第三章 妃たちの奇奇怪怪なる陰謀

第19話 新たな試練



 黄昏の光に満ちた広場に、あやかしたちの朗らかな声が響き渡る。


「うまい! この猫まんまは、まさに理想としていた食べ物だ。我が輩は猫ではないがな」

「この『ばんばんじー』もいけるのニャ! 次は『よだれどり』を食べさせるニャ!」

「拙者は油揚げを所望するナリ。これにかなう食べ物はないナリ!」


 瘧鬼ぎゃくきを払ってから半月後には、ほとんどの猫怪びょうかい狐精こせいが広場を訪れるようになっていた。夕方は特に好みのうるさいあやかしたちの声で騒がしくなる。

 人気料理となっているのは、食べやすい饅頭まんじゅう小籠包しょうろんぽうだ。


 最古参の常連である莉莉りりが、小籠包を掴み寄せ、いぶかしげな顔で尋ねた。


「味には問題ないけどよ。何で最近たまに形が異様に崩れてるやつがあるんだ? 皮が残りまくってる野菜とか、卵のからが入ってた料理もあったぞ」


 莉莉が手にした小籠包は、包み方が雑すぎて所々破け、あんがはみ出している。


「ああ、それはね」


 玉玲ぎょくれいが説明しようとしたところで、一部の猫怪が「ぶは!」っと料理を吹きだした。


「この小籠包、甘すぎてよ! 完全に砂糖と塩を間違えているわ!」

「この蟹肉炒蛋かにたま、食感がバリバリ。これじゃ蟹が具なのか卵の殻が具なのかわからないよ」


 不満の声を聞きつけるやいなや、


「ちょっと、あんたたち! 文句を言うなら食うんじゃないわよ!」


 木陰からあやかしたちの様子を観察していた漣霞れんかが飛びだしてきた。


「げっ、漣霞!」

「やばいナリ。行くナリ。太子にチクられるナリ!」

「待って、みんな!」


 とっさに玉玲は、逃げだそうとした狐精たちを引きとめる。


「漣霞さんはみんなの味方だよ。この料理だって、漣霞さんが手伝ってくれたんだから」


 話を聞いたあやかしたちが、信じられないとでもいうように目を丸くした。


「……漣霞が?」

「そうだよ。さすがにこれだけの数になるとさ、私一人じゃ作業が追いつかないんだよね。だから漣霞さんにも手伝ってもらっていたの。彼女がいなければ、とても全員のぶんは用意できなかったよ。彼女は彼女なりにこの区域をよくしようとしてくれてるの。だから漣霞さんを悪く思わないで。せっかく歩み寄ろうとしてるのに、逃げだされたら傷つくよ」


 玉玲は漣霞のこれまでの努力を思い返し、あやかしたちに訴える。

 幻耀げんようのために料理を作ってから、彼女は腕を磨くためだと言って、あやかしたちの食事作りも手伝うようになってくれた。おそらくは料理の練習というより、あやかしたちとの関係を改善したいと考えたからではないだろうか。


