り、唇にはうっすら胭脂べにを差す。

 化粧筆で細く黛眉まゆずみを、ひたいには赤い花鈿はなもようを描いて完成だ。


「まあ、あたしの手にかかれば、ざっとこんなもんよ。完全に『猿にも衣裳』だけど」


 着つけと化粧を担当した漣霞が、玉玲の足もとから頭を眺めて、得意げな顔をする。


 玉玲は鏡に映る自分の姿を、ただぼーっと観察していた。

 南後宮を出る時にも才人の侍女に化粧を施してもらったが、全然違う。自分が年相応に、しかもきれいに見える。漣霞の腕が相当よかったのか。自分の目がおかしくなっているのか。


「どうかな、莉莉?」


 遊びにきていた莉莉に、感想を訊いてみる。


 だが、莉莉は先ほどまでの玉玲同様、ぽけーっと鏡を眺めていた。 


「やあね、この子ったら、猫の分際で人間に見とれちゃって」

「見とれてねえ! ひらひらに目を奪われてただけだ! 『豚に真珠』だぜ。それに、おいらは猫じゃねえ! こわーいあやかしだぞ? 近づいたら、やけどするぜ!」


 シャーッ!

 莉莉の猫拳が漣霞の裙へと炸裂する。


 あんまりな物言いに、玉玲は若干落ちこんだ。

 さすがに『豚に真珠』はひどい。っていうか、使い方を間違えてないか?


 複雑な気持ちになっていると、部屋の外からうかがいを立てる声が響いた。


「玉玲様、準備は整いましたでしょうか?」


「文英さん? はい。どうぞ」


 とびらを開けた文英は、鏡台の前に座っていた玉玲を見て、目を丸くする。


「これは素敵ですね。まるで天女が舞い降りたかのようだ」


 過分なほめ言葉をもらったが、玉玲は素直に喜ぶ気持ちにはなれない。


「そう言ってくれるのは、文英さんだけですよ……」


 他は『猿に衣裳』に『豚に真珠』だ。優しい文英のことだから、気分を盛りあげようと、お世辞を言ってくれただけだろう。


 のっそりと立ちあがる玉玲に、文英は微笑みながら言った。


「それでは、まいりましょうか」


 玉玲は「はい」と弱々しく返事し、扉の方へ向かう。

 恐れていた宴の時間がついに迫ってきた。この二日で文英から皇族の慣習や行儀作法を学び、漣霞に身なりを整えてもらったが、妃としてうまくふるまう自信はない。完全につけ焼きだ。

 不安な面もちで部屋を出ようとする玉玲だったが。


「……あれ? 文英さんも緊張してるんですか?」


 彼の表情が少し硬いように思えて立ちどまる。


「そのようなことはありませんよ。どうかお気になさらず」

「でも、少し顔色が悪い気もしますし。もしかして、体調が悪いんじゃないですか?」


 文英は硬い笑顔を作り、「いえ、大丈夫です」と否定した。

 やはり、いつもとどこか感じが違う。


「それじゃあ、私がうまく妃を演じられるか心配で?」

「違います。そちらの心配ではなく……」

「他に何か心配事でもあるんですか?」


 玉玲は口ごもる文英の正面に立ち、茶色い双眸そうぼうをまっすぐ見つめて尋ねた。


「……殿下のことです」


「太子様の?」


 玉玲のしつこい追及に、文英は一度溜息をつき、観念したように口を開いた。


「あなたには隠し事ができないようですね。余計な不安を与えないようにお話していなかったのですが。暗殺の心配をしていたのです。今回の宴に乗じて、殿下を亡き者にせんとする輩が現れるのではないかと」


 不穏な話に玉玲は目をき、思わず文英の両腕を掴む。


「どういうことなんですか? 詳しく聞かせてください!」


 強い口調で説明を求めると、文英はつらそうに眉をゆがめて答えた。


「以前少しお話ししましたが、殿下はこれまでに幾度か命を狙われたことがあるのです。ほとんどの事件の黒幕はまだ見つかっていません。疑わしい人物は数名いるのですが」


「もしかして、今回宴に招待されている人の中に……?」

「そうなのです。一番疑わしいと思われるのは四夫人の一人、程貴妃ていきひです。第四皇子のご生母であり、最後まで皇后様と国母こくもの座を争われていました。我が国においては、次期皇帝のご生母、もしくは後見人となられるお方が、皇后になることが慣例です。幻耀様が太子となられたことで、相当苦い思いをされたはず。殿下さえ亡き者にできれば、第四皇子を太子とし、皇后の位を奪うことも可能になるでしょう」


 玉玲は息をつく間もなく、質問を続ける。


「疑わしい人物は数名いるって言ってましたけど、他の妃嬪の中にもいるんですか?」

「はい。程貴妃の腰巾着と言われている班徳妃はんとくひ。九ひんの中にも貴妃を支持する妃嬪はいます。他に怪しいのは宋賢妃そうけんひでしょうか」


 徳妃と賢妃。これまた夫人だ。四つの重席のうち三つが敵派だとは。


「班徳妃と宋賢妃にも皇子がいるんですか?」

「班徳妃には双子の皇子がいらっしゃいますが、宋賢妃は娘の公主しか産まれておりません。ですが、後見をされている皇子ならいらっしゃいます。彼女もなかなかに野心の強い方ですので。以前は第二皇子の後ろ盾をされていました。その第二皇子が……」


 文英が言いにくそうに言葉を詰まらせた。


「何かしたんですか? 太子様に?」


「……はい。直接手を下そうとされたのです。あやかしを退治するため、遠方の町を訪れていた折に。剣で斬りかかり、密かに殿下を亡き者にしようと」


 玉玲はゴクリと息をんで尋ねる。


「それで、第二皇子は……?」


「返り討ちにされました。幻耀様は仕方なく兄君を手にかけられたのです」


 さすがの玉玲も、その回答に関しては追及することができなかった。震える手を握りしめることしか。幻耀の心情を思うと、ただ胸が痛い。


「おそらく、幻耀様の才能をねたみ恐れての犯行だったのでしょう。城の外で実行すれば、賊に斬られたことにして言い逃れも図れるでしょうし。結局、第二皇子の凶行は白日の下にさらされ、幻耀様は逆に主上から高い評価を得られることになりました。その武力と冷徹さを買われ、太子の座に近づかれたのです。第二皇子を後見されていた宋賢妃は関連を否定され、証拠不十分として処罰をまぬがれたのですが……」


 いったん途切れた文英の話を玉玲がつなぐ。


「太子様を亡き者にしたい理由はあるというわけですね?」


 文英はただまぶたを伏せて頷いた。


「宴を取りやめるわけにはいかないんですか? せめて怪しい人間を招かなければ。皇后様も太子様の身を案じているわけですよね?」

「もちろんです。皇后様にとって殿下は、いわば生命線。後見されている殿下が亡き者となれば、国母の座も危うくなるわけですから、何としてもお命を守りたいところでしょう。ですが、この通過儀礼を無視するわけにはいかないのです。宴とは、まつりごとですから」


「……まつりごと?」

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