第18話 心強い味方


 御膳房の窓から煙が立ちのぼり、周囲一帯に香ばしいにおいを振りまいている。


 この日も玉玲はあやかしたちを満足させるべく、昼食を作っていた。

 漣霞には昨日やめるように注意されたが、幻耀のおとないがあって以降は、何も言われていない。面と向かって気持ちをぶつけた効果が現れたのか、突っかかってはこなくなった。

 これから徐々にでも仲よくしてもらえるといいのだけれど。


「玉玲様。やはりこちらにいらっしゃいましたか」


 思いを巡らせながら作業していたところで、厨の入り口から男性の声が響いた。


「文英さん! 何かご用ですか?」


 玉玲は笑顔になって問いかける。

 玉玲の文英に対する好感度はかなり高い。何の文句も言わずに大量の食材を用意してくれたり、雑伎に必要な道具までそろえてくれた。玉玲の計画の陰なる貢献者だ。春の日差しのように穏やかな男性で、顔を見ただけで思わず笑みがこぼれてしまう。


「ただいま殿下が北後宮に戻られました。瘧鬼を無事払われたそうです」


 近づいてきた文英は、玉玲に微笑み返して報告した。


「払われた、というのは……?」


 払うという言葉には、いろいろ意味がある。追い払ったのか、それとも滅したのか。

 確認する玉玲に、文英は笑みを深めて答える。


「短刀を投げて脅したら、一目散に後宮の外へ逃げていったそうですよ」


 返事を聞くや、玉玲は「よかった!」と安堵の声をあげた。

 幻耀のことを信用していないわけではないが、瘧鬼が早く見つかるか、他の皇子が殺さずに追い払ってくれるかどうか、心配していたのだ。これで、後宮が瘴気に汚染される危険は減るだろう。

 うまくいけば、瘧鬼は二度と後宮に現れないかもしれない。人間の社会にまぎれこんだりしないよう、空気をよくしていけば。


「今、太子様は?」


 幻耀のことが気になって質問する。彼が北後宮に戻ってきたのは、三日間のうち一度だけ。昨日は玉玲に話を聞きにきただけだったから、ちゃんと休んでいるか心配になる。


「今は乾天宮でお休みになっています。三日間ほとんど不眠不休のようでしたので」


 やはり、今まで休んでいなかったのか。人命が関わっていたからか、太子としての責任感からか、身をにして働いてくれたようだ。

 玉玲は、自分にできることはないかと考える。少しでも彼をねぎらいたい。


「じゃあ、太子様のために食事を作ってはだめでしょうか? 精のつく料理を」


 パッと思いついた案に、文英は複雑そうな表情で難色を示した。


「それは……。どうでしょう。お召しあがりになるか」


 玉玲は以前文英に聞いた話を思い出す。


「ああ、後宮では食事を取らないんでしたね。毒を警戒して」


 幻耀はあやかしだけではなく、人間に対しても強い不信感を抱いている。事情や根拠を示せば話を聞いてくれるが、命に関わることとなれば、拒絶されるかもしれない。今はまだそこまで信頼されていないという予感がある。


「作ってみたら?」


 物思いにふけっていたところで突然、背中を押すように声が響いた。


「あの方のためだったら、あたしも協力するし」


 厨の入り口に現れた女性を見て、玉玲は吃驚の声をあげる。


「漣霞さん!?」


 彼女が急に現れたことより何より言葉に驚かされた。


 ――協力する?


「何でそんなに驚くのよ! あんたが言ったんでしょう! 一緒に幻耀様の力になろうって」


 仰天する玉玲を、漣霞は苛立たしそうに凝視する。


 だが、視線を交えていると、少しずつ瞼を落としていき、おもむろに語り始めた。


「あんたの言った通りよ。あたし、純粋にあの方の役に立ちたかった。昔はね、とても優しい方だったの。でも、お母様をあやかしに殺されて、いろいろあって、すっかり変わってしまって。もとに戻ってほしかったのよ。あたしががんばってあやかしに対する信用を取り戻せたらって。無駄なあがきみたいだったけど」


 悔やむように伏せられていた漣霞の瞼が徐々に持ちあがり、瞳にはかすかな光が宿る。


「でも、あんたが来てから、幻耀様は少しだけあやかしに対する態度を変えた。言いつけを破ったあたしは絶対に特権を取りあげられていたし、瘧鬼なんて抹殺していたと思うわ。あんたがここの空気を変えていったら、あの方はもっと昔みたいに……」


 言葉を詰まらせる漣霞に、玉玲はいたわるように声をかけた。


「……漣霞さん」


「だから協力してやるって言ってるの!」


 余計な気遣いは無用だと言わんばかりに、漣霞は声を荒らげて宣言する。


 協力するという言葉とは裏腹に、反抗的な態度が彼女らしい。

 玉玲は抱きついて喜びたい衝動を抑え、努めて穏やかに礼を言う。


「ありがとう、漣霞さん。じゃあ、太子様のために一緒に料理を作ろう。まずはじゃがいもの皮から剥いてもらえる?」


 感情を刺激しなかったことがよかったのか、漣霞は素直に応じた。


「このいもの皮を取りのぞけばいいのね?」


 玉玲は微笑みながら頷き、まな板の前に立った漣霞に包丁を渡す。

 だが次の瞬間、玉玲の顔は一気に凍りついた。


 ダン!


 漣霞がじゃがいもに向かって勢いよく包丁を振りおろす。


 ダン、ダンッ、ダンッ!


「ちょっと漣霞さん!?」


 玉玲はあわてて漣霞を止める。だが、時すでに遅し。

 見事に皮はなくなったものの、じゃがいもは賽子さいころほどの大きさに変貌していた。

 これには文英も目を丸くする。あやかしは視えなくても、動かした物体は見えるのだ。突然包丁が派手な音を立てた後、じゃがいもが小さくなっていたのだから、相当驚いたに違いない。


「これじゃあ、身がほとんどないよ。漣霞さん、もしかして料理の方は……?」


 玉玲は唇をひきつらせながら質問する。


「当然でしょ! したことなんかないわ。何よ、文句ある?」


 漣霞は完全に開き直って答え、玉玲をぎろりと睨みつけた。


 彼女を手なづけるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 でも、確実に距離は縮まっている。思いはちゃんと漣霞の胸に届いているはずだ。

 彼女のまとう空気が以前よりずっと穏やかなものになっている。


 確かな手応えを感じ、玉玲は笑顔で語りかけた。


「じゃあ、少しずつ教えていくよ。これから一緒にがんばろう。改めて、よろしくね」


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