 漣霞の心情をおもんぱかっていると、あやかしたちは料理を見て、納得したようにこぼした。


「最近料理がおかしかった理由はそれか」

「たまに変なのがまじっていて、不思議に思っていたんだコン」


 指摘した狐精を、漣霞が鋭くにらみつける。


「だから文句を言うなら――」

「まあ、いいんじゃねえの。皮つきの野菜でも。まずくなるってほどでもねえし」


 漣霞の言葉を遮り、莉莉が取りなすように口を挟んだ。

 すると、


「形がおかしくても、おいしければいいニャ!」

「まあ、砂糖入りの小籠包も甜品デザートだと思えば食べられるわね」

「量が減るよりはましだな。殻入りの料理でも、食べられないよりは」


 他の猫怪たちも、遠回しに漣霞の手伝いを認めるような発言をする。


「帰るやつは帰っていいぜ。そのぶんおいらが食べられるからな」

「いいや、帰ったやつのぶんは俺様のものだ!」


 莉莉たちが告げたところで、帰ろうとしていた三尾の狐精があわてて主張した。


「だめナリ! 拙者、帰るのはやめるナリ! だから、拙者のぶんは残すナリ!」


 漣霞を避けていた他の狐精たちも、料理の方へと舞い戻って食事を続ける。

 そこからは狐精も猫怪も入り乱れ、奪い合うように料理をむさぼった。


 結局誰も帰ることなく、日常の光景が戻る。漣霞に対する感情より食欲の方が勝ったのか、彼女を仲間として認めてくれたのかどうかはわからないけれど。


「よかったね、漣霞さん」


 後者であることを期待して、玉玲は漣霞に微笑みかけた。


「別にっ。余計なこと言うんじゃないわよ」


 漣霞は顔をプイと背けつつ、頬を赤く染める。態度とは裏腹に喜んでいるようだ。

 半月ちょっとのつき合いで、玉玲にも漣霞の性格がよくわかるようになっていた。

 彼女は本当に素直じゃない。でも、慣れるとそこがかわいらしく思えたりもする。

 穏やかな気持ちで、漣霞やあやかしたちの顔を眺めていた時だった。


「何の騒ぎだ、これは?」


 東のみちから響いた声にハッとして、あやかしたちは食事をやめる。


「ひっ、太子!」

「逃げるナリ! これはさすがにやばいナリ!」


 幻耀の姿を視界にとらえるや、狐精も猫怪も一目散に逃げだした。


「あっ、みんな!」


 すぐに玉玲が呼びとめるが、彼らの耳には入っていない。

 またたく間に広場から走り去ってしまった。

 幻耀に対する恐怖心は食欲以上に強いようだ。


「あやかしに料理をふるまっているという話は聞いたが、あれほどいたとはな。警戒心の強いあやかしがよくもまあ。無駄な経費だ」


 あやかしたちが逃げていった方角を眺め、幻耀が冷ややかに吐き捨てる。

 『無駄な経費』とは、あやかしに食事を与えることに対して、だいぶ否定的な発言だ。


「続けたらだめでしょうか? 経費の心配をしてるのでしたら、野菜は自分で栽培しますし、鶏や牛を飼ってもいいなら、初めの費用だけで抑えられます。あやかしたちは今や食事の機会を楽しみにしてくれてるんです。だから、どうかその楽しみを奪わないでください。お願いします!」


 玉玲は深々と頭を下げて懇願する。野菜の栽培はあやかしたちにも手伝ってもらえばいいし、今の彼らなら快く協力してくれるはずだ。せっかく空気がよくなっているのに、大事な交流の場を失いたくはない。


 切実な思いで頭を下げ続ける玉玲に、幻耀は淡々と告げた。


「空気をよくすると言ったな。そうすれば今後、ぎゃくによる被害者が出ることはないと。主上も近年、瘧の感染者が急増していることを憂慮されていた。その問題を解決できるというなら、初めの一年だけはお前の好きにさせてやる。だが、来年も瘧鬼が発生したらそれまでだ。野菜の苗や鶏の購入については検討しておこう」


 返事を聞いた玉玲は、すぐ笑顔になって礼を言う。


「はい、ありがとうございます!」


 本当に話のわかる男性で助かった。

 あやかしたちにも彼のよさが伝わればいいのだけれど。


「いびつな食べ物があるな。漣霞か」


 近くに置いてあった小籠包を見おろしながら、幻耀が指摘する。


「いいえ、いびつなものを作ったのは玉玲です。あたしのはその辺の整った料理ですわ」


 すかさず漣霞が、完璧な仕上がりの韮皇炒旦にらたまを指さして主張した。


 もちろん、崩れた小籠包を作ったのは漣霞で、韮皇炒旦は玉玲の作品だ。

 いけしゃあしゃあと嘘をついたにもかかわらず、彼女は餡のはみ出た小籠包をてのひらに乗せ、幻耀に差しだした。


「お一ついかがでしょう?」


 何が何でも自分の作った料理を食べてもらいたいという執念だろう。


「不要だ。わざわざまずそうな方を勧めるな」


 幻耀は漣霞の申し出をばっさりと斬り捨てた。

 容赦ようしゃない言葉に、さすがの漣霞もしょんぼりと肩を落とす。


 実は、彼女が差し入れを断られたのは一度だけではない。半月前、初めて幻耀に料理を作った時にも突っぱねられていた。「まずそうなものを持ってくるな」と。

 自分が盛りつけると言って聞かないものだから。漣霞は、幻耀の料理に関してだけは率先して手がけようとする。

 彼女の意をんで、余計な手助けをしてこなかったのがいけなかったか。


 玉玲は漣霞を気の毒に思いつつ、幻耀に話しかける。


「それより太子様、今日はお早いですね。何かあったんですか?」


 彼が外朝での仕事を終えて北後宮へ戻ってくるのは、たいてい真夜中だ。

 不思議に思ってくと、幻耀は小さく頷き、若干気だるそうに答えた。


「早めに知らせておいた方がいいと思ってな。衣裳いしょうの準備もあるだろう。それなりの教養も身につけてもらわなければならない。文英ぶんえい、お前は玉玲の教養を担当しろ。漣霞、お前は衣裳や身の回りのことを助言してやれ」

「かしこまりました」


 幻耀の後方に控えていた文英が、うやうやしくこうべを垂れて返事する。


「ちょっと、待ってください。いったい何があるっていうんです?」


 勝手に話を進められても困る。衣裳やら教養やら意味がわからない。


 困惑する玉玲に、幻耀は溜息ためいきをついて言った。


「明後日、皇后様主催の宴が開かれることになった。北後宮で」


「え? この区域でですか?」


 開催地の選択にまず驚く。北後宮は南後宮の女性にとって、それは恐ろしい場所だ。


「俺も参加しなければならないからな。十四歳以上の皇子は南後宮に入れない。瘧が発生した時だけは例外だが。女性は特定の行事がある時以外、後宮の外へは出られない。北後宮は可能だからな。必然的にここしか開催する場所がないというわけだ」

「でも、北後宮に来ることを女性たちは嫌がりません? そこまでして宴を催す必要があるんですか?」


 宮女も妃嬪たちも、北後宮には怖くて近づきたくないだろう。たとえば、幻耀が参加しなければ南後宮でも宴を開ける。彼は極力人と関わりたくない性分のようだし、参加を辞退するという選択肢はなかったのか。


「今回ばかりは仕方がない。宴の主催者は、俺の後見人であり養母である皇后様だ。断るわけにもいかなかった。この宴は俺たちが主賓だからな」


「俺たちって、……私も!?」

「そうだ。今回の宴は、俺が妃をめとったことに対する祝宴。お前を上級妃嬪や公主たちにお披露目する場であり、歓迎会のようなものでもある」


「ええっ!?」


 まさかそんな通過儀礼があるとは思わず、玉玲は裏返った声を連発させてしまう。

 ひたすら嫌な予感しかしなかった。

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